ゲゲゲの鬼太郎 傑作選1 – 水木しげる

思い立ち、漫画を熱心に読んで研究してみようと思う。
水木しげるは映像でみると、どうも重心がおかしく感じ、調べてみると戦争で左腕を失っているっていうんだから、両腕と両目使える僕は、弱々しいことなんか言っていられないと強く思う。身体を鍛え、心を鍛え、絵を描き、歌を歌い、タイ語を話して自分の道を見届ける。

wikiによれば「高等小学校卒業後、画家を目指して大阪で働きながら学ぶ。」とある。どういう風に学んでいたのかは知らないが、絵を見ていると面白い表現があるし、模写をしてみると少ない線で、細かい表現がされていることもある。

物語は辻褄合わせが無茶苦茶で、絵でなくて、テキストで説明して展開していく強引なところもあるが、それでいいのだ、と思った。
絵に関しては、技術がほしいと思うが、当たり前だがそれが全てではない。

こうやって漫画をみて、子供の頃夢中になって読んだ漫画で、すぐに諦めたが漫画家になりたいと思ったこともあって、子どもたちが見てオモシロイと思ってもらえるような何かをつくりたいと思った、思ってしまった。

wikiより
「幼少時、まかない婦として家に出入りしていた景山ふさ(のんのんばあ)が語り聞かせた妖怪の話に強い影響を受ける。」
「5歳の頃のある日、「死」に興味を抱き、3歳の弟を海に突き落とそうとするが、近所の大人に見つかり、両親にしかられた上に、当時同居していた「ねーこ」と呼ばれる祖父の妹(大叔母)に「やいと(灸)」をすえられた」
「自身も認めるマイペースぶりから朝寝坊してゆっくり朝食をとり、たいてい2時間目くらいの時間から登校するという変わった生徒だった。」
「立派な画家になるんだと思い詰めて一心不乱に独習を重ねてきた自身の方が、もったいぶって教える先生より技量が上と感じたという」

おやじ
おこるなよ
だれだって
利害によって
あっちについたり
こっち

ついたり
するもんだ
人生って
そんなもんだよ

ねずみおとこ


子供の頃から、このねずみ男の身体の汚れ表現が大好きだった。


この夜空の表現


これも


この台形が家に見えるのだから不思議。何かでたけしが映画を撮るときに、誰かを訪れるシーンがあって、その後に男がそこに倒れていれば、乱闘シーンはなくてもいい、みたいなことを言っていて、漫画でも十分に使える考え方。

竹久夢二「セノオ楽譜」表紙画大全集

keybooksのセールにて。

中をみると、セノオ楽譜という大正期の楽譜の表紙を行っていたらしい。これに限らず、表紙や挿絵を多く行っていたよう。今で言えばyoutubeのサムネイルみたいなもの。さらに詩や童話なども創作していたと。文章表現と絵を合わせて何かやりたいと思う。やりたいやりたいと思うのは勝手だが、僕ももうすぐ44になる。技術の習得に頭がいきがちだが、作品作りをしていくことが同じくらい、いやこちらの方が大事なのかも知れない。その意味ではyoutubeチャンネルを作品発表の場として開設するのは良い働きをしてくれることになりそう。

自分のファン(というのもおこがましいが、まあそういう人たち)に、無料でイラストを描くと言ったところ15,6名がほしいと手を上げ、途中までやってみるとプロフィールに使われないケースもあり、もちろん、僕がそういう条件を掲げていなかったので相手方は何も悪いことがないのだが、その程度の欲しさで、「僕も私もお願いしたい、後藤さんのファンなんで、本当に嬉しいです」と言えるのだから、などと感じて、嫌な思いがなかなか消えなかったが、例えば阪神タイガースのファンだといいながらタイガースが負ければ罵声を浴びせることは目にしてきていたわけだし、どこかの国のサッカーファンは試合に負けた選手を殺したこともあるとどこかで聞いたような覚えがある。ようするに様々なファンがいるってことを知れたいい機会になったわけで、逆に何も言わなくてもプロフィール画像に使ってくれたり、ステッカー印刷をしてスマホに貼ってくれていたり。当然、後者に好意を持つわけだが、どちらにも心を揺さぶられないような強さを備えなければいけないと感じ、身体と心をここから鍛えることにした。

絵の方は、たまに描いていたタイ料理のイラストが色の扱いの良い訓練になっていて、次の「アユタヤへの列車旅」のサムネイルは思いの外良い絵になった。色の扱い、並べ方、美術解剖学の勉強にクロッキー会への参加。今はこれらが楽しくて、力になっていることも実感する。しかし先にも書いたが、知識や技術を積み上げるのは結構なことだが、それを上手に使って、面白い作品をつくること、そして願わくばそれらが人々に受け入れられること、ここまで持っていかなければならない。人がどう感じるかはもう知らんから、どのような受け入れられ方をされたって良いのだと思える強さを持つことにする。たぶんそれはまったく相手にされないよりは良いのかも知れない、いや、ひょっとすると相手にされずに放っておいてもらった方が良いのかも知れない。とにかくやってみて外からの反応を得て、それに自分がどう反応するのかを見なければ分からない。まずはそこまで。

