43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層 – 石井 光太

昔からこういった異常な事件に関する本にどういうわけだか惹かれて、何冊も読んでみている。
それは自分も世の中とうまくやれない、はみだしものだからかと思ったりした。まとまって(群れをなして)生きていくのが人間なので、はみだしものが生きづらくなるわけだが、狼は群れをなして行動するが、群れから離れた一匹狼が敵に気づいたり、あらぬ場所から餌をみつけてきたりして群れを生かすこともあるようなので、本当は強く生きて欲しい。

気の良さそうな顔立ち

犯罪とアルコールの関係は深く、「傷害および殺人事件」の四十〜六十パーセント、「強姦事件」の三十〜七十パーセント、「DV事件」の四十〜八十パーセントにアルコールが関係しているという。

二〇一五年に殺人で検挙された未成年(十四歳〜十九歳)の数は、六十二名に上る。この歳が特に多いわけではなく、警察庁の統計によれば、前年が五十五名、翌年が五十一名と、例年四十〜六十名台にもなっている。

「デザイン思考」を超えるデザイン思考 DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー論文 – 濱口 秀司

デザイン思考(Design Thinking)という言葉を世に広めたのは、IDEOのCEOティム・ブラウンとされている。・彼はデザイン思考を[デザイナーの感性と手法を用いて、顧客価値と市場機会の創出を図るもの」と定義した。

つまり、狭義のデザインに留まらず、ビジネス上の問題解決などを設計する手法としてデザインをとらえ始めたのである。

さらに、ここ10年で興味深い変化が起きている。それは「ストーリー価値」の台頭である。顧客は意味性を重視するようになっているのだ。
たとえば、いま米国で最も売れているBeatsというヘッドホンは典型例である。ビーツにはまず、低音が素晴らしいという機能価値がある。また、ファッション性も非常に高い。さらにこれは、人気ラッパーかつプロデューサーのドクター・ドレー公認のブランドである。彼が、音楽ではなく音づくりを始めたというストーリー性も加わり、爆発的ヒットを記録している。

時代とともに、技術やデザインの差異から生まれる競争優位性は、コピーという攻撃を受けた際にポジションを守ることが困難になっているが、ストーリー性だけは、コピーされてもオリジナル価値が揺るがない最後の価値である。そのストーリーとひもづけることで、デザインと機能の価値を拡大することができるのだ。

人間は視覚的な生き物であるため、まずはデザインを認識する。

3つの価値を伝えるためには、デザインは一目でわかるもの、機能はそのポイントを3つ程度で言えるもの、ストーリーは誰でも語れるものであることが肝要である。

経営者のみなさん! 準備できていますか? – 桑田 一成

お客さんでもあり、プライベートでもお付き合い頂いている人が師匠と言う方の本。

鶏口牛後 大きな組織の末端で働くより、小さな組織を率いる方が良いという意味です。

私も博報堂でいるときに最後のチームリーダーが似たことを言っていたが、理解するのにしばらく時間がかかった。

来店したある中国人経営者に、席数を増やそうと考えていることを話すと、「席数を増やせば自分の仕事量も増える。むしろ席数を減らして顧客単価を上げるほうが経営効率が良い」と教えてくれました。

今の私の状況は、案件を増やしすぎて仕事量が増え続けている。仕事量を減らして顧客単価を上げて、経営効率をあげる方向に舵をきらなければならないが、なかなかそのように立てない。もう少し安定してから、ということを考え続けて、本当は「今」が最高のタイミングなのだろうが、勇気が出ず。次の見積もりからは少し単価を上げてみる。

『オープン間もない店ですから、頑張って買い取ります」という一言を意識的に添えて買い取るようにしました。そうすることで、来店するすべてのお客様にインパクトを与えることができるからです。

これは私の持論ですが、誰かのためになにかをすることで、人間本来のパワーを発揮できると考えます。

社長は夢を語れ

本日2019年1月31日に思うこと、日本人も含めタイ人や英語を話す人とも仕事をしていく機会をつくっていきたい。
今日サウナで湯に浸かっていると、スリランカ人とフィンランド人と一緒になった。フィンランド人の彼にアジアとヨーロッパの人の違いを聞くと、アジア人(彼の知っているタイ人)は、ヨーロッパと比べると恥ずかしさを感じるのが強い。向こうでは間違ったことを言っても構わないが、こっちの人は間違えると恥ずかしがる。うむ。日本人はタイ人よりもっとそうだろうと思うと言うと、彼もきっとそうだと言った。 こういう話が面白いから、まだまだもっと世界を広げることをしたほうが良い。

