ヴェニスの商人

シェイクスピア。ハムレットに続いて2冊目。

ちょうどカラヴァッジオについて調べている時に読みはじめたのも何かの縁で、シェイクスピアがイタリアを舞台に物語を書いている。

印象に残った言葉あったが、それと同じくらい気になったのは、ユダヤ人を他者として扱っていることで、そんなにも風当たりがつよく、それをシェイクスピアも肯定的に描いているのは、時代というものであろうか。

元気がないな、アントーニオー、きみは世の中のことをあまり気にしすぎるのだ。世間というやつは、くよくよすればするほど、ままにならぬものなのさ。本当だよ、きみはすっかり変わってしまったな。

もっとも、よくは解りませんけれど、あまり御馳走を召し上がりすぎると、食べ物もなく、ひもじい思いをしているものと同様、やはりお体を悪くなさるとか、そうなると、身分もいい加減のところのほうが、いい加減のしあわせが手にはいるというわけでございましょう ー 度を過せば白髪を招き、程を守れば長寿を保つ。

いい格言だね。言いまわしも気がきいているし。

ユダヤ人は目なしだとでも言うのですかい? 手がないとでも? 臓腑なし、五体なし、感覚、感情、情熱なし、なんにもないとでも言うのですかい? 同じものを食ってはいないと言うのかね、同じ刃物では傷かつかない、同じ病気にはかからない、同じ薬では癒らない、同じ寒さ暑さを感じない、何もかもクリスト教徒とは違うとでも言うのかな? 針でさしてみるかい、われわれの体からは血が出ませんかな? くすぐられても笑わない、毒を飲まされても死なない、だから、ひどいめに会わされても、仕かえしはするな、そうおっしゃるんですかい? だがな、ほかのことがあんた方と同じなら、その点だって同じだろうぜ…クリスト教徒がユダヤ人にひどいめに会わされたら、ご自慢の温情はなんと言いますかな? 仕かえしとくる。それなら、ユダヤ人がクリスト教徒にひどいめに会わされたら、われわれ持ちまえの忍従は、あんがたがのお手本から何を学んだらいいのかな? やっぱり、仕かえしだ。没義道はそちらが先生、習っただけはおさらいして見せる。いや、それだけでは腹の虫がおさまらぬ、御指導以上にみごとにやってお目にかけますぜ。

外観は中身を裏切るものだーいつの世にも人は虚飾に欺かれる。裁判でもそうだ、どんないかがわしい曲がった訴訟でも、巧みな弁舌で味つけすれば、邪な心のひだを消しされるではないか? 宗教にしても同じこと、どんな異端邪説でも、殊勝げな坊主がそれを祝福し、聖書の言葉に照らして、もっともらしく解説しさえすれば、その忌まわしさも虚飾のかげに隠しおおせるではないか? 世にむきだしの悪というものはない、かならず大義名分を表に立てているものだ。どこにも多い臆病者、心臓は砂で作ったきざはし同様たわいない。そのくせ顎には勇士ハーキュリーズや軍神マルスのひげをつけ、厳しげに構えている。言うまでもない、その腹をのぞいてみれば、肝玉は乳のように白ちゃけているのだ。ただ、やつらは勇者の飾りを見せかけに、世間をおどしているにすぎない…美人をみるがいい、知れたこと、美しさもまた脂粉の目方で売り買いでき、その目方ひとつで世にも不思議な奇蹟が起る。つまり、顔に塗るものに目方をかければかけるほど、尻はますます軽くなるというわけだ。そうなれば、蛇のようにうねった金髪の捲毛にしても、あのうわべだけのお化粧美人の頭の上で、みだりがましく風とたわむれてはいるものの、元を洗えば、わがものならぬ貰い物、その金髪を養い遺してくれた人の頭は、今は髑髏(どくろ)となって墓の下に…こうして虚飾こそは、魔の海に人を誘い裏切る岸辺、色黒のインド美人の面を隠すきれいなかつぎ、一口にいえば、見てくれのまことらしさというやつ、ずるかしこい世間はそれを罠にしかけて、どんな賢者も陥れるのだ…

早く言えば、教養のない小娘、弁(わきま)えもなく、経験もございません。ただ、しあわせなことには、いまさら何を学んでも追いつかぬほど年をとってもおりませず、さらにましなことには、何を学んでもものにならぬほど愚かな生まれつきでもございませぬ。

ぼくは群れのなかの病める羊さ、人身御供にはもってこいなのだ。木の実も腐ったやつから地に落ちる。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA