こころ – 夏目漱石

久しぶりに漱石の一冊。三四郎と門は読んでいるので、「それから」を読んで、前期三部作をすべて読んでしまおうとも思ったのだが、書架に並んでいた二冊を手に取り、何の気なしに「こころ」を選んだ。草枕と門に続き名作。

いい感じに暗くて、言葉遣いも今の時代とは違って、なんだかそれがかっこよく響き、サンキュータツオは美しい日本語を使うと評していた。漱石を読み始めた頃に、この言葉遣いに慣れていなくて難解に感じたのだが、何冊か読んでいるうちにそれがすっと入ってくるようになるのは、タイ語に慣れていくのと大差なく、むしろ言葉を増やせる喜びにも繋がる。

明治の終わりを迎える描写があり、明治時代や明治維新、幕末のことなども本で読もうと決めた。100年前の日本について知ってみたくなった。祖父や祖母が生きた時代。それから今の僕がタイで暮らしていることに繋がってくるのだから、考えてみると不思議なもんだよな。

「私は淋しい人間です」と先生が云った。「だから貴方の来て下さる事を喜んでいます。だから何故そう度々来るのかと云って聞いたのです」

「悟るの悟らないのって、-そりゃ女だからわたくしには解りませんけれど、恐らくそんな意味じゃないでしょう。やっぱり何か遣りたいのでしょう。それでいて出来ないんです。だから気の毒ですわ」
女は男の後ろを歩けってか。歩きますってか。

「かつてはその人の膝の前に跪いたという記憶が、今度はその人の頭の上に足を載せさせようとするのです。私は未来の侮辱を受けないために、今の尊敬を斥けたいと思うのです。私は今より一層淋しい未来の私を我慢する代わりに、淋しい今の私を我慢したいのです。自由と独立と己れとに充ちた現代に生まれた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しみを味わわなくてはならないでしょう」

「私に云わせると、奥さんが好きになったから世間が嫌いになるんですもの」
「あなたは学問をする方だけあって、中々お上手ね。空っぽな理屈を使いこなす事が。世の中が嫌いになったから、私までも嫌になったんだとも云えるじゃありませんか。それと同なじ理屈で」

田舎者は都会のものより、却って悪い位なものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中に、これといって、悪い人間はいないようだと云いましたね。然し悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型に入れたような悪人は世の中にある筈がありませんよ。平生はみんな善人なんです、少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変わるんだから恐ろしいものです。だから油断が出来ないんです」

「ああ。叔父さん、今日はって、断って這入って来ると好かったのに」

この場面、先生と私は、知らぬ人の家の庭に這入って、ごろっと横になって時間を過ごしているんだが、こんな風に鷹揚とした感じが明治の日本にはあったんだなあ。この感じがあるなら日本もまだ捨てたもんじゃあなかったけど。

白ければ純白でなくっちゃ

学問をさせると人間がとかく理屈っぽくて不可ない

誤魔化されるのは何方にしても同じでしょうけれども、載せられ方からいえば、従妹を貰わない方が、向こうの思い通りにならないという点から見て、少しは私の我が通った事になるのですから。

しばらくするうちに、私の眼はもと程きょろ付かなくなりました。自分の心が自分の座っている所に、ちゃんと落付いているような気にもなれました。

私はこんな時に笑う女が嫌でした。

私が夕飯に呼び出されたのは、それから三十分ばかり経った後の事でしたが、まだ奥さんと御嬢さんの晴着が脱ぎ捨てられたまま、次の室を乱雑に彩っていました。

『おれは策略で勝っても人間として負けたのだ』

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