絶望名人カフカの人生論 – フランツ・カフカ、頭木弘樹

カフカの名があり、パラッとめくってみるとカフカの言っていたことが見られたので買ってみると、カフカの言葉の横に本書の著者のコメントが入っているという形態のものであった。

どうやらカフカはかなり繊細だったよう。今でいうHSPと呼ばれる類なのかもしれない。僕も自分がそうであるように思うが、最近は自分はHPSだとかADHDだとかいう人が目立つようになってきて、誰でもそういう側面があるから、そういう風に考えるのが面倒になってやめた。

バルザックの散歩用ステッキの握りには、
「私はあらゆる困難を打ち砕く」と刻まれていたという。
ぼくの杖には、「あらゆる困難がぼくを打ち砕く」とある。
共通しているのは、「あらゆる」というところだけだ。

ぼくはひとりで部屋にいなければならない。
床の上に寝ていればベッドから落ちることがないように。
ひとりでいれば何事も起こらない。

ぼくは、ぼくの知っている最も痩せた男です。
体力はないし、夜寝る前にいつもの軽い体操をすると、たいてい軽く心臓が痛み、腹の筋肉がぴくぴくします。

誰でも、ありのままの相手を愛することはできる。
しかし、ありのままの相手と一緒に生活することはできない。

最後の家族 – 村上龍

村上龍 2003年の作品。
随分前の作品だが、自立の話など普遍的。

強い人が何かするのだと思っていたが、そうではないと思うようになった。何かすることで、否応なく強くなる場合もある。知美をいじめる者は誰もいなくなった。やりたいことをやっていいのだとわかった。

大工とか、職人は、いい人が多いよ。単純だから。でも、何て言うか、態度が横柄なやつも多いんだ。現代の大工は、腕も確かで、かつ紳士的でなきゃね

とにかくおれたちの世界では、いろいろとまわりに気を遣うヒマがあったら、板の一本も削っちまったほうが金にもなるってことだよ。

前にも話したと思うけど、オヤジは印刷所で働いてて、毎日毎日同じ仕事で、家じゃ愚痴ばっかり言ってたから、勤め人はいやだったんだよ

からだも精神もボロボロに疲れているときには激励や慰めは役に立たない。好きだ、という言葉や仕草だけが、からだn皮膚の内側から自分を支えてくれるのだと思った。

そういった仲間とは、どうしても話さなければいけないことを話していたわけじゃなかった。
ただ、そういうグループは大事だ。たとえば兄のことで落ち込んでいるときに、みんなでどうでもいい話をしていると、一時的にいやなことを忘れることができる。そういうグループから追い出されたり、いじめに遭うのは恐い。いやなことをずっと自分一人で抱えていなければいけないからだ。
でも、小学生から年寄りまで、ずっとそういうグループを作って生きていかなければいけないのだろうか。年寄りはよく公園で集まって話したりゲートボールをしたりして、グループを作っている。子連れのおかあさんたちも公園でグループを作っている。テレビのドラマを見ていると、OLにもそういうグループがあるようだ。大学へ行っても、就職しても、結婚しても、年寄りになっても、そういうグループの中に入って生きていかなければならないのだろうか。グループの欠点は、みんなに合わせなければいけないということだ。何となく自分は大学に行くものだと決めていた。わたしは何をしに大学へ行くんだろうか。単に一緒に居酒屋に行って楽しくはしゃぐような、そういう新しいグループを見つけるために行くんだろうか。

自分の仕事の話で悪いんだけど、宝石のデザインというのも、コミュニケーションだと思うんだ。自分のデザインで、見る人や、お客さんに何かを伝えるわけでしょう。だから、奇をてらうっていうか、変わったデザインで、単に目立っても、意味がないんだよね。この指輪は変わってるねって言われるために、デザインしているわけじゃないんだからね。この指輪はきれいだねとか、この指輪は魅力的だねって、言ってほしいわけだから、自分がデザイン的にやりたかったことが伝わらないと意味がないわけ。相手に伝わらないと意味がない。それが全てだと思うな。