バンコクの日本社会の中の競争に巻き込まれて疲弊するのはバカバカしい。ちょうどひとつタイ人のお客さんのサイトが仕上がったことだし、この波に乗っていく。他の会社や人たちとは違う、別の成長をしていく会社にする。

私が思うに、商売とは、小さな企業努力と問題解決の積み重ねであって、それによって店舗間の格差が生じるのです。

企業のブランディングも非常に大切です。中小零細企業が多額の経費をかけずにできるブランディングがあります。お客様が持つ自社のイメージを取り込むのです。

歌うクジラ 上 – 村上龍

この前に読んだ村上龍作品の「オールド・テロリスト」と「半島を出よ」の2冊が面白すぎて引き込まれたのだが、この作品の特に前半では退屈をしてしまい、ガスケットというゲームやイスンの戦闘シーンなど読み進めるのがつらいところがあった。
しかし後半では、この作品で描かれる未来の様子がいくらか鮮明に想像できるようになって、下巻でどうなっていくのか。

小さいころは他の子供といっしょに捕まえたネズミに灯油をかけて焼き殺したり犬の肛門に強い成分の辛子を詰めて暴れさせたあとに殴り殺したりしたが、それは単なる遊びだ。

老人施設でサツキという女は汗や唾液や尿などからだから出る液体を全部舌でていねいにすくい取るように命令して、自分の分泌液は蜂蜜のような香りがするはずだと言った。本当に蜂蜜の匂いがした。

お前アリが知ってるか。知らない、と首を振ると、昆虫のアリは英語でantと書くらしくて、サガラという人が軽蔑する人びとも通称antで、それはautomatic negative thoughtの略だった。当たり前のことさえものごとが悲観的に考える人間のことなんだ、サガラという人はそう答えた。総合精神安定剤がantを生んだのだそうだ。

英語の主語と述語、たとえば I と have の間には何もないが、日本語には何種類もの助詞がある。わたし、持つ、では意味が通じない。わあたしは持つ、わたしが持つ、わたしを持つ、わたしで持つ、わたしより持つ、わたしから持つ、全部意味が違う。助詞は一世紀も前から移民の日本語力の判定に使われてきた。助詞は覚えにくいので日本語習熟度の度合いを測るのに便利なのだ。日本語の動詞と名刺では助詞の使い方が違う。行くからね、と動詞のときは、からね、を使うが、ピアノだからね、と名詞のときは、だからね、を使う。行くだからね、という風に間違う移民が多いのだと父親は言った。移民たちが日本の象徴として日本語の助詞をターゲットにし、反抗の意思表示として故意に崩し始めたのは第一次内乱のあとだった。

気に入られるという意味は、ここにいてもいいということだとぼくは理解した。アキラをわたしたちに気に入られたのはね、とアンは言った。父が必要以上のお金で欲しくないからアキラが体内チップなんか関係ない、わたしたちを何が大切にしているのか考えてみているをいいを思うのよ、その人をどのくらいニッポンに反抗しているか、反乱に加わっているか、抵抗と示しているか、それだけが信頼を基準になっているの、それだけは信頼を基準なのよ、わかるでしょう、アキラを自分が抵抗しているのがちゃんと話して、わたしたちをそれが聞いたでしょう、だからわたしたちがアキラが気に入られたの。

メモリアックで両親の内蔵が飛び散るところを見たあとにもっとも卑しい人間だと三回言わされたのだとヤガラという人が言うと、オグラという人はすまなかったと謝った。

悲しみや喜びという感情は何が起こるかわからない未来に対するために人間が手に入れたものだと父親に聞いた。未来が不確実であることこそ絶対の事実だと学ぶために、感情が必要だった。天変地異や災害が起こり思いがけない幸運や悲劇が起こることが当たり前のことだと太古の人類が学んだときに、喜びや悲しみという感情は必要となった。動物は喜びや悲しみを表現することはあるが自覚はできないのだと、島の人間であっても動物とは違うと父親から教えられた。だが父親から屈辱や辱めという言葉を聞いたことはない。屈辱が犬のクソを誰かに塗りたくられることだとしたら島には屈辱はない。屈辱という概念には前提があるような気がした。対等とか平等とか、幻想的で郷愁を誘う言葉が前提にある。もっとも卑しい人間と復唱させられたときヤガラという人はからだを震わせていてぼくはこの人はいったい何をしているのだろうと不思議だった。卑しいというのは単なる言葉だからバクスのような力のある階層から言えと命じられたら、ぼくもサブロウさんも何万回だって言うだろう。たとえ犬のクソを塗りたくられても、テロメアを切られて殺されるよりはるかにましだ。殺されないようにしなければならない。それが最優先だ。島では幼児でもそれを知っている。

