午後の曳航 – 三島由紀夫

屋根裏から覗いていると、女が乳房を出して、緑茶の中に母乳を混ぜるという金閣寺の場面にたまげたが、僕にとって仮面の告白と金閣寺に続いて3作目となる午後の曳航が一番の作品になった。終盤の緊張がものすごかったが、途中でさすがに子供達が大人を殺す様子が書かれることはあるまいと思うと、紅茶を一息に飲んだところで話が終わった。

そして登はおどろきを以って眺めた、彼の腹の深い毛をつんざいて誇らしげに聳え立つつややかな仏塔を。

思わずクスッとしてしまうような表現である。

今のところ、この戸惑いだけが二人の礼節だった。どこまで踏み込んで行っていいのか、竜司は彼のいわゆる「つまらない人間の底知れない傲慢さ」で測っていた。

私は何もしないで、しかし、自分だけは男だ、と思って生きてきたんです。何故って、男なら、いつか暁暗をついて孤独な澄んだ喇叭が鳴り響ひびき、光を孕んだ分厚い雲が低く垂れ、栄光の遠い鋭い声が私の名を呼び求めているときには、寝床を蹴って、一人で出ていかなければならないからです。……そんなことを思い暮らしているうちに、いつのまにか三十を越したんです」

歯をあてられた林檎の白い果肉が、その噛み跡からたちまち変色するように、別れは三日前にこの船で二人で会ったときからはじまっていた。

「大丈夫ですよ。働いて汗をかけば、風邪なんか吹っ飛んでしまう」
こういう竜司の強い言葉は、乱暴な気休めかもしれないけれど、少なくともこの家では久しく聞かれなかった「男の言葉」だった。その言葉一つで、古い柱や壁がみっしりと引き締まるのが感じられたほど。

確かに男の言葉であると感じるが、タイにいると働き者の女たちも、同じようなことを言う。

この世には彼のための特別誂えの栄光などの存在しないことを知らなくてはならぬ。

こういう想いを捨てられぬ厨二病なのだ。

正しい父親なんてものはありえない。なぜって、父親という役割そのものが悪の形だからさ。厳格な父親も、甘い父親も、その中くらいの程よい父親も、みんな同じくらい悪い。奴らは僕たちの人生のいく手に立ちふさがって、自分の劣等感だの、叶えられなかった望みだの、怨恨だの、理想だの、自分が一生とうとう人には言えなかった負け目だの、罪だの、甘ったるい夢だの、自分がとうとう従う勇気のなかった戒律だの、……そういう莫迦々々しいものを何もかも、息子に押しつけてやろうと身構えている。

一方、竜二は今度の航海の帰路、つくづく自分が船乗りの生活のみじめさと退屈に飽きはてていることを発見していた。彼はそれを味わいつくし、もう知らない味は何一つ残されていないという確信をも持った。

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