人が多いときは、あまり切実な話はできないんだよね

「辞める、っていうのと、誰かがおれを辞めさせようとしている、って全然違うでしょう。辞めようかなっていうのは、自分が一度選んだことだっていうのが、曖昧になってしまうんだよね。別に最初からそんなにやりたいわけじゃなかったし、って思えるんだよ。単調な仕事に飽きて、いやになったときに、どう思うかだよ。自分はこの仕事をやりたい。でも誰かがぼくを辞めさせようとしている。そう思うようにしたら考えが変わったんだ。」

疲れているだけでは人間は怒りださない。プライドが脅かされる。つまり生きることに困難を感じたときに人は怒り出すのだと、カウンセラーに教えられたことがある。

何がどう変わったのかはわからないが、強くなった感じがする。そして遠くなった感じもする。

近藤は、自分の決断と、わたしの決断を、ごちゃまぜにしていない。近藤の決定は、近藤のものだ。

決めるのは自分だ。

自分の考えを人に言えなかっただけではない。自分の考えを人に言うということがどういうことか、わかっていなかったのだ。

他人のことは放っとけばいい。だからおれのことも放っといてくれ。それが引きこもりを支える基本原則だ。それは正しい。他人のことは放っとけないーどうやらそれがこの社会の原則らしいが、それはクソだ。

自販機の横にゴミ箱があった。ベージュ色の容器に、缶・ビンと、白い文字で表示された二つの穴がある。穴は花束を突き刺すにはちょうどいい大きさだった。

でも、元気の反対は疲れてる、ってことだろう

対等な人間関係には、救いたいというような欲求はありません。

喪失感は、離れていった大切な人間の記憶を、心のどの場所に仕舞っておくかを決めるために必要なのだと言われた。

深夜特急1 ー 香港・マカオ – 沢木 耕太郎

yotubeで大沢たかおの深夜特急があがってきて、観てみると久しぶりに読みたくなり本棚から。
ドラマの方の大沢たかおがずいぶんと若かった。あの頃は少し年上に見えていたように思う。

パスポートと現金だけは、パンツの中にしまったり、首から吊るした革袋に入れたりして、しっかり抱いて寝る。それは同室者を疑うとか疑わないの問題ではなく、あとでごたごたしないための、ドミトリー暮らしをする者の最低限のエチケットといってよかった。

仕事でもなんでも同じ。あとで面倒にならないように、やるべきことってのがある。それを信頼してるからとかなんとか耳障りのいい言葉を並べてズボラにして、後で何かあれば、馬鹿な犬のように怒り出す。こういう気配りができないやつは駄目。

香港には、光があり、そして影があった。光の世界が眩く輝けば輝くほど、その傍らにできる影も色濃く落ちる。その光と影のコントラストが、私の胸にも静かに沁み入り、眼をそらすことができなくなったのだ。

持てる者が常に豊かで、持たざる者が貧しいかといえば、それはそう簡単なことではない。<中略>自分が情けないほどみじめに思えてくる。情けないのはおごってもらったことではなく、一瞬でも彼を疑ってしまったことである。少なくとも、王侯の気分を持っているのは、何がしかのドルを持っている私ではなく、無一文のはずの彼だったことは確かだ。

だが、一指も触れなかった女にどうして助平などと罵られなければいけないのだろうと言おうとして、そうか、だから助平なのか、となぜか深く納得してしまった。しかし、あそこで突如として麗儀に襲いかかったとしたら、助平とは言われなかったろうか。いや、言われたろう。でも、どうせ同じように助平と言われるのなら、どうしてあの時…と後悔したが、文字通りあとの祭りだった。麗儀は二度と私の部屋に遊びに来ることはなかった。

身体の関係を持ってしまうと、その後の生活でも関係を持たないわけにはいかなくなるから、気軽に手を出したり出来ないとか、自分を強く律したが、実際のところそんなこともなく、1度きりで終わっても互いによければ良いし、1度関係を持ったあとでも、身体の関係なしに、食事などに行くこともできるということが分かった。互いが良ければ何でも良いのだ。あまり一般的な考えに支配されないほうが良い。