さっき何を話すなと言ったのが仲間内へ会話すると危機感と緊張は薄れて相手に対抗する力を弱まるんだよ。

さっき学んだが欲望は見ることから始まる。

それらを解釈してはいけない。あらゆるものから逃げ延びるのだ。この、素晴らしい汚辱に充ちた世界を旅せよ。そして生きのびて必ずわたしの元にやってこなければならない。

笑ってはいけないと、サツキという女は何十回とぼくに命令した。ぼくは一度も笑っていないのに、笑いは真剣さを奪うのだと何十回となく言いながらサツキという女は異様にツルツルした肌を押しつけてきた。

他人の悲しみや苦しみは長続きしない娯楽だ。自分の悲しみや苦しみを見て誰か他人が似たような思いを抱くという想像は冗談であり娯楽だ。親子でも同情はない。

あがりと。

サブロウさんは首を振りながら、父親だけどんな猿だったんだ、と聞いた。ネギダールという女は動物の骨で作られた髪飾りでマッチを擦って煙草に火を点け、大きいが俊敏な猿だったらしいが精子と体細胞を採取されたあとにすぐに殺されたのでおれは父親の猿には会ったことがないが会いたいと思ったことも一度もないんだ、と答えた。

庭は建物の窓から洩れる明かりと軒から吊された赤い提灯に照らされて、日的反乱分子是熱烈歓迎、接待如疾風怒濤、電脳是情知袋、というような感じが読めた。

中国人だと思われる東アジア系の人々が丸テーブルを回し大きな皿に盛られた料理を自分の小皿に移し口に運んでいる。油にまみれて光っている青い野菜、反り返ったりねじれたりしている小さな魚、小動物の足のように見える細切りの肉、半月形の饅頭のようなもの、灰色と黄色の粉、平たい紐のような麺、みたことのな料理ばかりだ。

天井から下がるガラス玉と電球の照明器具を反射している。

風呂は大切で入るがいい、男と女は分かれて風呂に入る、と男はまた小さい声を出した。

結局は利益のためにぼくとサブロウさんを助けた。利益以外に他人を助ける理由はない。

想像させるには言葉が必要だとあのとき学んで、診療バスで医師らしい男を脅すことができたのかも知れない。だとすると宋文は、想像によって何事かがかのうになり、実現する場合があるのだと学ぶ機会がなかったのかも知れない。

だがわたしは盗聴などには屈しない。作家は本質的に自由でどこかに追い詰められても閉じこめられても追いやられても、その場所で言葉を紡ぐ。だから自由なんだ。

現場のプロから学ぶ SEO技術バイブル

インターネットが生活の当たり前のインフラになり、水道の蛇口をひねって水を流すように、スマホやパソコンのキーボードを叩いて情報を検索するようになった。質の高いウェブサイトをつくる、ということには様々な意味が含まれるが、内部と外部の施策を考え、検索結果の上位に結果が現れてくるようにする、というのが間違いなくひとつある。必ずしも検索結果で上位を獲得できなくても、ウェブを使って集客をすることはできるが、『質の良い』と言うからには、それは担保しておきたい。

Airbnb Story 大胆なアイデアを生み、困難を乗り越え、超人気サービスをつくる方法 – リー・ギャラガー、 関 美和

日本語で書かれた企業理念も魅力的な文章で、物件の写真をプロのカメラマンが撮影することにして爆発的ヒットを生んだというくらいしか知らなかっエアビーアンドビー。
共同創業者3人のうち、2人がデザイナーであるという事実、そして経営の門外漢であったことには勇気を与えられる。

話題づくりのためのシリアルはなかなかやるなと思ったし、

テクノロジーのスタートアップってみんな、それほど独創的でもないひと昔前のアイデアを、ちょっとオシャレでミニマリとっぽいデザインのウェブサイトで飾って、新しいものみたいに紹介してるだけじゃない?