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 – 村上春樹

久しぶりに村上春樹を読んでみたくなり、これまで読んだことのなかったこれを古本屋で購入。

村上春樹は有名なだけに良くない声も沢山聞くが、ぼくは羊以外は好きで、一時期熱心に読んでいて、特に少しまわりくどいようにも感じる文体や比喩表現が好きで、この小説からも気になるところがたくさん拾えた。

読み終えてとこれまで読んだ村上春樹作品の中で一番良かったと感じている。
海辺のカフカや騎士団長殺しも良かったのだが、これが一番現実的だったのではないか、騎士団長殺しには小人か何かが出てきたはずだし、海辺のカフカにも何かピエロか何かがでてきたんじゃなかったっけ。と思ったけど、色彩を持たない多崎つくるでもピアノの上の袋なんかが不思議なものだったが、全てが現実にとらえられるもので、小人やピエロも何かのメタファーなのだろうけど、ファンタジーっぽい表現よりも現実的な表現に惹かれるから。
それでも、今現在僕が思うことの答えや、疑問への何かがいくつか出てきて、やっぱり小説を読むのはおもしろいなあと思いながら毎日長湯をしながら楽しく読んだ。

おれが言いたいのは、上手な負けっぷりも運動能力のひとつだということだよ。

三度目に会ったとき、食事のあと彼の部屋に行ってセックスをした。そこまではごく自然な流れだった。そして今日がその一週間後。微妙な段階だ。このまま進めば、二人の関係は更に深いものになっていくだろう。彼は三十六際で、彼女は三十八歳。当たり前のことだが、高校生の恋愛とはわけが違う。

着こなしの上手な女性を見るのは昔から好きだった。

時間をかけて彼女の肌を撫でるのは素敵だったし、射精を終えたあと、その身体を抱きながら優しい気持ちになれた。でももちろんそれだけでは済まない。そのことはわかっていた。人と人との結びつきなのだ。受け取るものがあれば、差し出すものがなくてはならない。

「限定された目的は人生を完結にする」

ヴォルテールが言いたかったのは、思考よりはむしろ省察と言う事なんじゃないのかな」と作るは言った。
相手はわずかに首をかしげた。「省察省察を生むのは痛みです。年齢ではなく、ましてやでもありません」

フランツ・リストの「ル・マル・デュ・ペイ」です。「巡礼の年」と言う曲集の第一年、スイスの巻に入っています」

コックはウェイターを憎み、どちらもが客を憎む

独創力とは思慮深い模倣以外のなにものでもない。

そして休学届けを出し、一人で全国をあてもなく移り歩きました。肉体労働をして生活費を稼ぎながら、暇があれば本を読み、多くの人々と触れ合い、人生の実地経験を積んだということです。

僕が知る限り、父はおおむね家と職場を行き来するだけの生活を送っていました。不思議なものですね。どんなに穏やかに整合的に見える人生にも、どこかで必ず大きな破綻の時期があるようです。来るための期間、と言っていいかもしれません。人間にはきっとそういう節目みたいなものが必要なのでしょう。

ラウンド・ミッドナイト

ああ、才能と言うのはたしかに時として愉快なものだ。見栄えもいいし、人目も惹くし、うまくいけば金にもなる。女も寄ってくる。そりゃ、ないよりはあったほうがいいだろう。しかし才能いうのはな、灰田くん、肉体と意識の強靭な集中に支えられて、初めて機能を発揮するものだ。脳みそのどこかのネジがひとつ外れ落ちてしまえば、あるいは肉体のどこかの結線がぷつんと切れちまえば、集中なんぞ夜明けの頃のように消えちまう。例えば奥歯が疼くだけで、ひどい肩こりがあるだけで、ピアノはまともに弾けなくなる。本当だよ。

「考えてみれば、なんだか不思議な話よね」と沙羅は言った。「そう思わない? 私たちは基本的に無関心の時代に生きていながら、これほど大量の、よその人々についての情報に囲まれている。その気になれば、それらの情報を簡単に取り込むことができる。それでいてなお、私たちは人々について本当にはほとんど何も知らない」

しかしもちろん彼女には彼女の生活がある。そして言うまでもなく、彼女の生活のほとんどの部分は、彼の知らない場所で怒られ、彼とは関わりのない物事で成り立っている。

「よく人に聞かれるんだが、意味はまったくない。ただの造語だよ。ニューヨークの広告代理店がトヨタの依頼を受けてこしらえたんだ。いかにも高級そうで、意味ありげで、響きの良い言葉をと言うことで。不思議な世の中だよな。一方でコツコツと鉄道駅を作る人間がいて、一方で高い金をとって見栄えの良い言葉をでっち上げる人間がいる」

おれが覚えているのはシューマンの曲だけだ。「子供の情景」の中の有名な曲。「トロイメライ」だっけな。

何はともあれ、できるだけ自分に正直になるしかないだろう

それは石のように硬く揺らぎない完璧な勃起だった。

でも話はそれほど簡単では無いはずだ。人は日々行動を続け、日々その立ち位置を変えている。次にどんなことが持ち上がるか、それは誰にもわからない。

「才能のことはよくわからない。でも私の作品はけっこうここでよく売れているの。たいしたお金になるわけではないけれど、自分の作ったものが、他の人たちに何らかの形で必要とされていると言うのは、なかなか素敵なことよ。」