ゴアとマラッカとマカオ。それらはいずれもポルトガルのアジア貿易の前進基地としての役割を果たしところである。

山の音 – 川端康成

11月に入るとイラストを描いて、たくさんの人に見てもらえる機会ができた。
ギャラリーで高い金額を支払って展覧会をやって、絵が売れたって半分をギャラリーに持っていかれるような見せ方をするよりも、今のやり方の方がずっと多くの人に見てもらうことができる。

そういうわけで、ここでのイラストはしばしお休み。

岩乗(がんじょう)

頑冥(がんめい)

頑固で考え方が柔軟さを欠き、物事の道理がわからないこと。

はっきり手を出して妻の体に触れるのは、もういびきをとめる時くらいかと、信吾は思うと、底の抜けたようなあわれみを感じた。

頂上の木々のあいだから、星がいくつか透けて見えた。

具合よく

ここでは貞操観念が失われているのではない。男は一人の女性を愛しつづける苦しさと、女が一人の男を愛する苦しさに堪えられず、どちらも楽しく、より長く相手を愛し続け得られるために、相互に愛人以外の男女を探すという手段。つまり互いの中心を堅固にする方法として…。

近頃の娼婦である。背を丸出しにして、布のサンダルをはき、いい体である。

あの野生の娘が一尾の伊勢海老をどう料理して、外人に食わせるのだろうか。

陰った(かげった)

三十幾年後の今、信吾は自分たちの結婚がまちがっていたとはお持っていない。長い結婚生活は必ずしも出発に支配されない。

幸福に見える嫁を好いて、不幸に見える娘をきらうように聞こえた。残酷な悪意を含むかと疑われるほどだ。

菊子は信吾の年齢の心理まで邪推はしない。信吾を警戒もしない。

「私が通弁してさしあげますわ。」
「通弁か。どうせばあさんのひとりごとなんだろう。」

父は家の相続人なしに、残生を送る決心をしたものとみえる。

面映(おもば)ゆい

きまりが悪い

「しかし、女にはどの女の気持ちもみな分ると思うのもどうかね。」

頓死

にわかに死ぬこと。急死。

「気ちがいには年齢はないさ。われわれも気が違ったら、大いに若返るかもしれないよ。」

自分はあんあに絶望的な愛情をこめて、妻の名を呼んだことが、一度だってあっただろうか。外地の戦場にいた修一の、ある時のような絶望も、おそらく自分は知らずに来たのだろう。

年寄りの冷水と早起きは、いやがられますよ。

顔はみっともないが、乳房は色も白くて、みごとである。

当時の日本でも色白が良いとされているよう。

「男も女も書き置きするのは、若い人の心中ですよ。それも、いっしょになれないのを悲観してとかいう…。夫婦なら、たいてい夫が書けば、それでいいし、わたしんあどがいまさらなにを言い遺すことがあります?

当時の日本人は男性も女性もこういう考えだったのだろうか。きっとそうだったのだと思う。それから急に男女平等や女性の社会進出となったのだろうから、うまくやれない男女が出てくるし、日本の場合、そちらの方が多いように思う。

菠薐草(ほうれんそう)

行李

(こうり)とは、竹や柳、籐などを編んでつくられた葛籠(つづらかご)の一種

乳房は柔らかいままだった。張ってこないのは、女が信吾の手に答える気もないのだ。なんだ、つまらない。

「なんだ、つまらない。」というのは、森鴎外の死ぬ時の言葉だったと、信吾は気がついた。

人事を尽くして天命を待つんだな。

愛と幻想のファシズム(下)- 村上龍

下巻のかなりはじめの方に思っていたよりもうんとあっけなく、ゼロの言葉が出てきた。5ページ目。
そしてゼロの言葉だと記憶していたが、ゲッペルスの言葉。
また、広告でなく宣伝という言葉を選んで翻訳している意味は何か、この先の疑問とする。