[世界を居場所にする」
それがエアビーアンドビーのミッションで、究極の目標だ。

世界中のどんな問題も創造的なデザインで解決できると教わってきた。どんなものでも、かならずデザインできる。理想の世界をデザインすることだってできる。

できあがったサイトには、大げさな宣伝文句を並べた。(「国際デザイン会議で新しい人脈をつくろう!」)。

そこには、エアマットと枕とおまけの袋が置かれていた。袋の中には地下鉄のパス、サンフランシスコの地図、ホームレスの人たちに渡す小銭が入っていた。

「朝食をチェンジ!「みんなのお皿にホープを!」

みんな写真が下手で、2009年当時はアップロードの仕方がわからない人も多かった。そのために、実際は素敵な部屋でも、写真では暗くて薄汚く見えた。そこで、ホストの部屋にプロの写真家を無料で送り込むことにした。

そこで、誰かを雇う前にコア・バリューをつくることになった。3人は、「オリンピック選手のように必死に努力する」「家族的な精神を築く」「エアビーアンドビーを強く信じる」など、10か条の原則を書き出した

旅行者が一泊100ドルの部屋を予約すると、12パーセントのサービス料がかかるので、エアビーアンドビーは12ドルを上乗せし、旅行者は112ドルを支払う(清掃費などそのほかのすべての費用はホストが持つ)。
エアビーアンドビーはその12ドルを取り、ホストからは100ドルの3パーセントを徴収する(ホストは97ドルを受け取る)。

必ず3クリック以内で予約が完了すること。
チェスキーとゲビアがヒーローとして憧れるスティーブ・ジョブズは、iPodを開発したとき、3クリックで楽曲が手に入るようにデザインさせた。

プロが写真を撮った物件は普通の物件より2倍から3倍の予約が入ることがわかり、2011年の終わりにはプロの写真サービスを月1000件から5000件に増やしたところ、予約数は急上昇した。

エアビーアンドビーをせんでn「あなたの夢を叶える、おとぎばなしの世界のようなエアビーの18のお城」といった具合に。

地元のカフェやバーやジムを鍵の受け渡し場所にするサービスだ。カフェやバーに受け取り用のボックスを設置する。ホストは月に12ドル95セント(と受け渡し時に1ドル95セント)を支払って、RFID内蔵のキーホルダーを受け取る。旅行者はキーカフェアプリをとおしてアクセスコードをもらい、それでボックスを開ける。ホストは鍵の受け渡しが終わったら連絡を受ける。地元のカフェやバーは人の往来が増えるので喜ぶ。

2013年のサラ・レイシーとの対談で、チェスキーは旅行客がホテルを選ぶ理由を3つ挙げている。予約に手間がかからないこと、なにを得られるかがわかっていること、そしてサービスだ。

騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編 – 村上春樹

ダブルベースの同じ開放弦を一度だけぼんと鳴らしても、チャーリー・ミンガスの音とレイ・ブラウンの音が確実に違って聞こえるのと同じように。

「イマヌエル・カントはきわめて規則正しい生活習慣を持った人だった。町の人々は彼が散歩をする姿を見て、それに時計の時刻を合わせたくらいだ」と私は言ってみた。

たとえどのような年齢であれ、すべてを女性にとってすべての年齢は、とりもなおさず微妙な年齢なのだ。

感情をうまく制御することができるようになったのだ。たぶんそのためのなんらかの自己訓練が行われたのだろう。

しかし実のところ、ほんの数週間前に描き終えたばかりなのに、自分がいったいどのような絵を描いたのか今ではうまく思い出せなかった。いつもそうだが、ひとつの絵を描き終え次の作品にとりかかったときには、その前に描いていた絵のことはおおかた忘れてしまう。漠然とした全体像としてしか思い出すことができない。ただその絵を描いた時の手応えだけは、身体的な記憶としてまだ私の中に残っていた。私にとって大事な意味を持つのは作品自体より、むしろその手応えなのだ。

歳をとっていくのは怖くありませんか? 一人ぼっちで歳をとっていくことが?

