座右の日本 – プラープダー・ユン

twitterで福冨渉さんがラジオ番組アトロクでタイについて話をしていて、タイ文学もそのうち、そのうちと思いながら全く読めていなくて、福冨さんのやっていることに改めて感銘を受けて、自分自身の体験としてだけのタイでなくて、本や映画からもタイを知りたくなって、ラジオの中で紹介されていたプラープダー氏の本を読んでみることに。

最初のタイ文学だから嫌な印象を持って、その後読むのが億劫になるのが嫌で、とっつきやすそうな本として「座右の日本」を選んだつもりだったけど、読み始めるとプラープダーのエッセイで、ただそれはそれで、読みよすくてすぐに読み終えることができて、本人は映画を作ったり、文章を書いたりする人なので、言っていることがよく分かったのと、日本を好きなタイ人であるプラープダーとタイを好きな日本人である僕は、それぞれの国を逆から眺めているあたり面白く読み進めました。

タイはぼくを喧騒に包まれた都市に住まわせ、仕事を与え、使うお金を与え、タイ語を使わせる。日本は僕に避難所を与え、散歩の場所を与え、創造のインスピレーションを与え、価値あるナンセンスを与え、満足感を与えてくれる。

ぼくは、この時代の世界中の子供たちと同じように、物心つく前から「日本らしさ」と言うものを知っていた。人生最初の想像力の扉はメイド・イン・ジャパンで、この扉は、日本の本や歌、テレビなど、保守主義者がすぐに非難攻撃するようなぜいたくな娯楽によって開かれた。
僕は最初に日本の漫画にはまった。どういうわけか、僕くらいの世代の大人には、日本のものは想像力に悪影響を与えると言う偏見があって、今でも、最近の若者は日本の悪影響にどっぷりつかってけしからんと、愚痴のような抗議のようなことを口にする人がいる。

僕のことを本の虫だと指摘する人がいたとしても、その指摘は間違っていないと思う。ただ最初は漫画の虫から始まった。漫画を楽しむ時期があって、堅い本などの楽しみがそれに続いた。味わって食べたり、つまみ食いのようにかじったりしながら楽しみ、積み重なった本は山のようになったが、そのふもとは漫画で支えられている。

日本ほど巨大漫画産業が発展し、消費されている国はない。日本ほど大人が漫画に熱中している国もない。普通は子供が漫画に興味を示し、大人は「いつまで子供のつもりでいるの。漫画なんかもう卒業しなさい」と叱りつけるものだた、日本では大人が先を争って子供であろうとしている。これだけでも日本の特殊性(あるいは風変わりと呼んでも良い)は物語っている。

日本は子供らしさを捨てたがらない、捨てようとしない国だと言うだけでそれ以上でもそれ以下でもない。日本はピーターパンに満たされた国であり、昼も夜も夢見る子供たちでいっぱいの国であり、いつか外に飛び出してホタルを捕まえて遊ぼうなどと、窓の外を眺めて当てにならない空想にふける子供たちのいる国である。

日本が好きだと主張して、周りから疑いの目で見られたことが多々ある。というのも多くの人にとって日本は、身体は忙しく心は寂しい現代社会の代表のような国だからである。人生で勝ち残っていくためのプレッシャーと物質の飽和状態とで缶詰状態にされ、技術進歩の野心に常に覆われている。一見すれば迎合的で、心のよすがとなるものがない。日本に関する否定的な見解は枚挙にいとまがない。「ナンセンス」で子供の勉強の邪魔になるものは、アニメや漫画などの他にも、テレビゲームや電子機器、ファッションなど色々と変わった文化がある。それにカルト宗教、性に関する異常なフェティシズムなど日本の闇の部分が日本社会のイメージにもやをかけ、なんだか怪しい国だ、とされてしまうのである。しかし、そのもやは美しくもある。日本に関する見解は両極端である。水面に映る月に、無、美、真理などを読み取る深い哲学のある国とする見方を一つの極とすれば、ナイフを持った子供が友達なのかを突き刺して刺身よりも赤い血を見てしまうほど、人の神経を衰弱させる国であるとする見方がもう一極になる。