ゲッペルスは、宣伝を次のように定義しています、『どんな種類の宣伝が有効か、また逆に無効かを決定する理論上の公式はない、望んだ結果を生み出す宣伝がよいのであり、それ以外はすべて悪い宣伝である、たとえどれほど魅力があってもである、宣伝の任務は、人を楽しませることではなく、結果を生み出すことにある……』

40ページくらい?、これもかなりはじめの方、クロマニヨンが福島兄弟を襲う辺りから気づくと引き込まれていた。空の浴槽に入って、シャワーから熱い湯を出して、湯をためながら本を読むのが習慣なのだが、気づくともう少しでお湯があふれるところまできていて、村上龍が「半島を出よ」の球場でロケットランチャーを撃つシーンを取り出して、「こういうのを書かせたら俺は得意だから。書けちゃうから。」というようなことを言っていて、半島を出よを書いた時よりももっと若かった村上龍の感じがたまらなく思う。そういう台詞を言うことに少し抵抗を感じてしまいそうになるが、そうではないのだと思う。矢沢永吉も「自分のことをできるんだって言ってやらなきゃダメだよ」と謙虚なのか自身がないのかで「ボクのはたいしたことじゃないけど、なんていうならやめちまえ」と。

たまに「カンブリア宮殿」が面白くて見るのだが、今の村上龍は当たり前だが、年を重ねていて、それは同じだけボクも歳を重ねているのだが、もう今の村上龍にはこういう作品は書けないし、別に書こうとも思わないのだろう。何かというと今、今の自分がやれることを全力で出していくっていう当たり前のことしかやれないんだなと思った。

結局、ゼロが言うゲッペルスの言葉が再確認できてから、どうも気が乗らなくなり、福島兄弟を襲うシーンが終わると読む気がなくなって半分くらいで読むのを止めにした。

狩猟者が数ある政治結社の中でも群を抜いた戦闘部隊を持つことを示しました、組織の結束はより強固になり、支持者も増やすことができたのは、何よりも『クロマニヨン』の攻撃精神だと思うのです。

ゲッペルスは、ヒトラーからベルリンの体管区長に選ばれて、『アタック』という気管支を発行しました。

相互依存は恐ろしい勢いで進んでいた。日本人はそのことに最も無知な民族だった。南の人々、第三世界の人々、アジアの中進国の人々はよく知っていた。彼らは痛めつけられていたからだ。自分たちの怠慢や失敗だけが、不幸の原因ではないのだと、よくわかっていた。

無条件降伏とは何だ? それも、本土決戦もせずに…ナチスドイツはしようがないよ、ベルリンが落ちたんだから、もう戦いようがない、しかし日本は違う、オレは今でもプライドを持てないね、たかが原爆二個で降伏しやがって、米軍は日本上陸に関して米兵の死者を五十万と見ていたというから、どうしてギブアップしたんだ? ベトナムごとき小国が勝った例もあるんだぜ、それほど侵攻作戦は難しいんだ、米軍の戦死予測は正しいと思うよ、それなのに、どうして平気で降伏したの?

愛と幻想のファシズム(上)- 村上龍

小説の中でゼロが言う台詞を確認したくて3度目の愛と幻想のファシズム。
目的の台詞は上巻には出てこず、下巻に持ち越し。
ハードカバーで買うと、装置が横尾忠則氏。

「わたしも一度だけ行ったことがある、旅としては最高だよ、北極海を見るんだ、きっと何かを感じるよ」

チャイコフスキーのバイオリンコンチェルト

罠師アルバート・ジョンソン

実在の人物のよう

樵(きこり)

