吾輩は猫である – 夏目漱石

草枕、門が面白くて、有名な一冊を読んでみようと手に取ったが、思っていたよりも長くて、出来事が退屈なもので、途中を飛ばしてどんどんと読んでいくことになった。

「それじゃ、どんなものをやったんです」
「せんだっては近松の心中物をやりました」
「近松? あの浄瑠璃の近松ですか」
近松に二人はいない。近松といえば戯曲家の近松にきまっている。それを聞き直す主人はよほど愚だと思っていると、主人はなんにもわからずに吾輩の頭を叮嚀(ていねい)に撫でている。

こんな調子で、頭から終わりまで、人間の愚かしいところを吾輩の視点で見せていくわけだけど、刺激が物足りない思いがずっと続いていた。

面白かったのは、次のような言葉遊び。

「Do you see the boyか。ーなに君と僕の間柄じゃないか。そんな水臭いことを言わずに、引き上げてくれたまえな。死ぬか生きるかという場合だ。しばらく、しばらくって花道から馳け出してくるところだよ」

はじめの「Do you see the boy」は注釈によると「ずうずうしいぜ、おい」の音をふざけて英語化したものとあるが、こんなの当時の人はどうやって解するわけ?同じように注釈がついていたのかな。
太宰治はグッド・バイで「おそれいりまめ」という表現を使っていて、母親が言っていたような、どこかで聞いたことのあるようなダジャレだが、物書きはこういう風に笑いをいれられるのが、絵画やデザインのそれとは違っていて、実に面白い。

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