おじいさんは山へ金儲けに―時として、投資は希望を生む – 村上 龍

経済や金融ということについて気になっていて、といっても投資をする予定は今の所ないのだが、商売をやっている以上は経済や金融についてある程度知識を持っていたほうがよいだろう、ということで前にもいくつか本を読んでみたが用語を解説するようなどうでもよいものばかりだったので、村上龍の書く経済本から読んでみようと思う。

つまり、政府や金融機関の誘惑に乗せられるのではなく、あるいは逆に市場に背を向けてしまうのでもなく、投資という重要な概念を知り、基礎的で本質的な知識を身につけようという目的で作られた。だまされないための方法は、たった一つしかない。「知る」ことだ。

現在から将来に向けて、自分の利益となり、自分自身の生の充実を支える何かが育っているという意識・感覚、それが希望だ。ひょっとしたら、投資と希望は同義語なのかも知れないと思うことがある。

単に幸運を待つことも、時間という大切なコストを払っているという意味では投資の一種ですが、特に「こうなりたい」という希望を持って、努力や時間といったコストをかけることは、人生における投資行為といえます。将来の何かを目指して、人生に前向きに取り組むときの意思決定は、勉強をすることも、就職の選択も、恋愛や結婚といった行動にも、その考え方にはお金の投資に通じるものがあります。人生の選択を「投資」としてとらえると見通しがよくなることがしばしばあります。

あるところに、おじいさんとおばあさんがいました。二人は貧しくて、無知でした。ちなみに、貧困と無知は、人間の社会にとってもっともよくないことです。ただ、おじいさんは、明日もきっと今日と同じ日が来るだろうと思っていましたが、おばあさんは少し違いました。おばあさんは、おじいさんのような、何の能力もない男と結婚してしまったことおを後悔していたので、今日という一日の使い方によっては明日が変わってくる、ということに気づいていたのです。

弱いものをいじめるのは、面白いことなのかもしれん。だが、わたしもよくは知らんが、世の中には、もっと面白いことがあるんんではないかな。わたしたちには想像もできん面白いことがあって、それは弱いものをいじめるよりも、百倍も、千倍も、面白いのかもしれんぞ。

「それはよい心がけでございます。母親を心配させると、ろくなことはございません」

村に帰ってみると、知らない人ばかりが歩いていました。竜宮城の三日は、地上の百年だったのです。母親はとっくに死んでいて、太郎のことをたいそう心配していたということもわかりました。太郎は悲しくて、たくさん泣きましたが、泣いていてもしょうがないと思いました。竜宮城の楽しかった日々が、太郎に自身を与えていました。太郎は、竜宮城で、人生は楽しむためにあるのだということを学んだのでした。

子供や孫、それに家族が、わたしたちの幸福の条件なのかどうか、本当のところはわかりません。家族を作ったために人生がボロボロになってしまう人も、この世の中には、大勢いるのです。家族を作るだけで人生が幸福なものになるというのは、大嘘です。幸福な家族を作るためには、努力が必要ですし、不幸にならないためには、お金が必要なこともあります。

しかし、将来の不確実性を具体的に「リスク」に翻訳して扱うという方法は、生きていくうえでぜひとも身につけておくべき技術であり思考習慣です。

リスクなしにリターンは増えないが、ハイリスクがつねにハイリターンというほど世の中は甘くない

「ポチや。おまえは、わしに似て、からだも小さくて貧弱だし、力も弱そうだ。だがな。おまえの頭はおまえのもんだ。頭を働かせれば、いろいろなことができる。それにな。ここが大事なんだが、頭を働かせるのは、楽しいことだぞ」

名人のおじいさんは、一秒もかけずに、一個分のもちをちぎって投げることができました。おじいさんの手の動きは、あまりにも速くて、目でとらえることができませんでした。そのおじいさんは、もうすでに、腰が曲がっていましたが、とてもやさしそうな顔をしていました。わたしは、そのおじいさんの顔を今でもはっきりと覚えています。なぜ覚えているかというと、もちつきが、非常に楽しかったからでしょう。

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