絵の制作には実際のモデルを前にして進めるべき作業があり、モデルが前にいないときに準備しておくべき作業がある。私はどちらの作業もそれぞれに好きだ。様々な要素について一人で時間をかけて考えを巡らせ、いろんな色や手法を試しながら環境を整えていく。そういう手仕事を楽しみ、またその整えられた環境から自発的に即興的に実態を立ち上げていく作業を楽しむ。

彼は呆れたように私をみた。「今はもう二十一世紀なんだよ。それは知ってたか?」
「話だけは」と私は言った。

「明日は明日だ。今日は今日しかない」と雅彦は言った。

要するに、自分で飯が食べられれなくなったら、あとは静かに死なせてくれということだよ。まだ意識のはっきりしているうちに、弁護士をとおして文書のかたちにされていて、本人の署名もある。

同時進行させていた二つの絵のうちで、先にできあがったのは「雑木林の中の穴」の方だった。金曜日の昼過ぎにそれは完成した。絵というのは不思議なもので、完成に近づくにつれてそれは、独自の意思と観点と発言力を獲得していく。そして完全に至ったときには、描いている人間に作業が終了したことを教えてくれる(少なくとも私はそう感じる)。そばで見物してる人にはーもしそのような人がいたとすればたがーどこまでが製作途上なのでなのか、どこからが既に完成に至った絵なのか、まず見分けはつくまい。未完成と完成図を隔てる一本のラインは、多くの場合目には映らないものだから。しかし描いている本人にはわかる。

どうだろう、と私は思った。免色のような深く込み入った意識を抱えた男が、秋川笙子のような、どちらかといえばあまり屈託のないタイプの女性にそこまで強く心を惹かれるものだろうか?

二ヶ月ほど前のことだが、おれはつきあっていた女の写真を撮った。ディジタル・カメラで、顔の正面からのアップを撮った。で、それを仕事用のコンピュータの大きな画面に写し出した。そしてどうしてかはわからないけど、真ん中から分けて、顔も半分ずつ見たんだよ。右半分を消して左半分だけを見て、それから左半分だけを消して右半分だけを見て…だいたいの感じはわかるか?

「よくわからないけど、話がややこしくなりそうだということは理解できる」
「ややこしくなるんだよ、実際に」

デザイン面から見る限り、この建物の設計を担当した建築家の想像力は、それほど活発なものではなかったようだ。

そして薄手のセーターにブルージーンという格好になった。

別の場面で、秋川まりえを描写するときには『ブルージンズ」という表現を使っていたが、ここでは昔からの『ブルージーン』という独特の表現が帰ってきた。

「ねえ、私の言ったことをオウムみたいに繰り返すのはよしてくれない?}
「悪かった」

「相手が普通の人間なら『おい、からかうな』と腹を立てるところだが、まあおまえだからあきらめるしかないみたいだ。所詮は油絵を描いて一生を送るようなやくざな、的はずれな人間だ」

どんなに恐ろしくても、恐怖に自分を支配させてはならない。無感覚になってはならない。考えを失ってはならない。

かたちあるものにとって、時とは偉大なものだ。時はいつまでもあるというものではあらないが、あるかぎりにおいてはなかなかに効果を発揮する。だからずいぶん楽しみにしておりなさい

知らない場所で眠り込んでしまうのは不安だったし、できることならずっと目覚めていたかったが、ある時点でとても我慢できないほど眠くなった。もうそれ以上目を開けていることができなくなった。

免色の弾くモーツァルトは日々少しづつより正確になり、そして音楽としてよりまとまりのあるものになっていた。注意深く、そして我慢強い人なのだ。目標をいったん設定したら、そこに向かってたゆむことなく進んでいく。感心しないわけにはいかない。しかし彼の弾くモーツァルトは、もしそれが破綻なくまとまりのあるものになったとしても、音楽としてどれくらい心愉しいものになり得るだろう?

象のような目をした性格のよさそうな女性だった。

Buddhism Illuminated: Manuscript Art from Southeast Asia – San San May , Jana Igunma

ソンクラン前に仕上げる予定の店内壁画のための資料として。
部屋においておくと、月に2度掃除をしてくれるメー・バーンからこの本を使わない時に借りてもいいかと尋ねられた。仏教に興味があるのだな。

テクノロジー4.0 – 大前研一

バンコクに大前研一塾だかなんだかに入っているという、うるさいおじさんがいて、私はその人間の意地が悪くて肝の小さいのが好きでないのだが、彼を好きでないことと大前氏のことは別なので試しに1冊手にとって見たが、2017年の2月に書かれたものだったようで、幾分古い内容だった。