この男はおそらく未熟児で生まれたに違いないと俺は思った。未熟児が生き残るのは動物園の動物か人間だけだ。飼い猫でさえ未熟児には授乳しない。

これは俺の経験から来てるんだけど、すごい奴っていうのはそいつに何か例えば才能みたいのがべたっとくっついているんんじゃなくて、何か欠けてる場合の方が多いんだ。

映画が失敗してからカナダから帰るまでゼロとフルーツは音信が途絶えたままだった。相手も寂しかったのだとわかって、フルーツは嬉しかったのだろう。

完全失業率が4.5%を越えたことを示すように

労働力人口(15歳以上の働く意欲のある人)のうち、完全失業者(職がなく、求職活動をしている人)が占める割合。
2020年4月 日本 2.6% アメリカ 14.7%
2020年5月 タイ 9.6%
今のタイは、この物語で描かれている日本よりも数字は悪い。タイの場合は、田舎では飯が食えてしまうのだろうか。だとすると職についていなくてもひょっとすると幸福に暮らしていくことができるのかもしれない。

誰でも幸福になることはできる、だが貧乏人には快楽はない、民主主義の世の中でもそれは同じなのに、今の貧乏人は幸福だけでは足らないみたいで快楽を得ようとしている、そんなもの絶対手に入りっこないのにな…。

麝香(じゃこう)

男達は共同で獲物を追い、女達は子供を育てながらその帰りを待っている、生活がそのままよろこびとなるような社会だ、

人間は、いやなことをやっていくと、必ず病気になって、生きのびることができないようなからだの仕組みになってるんだ

だがこの頃すでに俺とゼロは時田史郎を逆に利用し続けるための話し合いをたびたび持った。将来面倒なことになるような契約は交わさないといった程度のものだったが、

自殺なんかした奴のことっは忘れた方がいいぞ

山岸良治が話の途中で俺から視線をそらすのは、照れだ。

経営者の特質は白痴性と情緒的なことだ、といつかゼロは言った。

ボクは若い頃白痴性を持っていて、情緒的だったが、今はそうではなくなったと思っている。ゼロのいう経営者の特質は持っていないかもしれない。

繰り返すが

大切なことは繰り返そう。

テロル

暴力行為あるいはその脅威によって、敵対者を威嚇 (いかく) すること。恐怖政治。テロ。

科学的で、単純なものでなければならない

恐怖に勝てるのは興奮だけなんだよ

トウジ、いいか? 今の父系社会っていうのは本当はすごく不自然なんだ、母系社会の方が自然なんだよ、

タイの一般層は母系社会に見えるよな。政治家なんかは別だけど、インラックって女性首相はいたな。タクシンの娘だから操り人形なのか何かしらないけど。

母系社会っていうのは生まれてくる子供の父親が誰だかわからない社会だろ?

奢侈品

しゃしひん – 必需品以外の物。ぜいたく品。

だまされてこき使われるためだけに生きてる奴がいっぱいいる、そいつらに邪魔されずに生きなきゃだめだってね

「裏切るってのはどういうことかな」
「価値観とか態度を兵器で変えてしまうんだ」
「誰だって変える時はあるよ」

いいか? 好き嫌いってのは一番大事なんだ、それはもう理屈じゃない、カレーライスが好きだっていうのもバーボンが好きだっていうのも、絶対に説明がつかないことなんだよ

「人を裏切るのは気分が悪いものだ、そうだよな、誰だって人を裏切るのは嫌いなはずだ、だから嫌いなことを普段やっていないやつ、つまり奴隷じゃない奴は、とりあえず信頼できるんだ」

威す

おどす

飢えは、それが強烈であればあるだけ、僅かでも充たされると喜びに変わる。そういう人間は他人と契約で付き合おうとするから確かに経営者に向いているかも知れない。だがその程度では経営する企業を巨大にすることは出来ない。巨大企業の経営者はすべてに恵まれていなくてはいけない。リスクを負ってはいけない。

