革命のファンファーレ 現代のお金と広告 – 西野亮廣

頑張れば報われる時代は終わり、変化しなければ生き残れない時代に、僕らは立ち会っている。
面白いじゃないか。

面白いよ、確かに。僕も努力をするのは好きだし、この世界で生き残っていけると思うし、失敗したってなんとかなると思っている。しかし皆がそうではないから。しかし皆のことより僕がこの世を生き抜くことをまず考える。皆のことも少しは一緒に考える。

彼は現在、頭頂部の毛が完全にない理由を「メルカリで売った」と言い張るが、

「お金」とは信用を数値化したものだ。

金のことを考えてしばらく経つが、ようやく少しずつ分かってきた。どうやら金とは信用であり信用はお金よりも大切である。金を集めるのでなく信用を集めていく。
ちょうど少し前に、ある案件を取ることができなかった、ということがあった。見積を出して結果、断られることは珍しいことではない(まれに返事がない場合もあるが、こういうのはこっちからお断り。こちらが信用できないんだから、信用の値であるところの金を受け取る必要もなし)。
村上龍の言う信用は、自分が信用されたいと思う人やこの人とは一緒に何かをやってみたい、と思う人に信用をされたいと思い、そうできるように行動することである。僕はその会社の方と話をして、面白そうだなと思った。あまり詳しく書くといけないが、打ち合わせの席で将来的にはティファナに工場をおくこともあるかもしれないし、そういう風にしていきたい。ということを言っていて、Tijuanaといえば、Manu ChaoのTelcome to Tijuanaで、まさか旅先で数日滞在したあの街の名前が10年以上経って仕事の中で話に上がるなんて。
ちょうどその時(今現在も)、会社が始まって以来の仕事量になっていて、そういう中で、見積の後で、内容が変わって作業が増えたことを理由に、金額を釣り上げた。それがいけなかった。
実際のところ、この仕事がなくなって、量的にホッとしたところもあって、特に困るわけじゃあないが、そういうことではななく、あの会社との、あの人との信頼関係を築いていけなかったことが、残念だった。断りのメールを受けた時は、すごく残念に感じて、ちくしょーと何度も心の中で言ったし、しばらく心の中にわだかまりとして残っていた。
アンカリングとか提案の仕方に問題があったという考えもできるが、僕としては、金に関するテクニックみたいのは正直小細工くらいのもので、実効性があるものもあるが、あまり関係ないと思っている。それよりも僕という人間に大きな信頼があれば、そういう小賢しいことを考えなくても済むのだから。
少しくらい忙しくなって、それはつまり少しずつ信頼を集めている事実でもあるとは思うが、それに胡座をかくことで、信頼なんて簡単に壊れるし、無視される。僕は僕のやり方を変えずに、やっていくのが一番正しいやり方だし、正しい進み方をしていくのだと、再確認した。
急いじゃあいけない、僕の場合には、長く仕事を一緒にやれることで信頼も強くない、定期的に金も産む。それを集めればいい。

問題は「何を言ったか?」でななく、「誰が言ったか」だ。

これも大事なポイントだ。

生存競争は「弱肉強食」でなく「適者生存だ」

そうなんだよ。

AV業界に明るい友人が言うには、現在「えんとつ町のプペル」をモジッた「ちん凸待ちのアナル」というAVの企画が進んでいるらしいが、

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