ザッポス

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騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編 – 村上春樹

なんだかんだと読んでみると面白くて、特に今回の作品は「騎士団長殺し」というタイトルから現代の生活とは関係のない内容を想像していたが、そんなことはちっともなく、また絵を確認人間にとっては興味深く読める部分がある。

そしてあえて言うまでもないことだが、無名の画家の号数の大きな抽象画を購入し、自宅の壁に飾ってくれるような奇特な人が出現する可能性はどこまでもゼロに近い。

とはいえ私は仮にも画家を志したものであり、いったん絵筆をとってキャンバスに向かうからには、それがどんな種類の絵であれ、まったく価値のない絵を描くことはできない。そんなことをしたら自分自身の絵心を汚し自らの志した職業を貶めることになる。誇りに思えるような作品にはならないにせよ、そんなものを描いたことを恥ずかしく思うような絵だけは描かないように心がけた。それを職業的倫理観と呼ぶこともあるいは可能かもしれない。私としてはただ「そうしないわけにはいかなかった」というだけのことなのだが。

ずっと奥の方までのぞき込めば、どんな人間の中にも必ず何かしらきらりと光るものはある。それをうまく見つけて、もし表面が曇っているようであれば(曇っている場合の方が多いかもしれない)、布で磨いて曇をとる。なぜならそういった気持ちは作品に自然に滲み出てくるからだ。

高度にプロフェッショナルではあるが、かといって機械的に手順をこなしているだけではない。それなりに気持ちは込めている。料金は決して安くはないが、顧客たちは文句ひとつ言わずそれを支払う。私が相手にするのはそもそも、支払い額など気にもしない人々だから。そして私の手腕は口コミで人から人へと伝わる。おかげで顧客の来訪は絶えない。予約帳はいつも埋まっている。しかし私自身の側には欲望というものが見当たらない。ただのひとかけらも。

彼女はそれについてひとしきり考えた。それから、長いあいだ水中に潜っていた人のように、水面に顔を出して大きくゆっくりと呼吸をした。

派手なオレンジ色のダウン・ジャケット、ブルージーンズ、ワークブーツという格好だった。

昔の作品では「ブルージーン」という表現を使っていたはずだが、「ブルージーンズ」に変えたのだな。

眠りたいだけ眠った。

人にいろんな側面があるように、物体にもいろんな側面がある。子供たちはその面白さをすぐに理解してくれた。

幸福な気持ちで絵を描けたとしたら、それでもうじゅうぶんではないかと私は考えていた。

そして気怠く回転する天井の扇風機を見上げながら、アイデアだかモチーフだか、そんなものがやってくるのを待ち受けた。

そこには生命の温かみがあるからだ。

もともとが謙虚な性格の人ではない。他人と穏やかで友好的な関係を維持することは、彼の得意分野ではなかった。そのようにして「孤立」がこの人の人生を貫くライトモチーフになる。

市民たちは温かいカフェの中でラム入りコーヒーを飲んでいる。

今ちょうど挽きたてのコーヒーにラムをたらして飲んでいる。

絵のモデルになるというのは、往々にして丸裸にされることでもあります ー 多くの場合実際的に、またときとして比喩的に。画家は目の前にいるモデルの本質を、少しでも深く見抜こうとします。つまりモデルのまとった見かけの外皮を剥がしていかなくてはならないということです。しかしもちろんそのためには、画家が優れた眼力と、鋭い直感を持ち合わせている必要うがあります。

一般的には膠と顔料と箔などを主に用いた絵画であると捉えられています。そしてブラシではなく、筆や刷毛をで描かれる。つまり日本画というのは、主に使用する画材によって定義される絵画である、ということになるかもしれません。もちろん古来の伝統的な技法を継承していることもあげられますが、アバンギャルドな技法を用いた日本画もたくさんありますし、色彩も新しい素材を取り入れたものが盛んに使用されています。つまりその定義はどんどん曖昧になってきているわけです。

私は長いあいだ眠っていた筋肉を叩き起こし、フル稼働させなくてはならなかった。疲れはしたが、そこにはある種の物理的な心地よさがあった。

「削り取られたのではなく、そのぶんが別の場所に移植されたのだと考えるのが、現実の世界における公式的な見解です」と私は言った。

彼が耐えきれずに射精をすると、それに合わせて彼女は異国の鳥のような声を短く上げ、彼女の子宮はそのときを待ち受けていたかのように、精液を奥に受け止め、貪欲に吸い取った。