男の容量を決定するのは、その二つだ。情報と、快楽。

金持ちはケンカをしない。ゆう然と見ているだけだ。

完璧だよ、みんなプライドを持ってる、プライドを持った人間は強いよ、まあ、うまいものも時々食わせてるしさ、女は厳禁だけどね、

努力して手に入れるものに価値があるというのは、芸術家とスポーツ選手にだけ言えることで、貧乏人には当てはまらない、嘘なんだ

山岸良治は俺と同じで、人間の集中力・闘争心も地球の資源も、有限なのだと知っている世代なのだ。

小綬鳥 

こじゅけい

契約だ、相互依存のシステムを作っておけば、侵略は起きない、政治のい・ろ・は、だよ、

話し合いにおいては情報の多い方が勝つとは限らない。だが使い方を心得ていれば、情報の多い方が圧倒的に有利だ。

いや、予算案とASEAN会議で忙しくて、下らないんだが、これが仕事でね、

アストラカン

アストラハン地方に産するカラクール種の子羊の毛皮。 柔らかい巻き毛が特徴。 また,それに似せてつくった毛長のパイル織物。

クロポトキン

ピョートル・クロポトキン

身近な人間が死ぬのは悲しいことだが、物理的に灰になってしまえば忘れることができる、発狂者は生き続けるからな、忘れれないんだ、こんなに悲しくて憂鬱なことはない…。

認知症の親と近いものがある。

ロボトミー

英語から翻訳-ロボトミー、またはロイコトミーは、精神外科の一種であり、脳の前頭前皮質の接続を切断することを含む精神障害の神経外科的治療です。脳の前頭葉の前部である前頭前皮質との接続のほとんどは切断されています。 ウィキペディア(英語)

すごい事件が。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ロボトミー殺人事件

ジョナス・メカス、ケネス・アンガー

俺達はすべての不安をとり除いてやり、人格を認めてやり、必要な存在なのだとおだてあげ、仲間として共有した甘美な過去を思い出させてから、発狂させた。精神的拷問の常套手段だ。

「男と女って、尊敬し合うものなのか?」

オショロコマ

お箸以外は持ったことないいうのは、成金の子供だけだわ、本当の財閥は、ちゃんと生きていけるようにしっかり教育するのよ」

天才的な宣伝家がいなければ権力は固まらず、維持できない、あんたにはゲッペルスが必要だ、いるか?

目の前に浮いているくそみたいにふやけたオレンジを食え、

骨髄を吸った

ラップ人

MISSING 失われているもの – 村上龍

村上龍の新刊。
いきなり余談だが装丁のデザインも自身で手掛けたようで、とりわけかっこいいというものでもないけれども、失礼な言い方かもしれないが、高齢になっても自分で挑戦する姿勢は見ていて気持ちが良いしこの先の自分の糧にしたい。

これまで多くの村上龍作品を読んできたが、少しこれまでとは違うもので、読みはじめると、非現実的な世界のことが書かれていて、まるで村上春樹っぽいなと思わされた。ボクは村上龍に限らず現実的に書かれているものが好きなので、読むのに時間がかかった。

自身の幼少期の体験から、自分を分析するような内容がずっと続く。途中のツミキをいじる辺りは、コインロッカー・ベイビーズで弟の方が確か触っていたのと同じだよなあ。

表現というのは、信号や情報を発することじゃない、信号や情報を受けとり、編集して提出することだ。

いつも必ず一人きりだったが、決して寂しそうではなかった。ただし、幸福そうにも見えなかった。幸福ではないが寂しくはない、というような女性を見るのははじめてだった。

女の表情には、幸福な人間を許さないという嫉妬心が見え隠れしていた。

シューベルトの子守唄

わたしは、PC以外ではメールをしない。ほとんど一日中、PCに向かって仕事をしているわけで、わざわざハイエンドの携帯端末などでメールをやる必要がないし、小さなモニタを指先でタップするのは性に合わない。

わたしはどちらかといえば内向的で、非社交的だが、父はそうではなく、小さいころから、その孤独癖を何とかしろとか、他人と関係をするのを恐れるなとか、そんなことを言われ続けた。

