キッチン – 吉本ばなな

吉本ばななの「TSUGUMI」が古本屋の棚に並んでいて、昔々あまり本を読む人ではない母親が読んでいた記憶が出てきて手にとって見ると、同じ女性作家だからか、訳者のしわざいうことなのか、フランソワーズ・サガンの「悲しみよこんにちわ」と感じが似ているところがあり、とてもおもしろく読んだ。
その後にエッセイも1冊読んでみたが、あまり響かずに、デビュー作の「キッチン」を読みたくていたんだが、「TSUGUMI」と同じくたまたま古本屋で見つけて、手にとった。

ほんの少し知った後でも彼のその、どうしてか“冷たい”印象は変わらなかった。ふるまいや口調がどんなにやさしくても彼は、ひとりで生きている感じがした。つまり彼はその程度の知り合いにすぎない、赤の他人だったのだ。

甘やかな色

この世にはーきっと、悲しいことなんか、なんにもありはしない。なにひとつなにに違いない。

先は長い。くりかえしくりかえしやってくる夜や朝の中では、いつかまたこのひと時も、夢になってゆくかもしれないのだから。

ねえ雄一、世の中にはいろんな人がいるわね。私には理解しがたい、暗い泥の中で生きている人がいる。人の嫌悪するようなことをわざとして、人の気を引こうとする人、それが高じて自分を追いつめてしまうような、私にはそんな気持ちがわからない。いかに力強く苦しんでいても同情の余地はないわ。だって私、体を張って明るく生きてきたんだもん。

彼女たちは幸せを生きている。どんなに学んでもその幸せの域を出ないように教育されている。たぶん、暖かな両親に。そして本当に楽しいことを、知りはしない。どちらがいいのかなんて、人は選べない。その人はその人を生きるようにできている。幸福とは、自分が実はひとりだということを、なるべく感じなくていい人生だ。私も、そういうのいいな、と思う。エプロンをして花のように笑い、料理を習い、精一杯悩んだり迷ったりしながら恋をして嫁いでゆく。そういうの、すてきだな、と思う。美しくて優やさしい。ことにひどく疲れていたり、ふきでものができたり、寂しい夜に電話をかけまくっても友人がみんな出払っていたりする時、生まれも育ちもなにもかも、私は人生自分の人生を嫌悪する。すべてを後悔してしまう。

ひかえめで、親切で、がまんがきく。

典ちゃんは、ふわふわの長い髪を押さえながら少し笑って、鈴のような声で母親と電話をする。

月明かりの下を歩きながら、私は心底、ずっとこうして旅をして生きてゆけたらいいだろうなと思った。

人はみんあ、道はたくさんあって、自分で選ぶことができると思っている。選ぶ瞬間を夢見ている、と言ったほうが近いのかもしれない。私も、そうだった。しかし今、知った。はっきりと言葉にして知ったのだ。消して運命論的な意味ではなくて、道はいつも決まっている。毎日の呼吸が、まなざしが、くりかえす日々が自然と決めてしまうのだ。

ねえ雄一、私、雄一を失いたくない。私たちはずっと、とても寂しいけどふわふわして楽なところにいた。死はあんまり重いから、本当はそんなこと知らないはずの若い私たちはそうするしかなかったの。…今より後は、私といると苦しいことや面倒くさいことや汚いことも見てしまうかもしれないけれど、雄一さえもしよければ、二人してもっと大変で、もっと明るいところへ行こう。元気になってからでいいから、ゆっくり考えてみて。このまま、消えてしまわないで。

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