「どう、十分硬くなったかしら?」と彼女は尋ねた。
「金槌みたいに」と私は言った。
「釘だって打てる?」
「もちろん」
世の中には釘を打つべき金槌があり、金槌に打たれるべき釘がある、と言ったのは誰だったろう? ニーチェだったか、ショーペンハウエルだったか。あるいはそんなこと誰もいっていないかもしれない。

我々が夫婦関係を正式に解消し、それからあとも友だちの関係でいられるとは、私にはとても考えられなかった。我々は結婚していた六年の歳月を通して、ずいぶん多くのものごとを共有してきた。多くの時間、多くの感情、多くの言葉と多くの沈黙、多くの迷いと多くの判断、多くの約束と多くの諦め、多くの快楽と多くの退屈。もちろんお互いに口には出さず.自分の内部に秘密として抱えていることもいくつかあったはずだ。しかしそのような隠しごとがあるという感覚さえ、我々はなんとか工夫して共有してきたのだ。そこには時間だけが培うことのできる「場の重み」が存在した。我々はそのような重力にうまく身体を適合させ、微妙なバランスをとりながら生きてきた。そこにはまた我々独自の「ローカル・ルール」のようなものがいくつも存在した。それらを全部なしにして、そこにあった重力のバランスやローカル・ルールを抜きにして、ただ単純に「良き友達」なんかになれるわけがない。

肖像画というのは基本的に、相手が描いてもらいたいという姿に相手を描くことです。相手は依頼主である、できあがった作品が気に入らなければ、『こんなものに金を払いたくない』と言われることだってあり得るわけですから。ですからその人物のネガティブな側面はできるだけ描かないようにします。良い部分だけを選んで強調し、できるだけ見栄え良く描くことを心がけます。そういう意味においてきわめて多くの場合、もちろんレンブラントみたいな人は別ですが、肖像画を芸術作品と呼ぶことはむずかしくなります。

私は六年間、ユズと共に最初の結婚生活を送っていたわけだが(前期結婚生活、と呼んでいいだろう)、そのあいだほかの女性と性的な関係を持ったことは一度もなかった。そういう機会がまったくなかったわけではないのだが、私はその時期、よその場所に行って別の可能性を追求するよりは、妻と一緒に穏やかに生活を送ることの方により強い興味を持っていた。

私はその基本線のまわりに、木炭を使って何本かの補助的な線を加えていった。そこに男の顔の輪郭が起ち上がってくるように。自分の描いた線を数歩下がったところから眺め、訂正を加え、新たな線を描き加えた。大事なのは自分を信じることだ。線の力を信じ、線によって区切られたスペースの力を信じることだ。私が語るのではなく、線とスペースに語らせるのだ。線とスペースが会話を始めれば、やがては色が語り始める。そして平面が立体へと徐々に姿を変えていく。私がやらなくてはならないのは、彼らを励ますことであり、手を貸すことだ。そして何より彼らの邪魔をしないことだ。

まず昨日木炭を使って描いた骨格から、パンの切れ端を消しゴム代わりに使って、余分な線をひとつひとつ取り去ってった。

デッサンはいわば絵画の設計図のようなものであり、そこにはある程度の正確さが必要とされる。それに比べると、クロッキーは自由な第一印象のようなものだ。印象を頭の中に浮かばせ、その印象が消えてしまわないうちに、それにおおよその輪郭を与えていく。クロッキーでは正確さよりは、バラストスピードが大事な要素になる。名のある画家でも、クロッキーがあまりうまくない人はけっこうたくさんいる。

「そしてこちらがよくよく考えているということを、相手にわからせることもまた大事だ、ということですね。ひとつの素振りとして」
「そう、そういうことだ。ファースト・オファーはまず断るというのがビジネスの基本的鉄則だ。覚えておいて損はあらない」

「ウィーンは他に類を見ない街です」と免色は言った。「そこに少しでも暮らしてみれば、すぐにそのことがわかります。ウィーンはドイツとは違う。空気が違い、人が違います。食べ物が違い、音楽が違います。ウィーンはいわば人生を楽しみ、芸術を慈しむための特別な場所です。