でも僕は、ほとんどの人はそんな悟りを必要としていないのではないかと思う。つまり、ほとんどの人は苦しみから解脱する必要を感じることがなく、龍安寺の石庭に15個目の石を見ることがないのである。

究極のところ家とは、心を預けておける場所、心の拠り所であれば良いのだ。心を預けておける家があれば僕らは自由になれる。

日本に行くまで、僕は座って体を洗うと言う経験はなかった。そして日本以外では座って体を洗う経験はほとんどできない。

渋谷のスクランブル交差点に代表される東京の雑踏には、いまだに慣れない。初めて東京訪れたときのショックは、今も昨日のことのように覚えている。人混みの経験がなかったわけではない。スタジアムで開かれるコンサートや、戦争反対のデモ、国を挙げての祭りなどでは、バンコクでも他人と押し合いへし合いしたものだ。でも、それは何か特別な理由があってのことで、皆が「非常事態」と納得した上での混雑だった。東京の雑踏はそうじゃない。日常の中に雑踏があり、人混みの中に生活がある。混雑に慣れているからか、他人が密集していても誰も何も気にかけない。めいめいが自分の目的に向かって一心に歩いている。雑踏の中で東京の人々は、体の周りにバリアを張って歩いているように見える。

悲しいことだけれど、日本人女性のイメージをAV女優の姿態の積み重ねで理解するタイ人男性は少なくない。AVのイメージに固執するあまり、日本人の彼女がいれば…、と夢想にふけるオタクもいる位だ。日本語を勉強したことがなくても、「やめて」「そこ」「感じる」「イク」などの単語を間接的に理解している日本語学習者の数は、これまた少なくない。

と言って僕は、エロビデオを知人の土産に買ってあげたいと思えない。陰の世界に存在するものを、あえて光に当てる必要はないと思う。暗くてよく見えない世界のものは、暗いところで目を慣らしながら見るのがまた格別と言うものである。

地震と日本は切っても切れない関係にある。いつ揺れるとしれない土地に居を構え、1秒1刻に隠された危険を承知の上で生活を営む日本人の精神力は、ぼくからすれば驚異的である。

野球の研鑽に捧げていた

何が新しくて何が古いかは、つくづくタイミングと場の問題であると思う。アーティストの作品が、時代の流れと関係なく享受されるのを知ることは、とても嬉しいことだ。作品は時代を意識していないのだから。

よしもとばななも、特定のグループ(夢見がちで寂しがり屋な女性たち)にとってはムラカミ以上にアイドルのような存在だ。

僕は文筆をなりわいとする者として、原語で書かれた小説世界の魅力を翻訳小説でも同じように楽しめるとは信じていない。特に「この作家、文章がうまいよね」などと評される時、その魅力が、翻訳を通じてどのように別の言語世界に運ばれうるのか、うまく想像がつかない。言葉を紡ぐ能力は、その言語の構造と文体を理解し、それを自由に使うことで発揮されるものだ。ムラカミを英語で読んだとき、僕は彼の文章のスタイルが好きなのか、たまたま翻訳文が好きだったのか、最後までわからなかった。ストーリーやアイディアについて興味深かったことは認める。それでも文章や文体については、それがムラカミに特有のものなのかどうか、日本語を母語としない僕にはわからなかったのだ。

翻訳とは不思議なものだ。翻訳のおかげで文章作品は海を越え、山を越えられる。でもその過程で、作家の作家性は摩耗して、平らなものになってしまうようでもある。

でも、僕が奥泉さんの講演を聞きたいと思った1番の理由は、公演後のフルートにあった。というのも、僕は普段の仕事以外のことに熱中する人物に、とても興味を惹かれるからだ。キノコマニアの音楽家ジョン・ケージしかり、夜な夜なトランペットを吹く映画監督ウディ・アレンしかり、リアルに死んだと思わせるほど完璧な瞑想のできる喜劇俳優アンディ・カフマンしかり。