かしこ

何か、こう、頭の中に、ときどきたくさんライトがですね、いや、ライトは、野球の、外野のライトじゃなくて、明かりのことですが、

村上龍のこういうユーモアが大好きだが、今回はほとんど見られなかった。

「困っている人を助けると、いつか自分も助けられる」
母親はそんなことを言ったが、説得力があった。

生後三ヶ月くらいまでの乳児が見ているのは、制御されていない自己像と世界像であり、それらはまるで密教の曼荼羅とか、ボッシュという画家が描く世界に似ているらしい。混乱に充ちているというより、混乱だけで成立している世界だが、乳児は、そこからでることを拒む場合がある。そして、そとに向かって知覚を拡大するきっかけになるのは、美しいと感じる本能、つまり黄金比などの獲得による。たとえば福笑いで、ばらばらの顔を見ると嫌悪を示し、鼻や目が整理されると微笑むようになるのは、生後三ヶ月を過ぎてからだということだった。

最近はハナの子供やケンタロウの子供などのこともあるのか、コロナで実家で足止めを食っているとはいえ、一人でいる感覚にあることが長いからなのか、子供が欲しいという思いに包まれることがある。

挑戦まで手紙が届きますかと聞くと、郵便局の職員は、わからんね、と素っ気なかった。でも、一ヶ月ほど経ったころ、信じられないことに、在籍証明が着いた。京城女子師範の職員もおそらく戦後の混乱で散り散りになっていたはずなのに、いったい誰が事務手続きをしてくれたのだろうと、不思議な気持ちになり、配線の日、朝鮮人の暴徒が押し寄せてから、あらゆることに悲観的になっていたが、真っ黒な空に小さな光が見えたような、何か暖かいものを感じた。

永遠に続く楽しみや喜びなどない、わたしはそんなことを理解したような気がする。

「身だしなみに気をつけること」

ペスト – カミュ

「今日、ママンが死んだ」の異邦人を読んで、ペストと転落もバンコクの本棚でなかなか読むことにはならずに長く積読していたが、このロックダウンで売れている本に入っているということで、日本で新しく購入。

そう言えば、異邦人は映画になっていたのを思い出して、ひょっとするとペストも、と思ってみるとあるみたい。https://en.wikipedia.org/wiki/The_Plague_(1992_film)
残念ながらyoutubeにはない。

ここのところ自社サイトのリニューアルに時間と頭を使っていて、入浴中にやっていた読書もリニューアルまでの残りの作業やどうやって成果に繋げていくかといようなことばかりを考えているので、まったく集中できなかった。本当はそういう風に仕事のことで熱くなった頭をクールダウンさせるために小説を読めると良いと思うのだが、猛烈にとりくんでいるので、そういう余裕がないのかもしれない。

なので、ほとんど小説が残っていない。ウェブサイトはかならず成果に結びつくものにするし、そうなるだろう。

したがって、この町で人々が愛し合うその愛し方を明確に描くことは、かならずしも必要でない。男たちと女たちとは、愛欲の営みと称せられるもののなかで急速に食い尽くし合うか、さもなければ、二人同士のながい習慣のなかにはまり込むかである。この両極の間に、中間というものはそう見かけない。これもまた特異なことではない。オランでも他のところでも、時間と反省がないままにん、人々はそれと知らずに愛し合うことをいかにも余儀なくされているのである。

戦争が勃発すると、人々はいうー「こいつは長くは続かないだろう、あまりにもばかげたことだから」。そしていかにも、戦争というものは確かにあまりにもばかげたことであるが、しかしそのことは、そいつが長続きする妨げにはならない。愚行はしつこく続けられるものであり、人々もしょっちゅう自分のことばかり考えてさえいなければ、そのことに気がつくはずである。

天災というものは人間の尺度とは一致しない、したがって天災は非現実的なもの、やがて過ぎ去る悪夢だと考えられる。ところが、天災は必ずしも過ぎ去らないし、悪夢から悪夢へ、人間のほうが過ぎ去っていくことになり、それも人間中心主義者(ヒューマニスト)たちがまず第一にということになるのは、彼らは自分で用心というものをしなかったからである。