私と秋川笙子は居間の椅子に座って、軽い世間話(山の上での生活や、谷間の気候について)をしながらお茶を飲んだ。実際の仕事にかかるまえにそういうリラックスした会話の時間が必要なのだ。

「人物を描くというのはつまり、相手を理解し解釈することなんだ。言葉ではなく線やかたちや色で」

私は自然で活発な会話を歓迎した。

ソリューション営業の基本戦略 – 高橋勝浩

これまで幸運なことに、問い合わせをもらっていないお客さんに営業をしたことはない。問い合わせがあった上で話しをして、その後仕事に繋がるかどうか、という部分の営業を行ってきた。この営業も本書によるような、提案型の営業を心がけているので、それほどためになったとはいえないが、実制作と比べると場数が足りない。
来年は興味を持っている人でなく、こちらから声をかけていき、顧客を獲得するという動きも行ってみたいと思っている。営業は恐れるものでもない。

ブルックリンでジャズを耕す 52歳から始めるひとりビジネス – 大江 千里

ジャズのこと調べていたら、youtubeで大江千里氏の名前を見つけていくつか動画を見ていたら、いつもの古本屋の棚にこの本が並んでいるのを見つけて。

「音楽性は大したことはない。作曲家としてはいまいちだし、ジャズ度が低い」などと一刀両断の勢い。

学生がビル・エバンスを批評した言葉らしい。辛辣でアメリカらしいと感じる。

飼っている犬の名前が「ぴ」で、いまいち格好良くないのだが、ニューヨークでグリーンカードをとり、英語を操って活動していることに大きな敬意を持ち、私自身ももっともっと成長を続けてなりたい自分になるべくストイックに時間をつかいたい。同時に流されて、まあいいやの精神も共存させつつに。

白夜行 – 東野圭吾

その昔「半落ち」という小説を読んだが、おもしろく感じられずにそれ以来、東野圭吾氏の作品は読んでいなかったが、トッキンマッシュ及び墓場のラジオのパーソナリティーしぶちゃんが「白夜行」をやけにおすすめしていたので、いつもの古本屋へ。

確かに面白くてなかなか分厚い文庫本であったが、久しぶりに寝る間を惜しんで読み続けた。しかし私の敬愛する村上龍氏の作品と大きく違う所は、文中に何か心に書き留めておきたい台詞や語りがないということ。物語の先はどんどんと知りたくなるが、心が打たれることはなかった。これもずいぶん昔になるが、スウェーデンかどこかの小説「ミレニアム」と同じような読み方をしたし、読後感を持った。映画で言えばミッション・インポッシブルのようなド派手なアクションで、疲れているときなんかはこういった映画を好んで観ている。

窓ぎわのトットちゃん – 黒柳 徹子

黒柳徹子のかわいらしさ。
それと挿絵のかわいさ
挿絵はいわさきちひろさんという方の作品で、私の世代であれば子供の時にきっと目にしたことのある印象的なやさしい絵。

小林先生の教育方針は、この本にも書きましたが、常に、「どんな子も、生まれたときには、いい性質を持っている。それが大きくなる間に、いろいろな、周りの環境とか、大人たちの影響で、スポイルされてしまう。だから、早く、この『いい性質』を見つけて、それをのばしていき、個性のある人間にしていこう」というのでした。

それから – 夏目漱石

11月はほとんど本を読めなかった。どうやって10冊くらいを読む時間を作っていたのか忘れてしまったようで、本のための時間がどこかへ行ってしまった。

三四郎、それから、門の三部作を読んだわけだが、いまひとつ今回読んだ「それから」が入ってこなかった。自分がせわしくしていることも大いにあるのだろうが。

「僕は相変わらずだよ」
「相変わらずが一番好いな。あんまり相変わるものだから」

そうして自分に冷淡な一個の息子を作り上げた。尤も代助の卒業前後からはその待遇法も大分変わって来て、ある点から云えば、驚く程寛大になった所もある。然しそれは代助が生まれ落ちるや否や、この親爺が代助に向かって作ったプログラムの一部分の遂行に過ぎないので、代助の心意の変移を見抜いた適宜の処置ではなかったのである。自分の教育が代助に及ぼした悪結果に至っては、今に至って全く気が付かずにいる。

「その代り失敗(しくじっ)て、もう帰って来ました」
老人は苦笑を禁じ得なかった。
「どうして」と聞いた。
「つまり食う為に働くからでしょう」