よく何か良くないことがあると、「止まない雨はない」というようなことを言う。今回のコロナの件でも何度か聞いたが、「いや、待てよ。そんなこともないよな」という考えがよぎった。止まない雨だってあるし、何かの問題に苦しみその問題が解決されないままに自分の命の方が先に終えることだって世界にはたくさんあるはずだ。だからと言って悲観的に生きろということでは全くないが、なるべく現実に沿って生きていたいと思うということだ。

メランコリック

「憂鬱(ゆううつ)なさま」や「ふさぎ込んでいるさま」を意味する言葉
一時村上龍の本によく出てきたような印象のある言葉。

この病疫の無遠慮な侵入は、その最初の効果として、この街の市民に、あたかも個人的感情など持たぬ者のように振る舞うことを余儀なくさせた、といってもいい。

我々が、自分たちは全く妥協の余地のない状態の中にあり、「折れ合う」とか「特典」とか「例外」とか言う言葉は全く意味がなくなっていることを納得するまでには、多くの日数を要したのである。

彼らはこのようにして、何の役にも立たない記憶を抱いて生活すると言う、すべての囚人、すべて流刑者の深刻な苦しみを味わった。

これも言っておかねばならぬが、ベストはすべてのものから、恋愛とさらに友情の能力さえも奪ってしまった。なぜなら、愛はいくらかの未来を要求するものであり、しかも我々にとってはもはや刻々の瞬間しか存在しなかったからである。

ヒュウガ・ウイルス―五分後の世界2 – 村上龍

2020年4月 世界はコロナにやられている。カミユのペストがやたらと読まれているよう。ボクもバンコクの書架に1冊置いてあるのだが、まだ読めていなく、アマゾンで取り寄せている所。仕方なくというか、これも読みたかったので、村上龍のヒュウガ・ウイルスを。
全体の構成が歌うクジラと似ているようで、こちらは主人公は女性だが、何人かのグループと一緒に行動する中に主人公がいたり、やたらと強い変わり者と会ったり、物足りなかった。

でも、すべてのことを実現できるわけではありません。一番に大切なことを実現して、他はその後です。

「確かに今は食糧は充分ではない、だがそれは恥ではないから隠す必要はない」

北極でもない限りウイルスはどこにでも忍び込む

というのも南極の空気はとてもきれいだから。細菌やウイルスなどが大気に舞っていないので、風邪をひかないといわれているのです。そのため、南極地域観測隊の隊員たちは、南極に向かう前には病原体を持ち込まないよう、風邪はもちろん、虫歯や水虫まで完治させてから出発するそうです。
というのがネットにあったが、南極のことだろうか。
北極や南極ではウイルスが生きられないのかというとそういうことでもないよう。

まず第一にこいつらは、とコウリーは思った。とにかくよく勉強するのだ、他に語学がうまくなる方法はない、第二に、こいつらはキャサリン・コウリーを必要としているわけではない。

疫学

伝染病の流行動態を研究する医学の一分野。また広く、集団中に頻発する疾病の発生を、生活環境との関係から考察する学問。

こういう集団の中では謝ってもしょうがないのだ。

取り扱われる商品はタイガーバームからプロトニウムまでといわれるが、

元気な人間が元気のない人に元気をあげる、これが東洋の価値観でしょう

パイロット語は英語なんだ、フランス人だって管制塔と話す時は英語なんだぞ。

フォード ブロンコ

それは生物学ではなく心理学だ、と言ったとたん交渉が決裂することをコヤマは分かっている。

われわれはできることを一つ一つやっていくだけだ

脳に疲労が溜まると人間は凶暴になり集中を欠く

「ウイルスにも種類があるのか?」
「ある、こいつはフィロウイルスという種類で、エボラやハンタウイルスの仲間だ、細菌などに比べるとウイルスは美しい形をしている、結晶に近い幾何学的な配列だ、正十二面体球体、円錐形、まわりにトゲを持つのもいるし、コロナのような輪を持つのもいる、細菌に感染するウイルスは後ろ脚で立った昆虫のような形をしている

コロナ

フランス人の金持ちは基本的に合衆国やイギリスをバカにするが、子供達には単に必要だからという理由で必ず英語を学ばせる。