文学という表現スタイルは、音楽やダンスとは全く異なる。自分を見つめ、考えながら実践していくと言う意味では共通点もあるが、実際に表現しているときには、周りに人がいても集中できない。逆に音楽やダンスなどでは、目の前に大勢の観客がいればいるほどエキサイトし、観客とコミュニケートすることで独自の一体感が生まれる。それこそライブパフォーマンスの醍醐味と言うものだろう。カートヴォネガットは音楽家に最も嫉妬を感じると言っていたそうだが僕も同感である。

タイから1歩外に出れば、そこがたとえロサンゼルスのような都市であっても(100,000人を超えるタイ人が居住し、タイの77番目の県だとも呼ばれる)

これはアジア社会において、同じくマイナーグループに属するはずの現地在住欧米人が、評論家、社会評論家、作家、テレビタレント等として活躍し、彼らの発言が現地語で流通している事と比較してみると、明らかにアンバランスである。同じように、タイで発言するタイ在住日本人評論家、日本在住タイ人タレントがいても良い。実際少しずつではあるけれど、タイに住み、タイ語で雑誌連載を書く日本人やタイの書籍を日本語に訳す翻訳家、日本文学をタイ語に翻訳するタイ人も増えてきている。言葉の垣根を取り払い、各グループ間の接着剤の役割を担う若い人の活躍が目に見えてきているのだ。

ここまで大きな都市で、チャイナタウンのない都市はベルリンぐらいしかないとのことであった。

そのせいなのだろうか。日本の街では、大人がアニメキャラクターの付いた「かわいい」ものを持ち歩いていても、あまり違和感を覚えることがない。冒頭の友人はハローキティのファイルを持ち歩く男性教師を日本の学校で見かけて、なんだか楽しい気持ちになったと言う。

彼女の自殺理由は仕事にあった。世界中の人々がスターになる日を夢見ている中、彼女は逆にその仕事が理由で私を選んだ。まるで「お金がこの世界を台無しにしている」とでも言うかのように。自殺者は自己中心的で臆病者だと言う人がいる。そして、行動の結果を熟慮できない短絡的な人間だと批判する。でも僕はそうは思わない。お金を神様と信奉して、淫乱に生きる現代人が多い中、不純な生活に吐き気をもよおし、お金に嫌気がさしてしまう人間が、果たして自己中心的な人間だと言えるかどうか。一般的に、お金がないとか、足りないからと言う理由でビルから飛び降りる人が多い中、お金に嫌気がさして命を立つ人間が、果たして臆病者と言えるかどうか。

僕は人生に必ずしも楽観的と言うわけではない(ちなみに僕は人生に対し「怠惰に懐疑的」な態度をとっている。人生に懐疑的でありながら、面倒なのでそれ以上の行動は起こさない)。と言って、人生の苦しみを自殺する形で克服しようと言う気には(まだ)なれない。それでも人によっては、人生のある時点において、自殺と言う決断が最も正しい選択肢となることがあるのだと思う。自殺は個人的なもので洋服や職業の選択と同じように、正しいとか間違っているとか、他人があれこれ言っても何の解決を生み出さない。それは自殺そのものについても言えることで、自殺が何かを改善に向かわせる事は無い。でも、その人生の終止符の打ち方には他の動物にはない人間的な魅力がある。そしてその魅力が、残されたものを思考の旅に向かわせることもある。人は嫌気のさすものを極力排除する傾向にある。自分に嫌気がさしてしまったら、自らの命を立ってそれを排除することがあっても、何の不思議なことではない。例えば、この世に醜い笑顔振りまきながら、何も感じることなく平気で暮らしている悪人のことを考えてみる。彼らのことを思うと、何も考えずに生きられることが魅力的なのかどうか、分からなくなる。それこそ不思議なことでニュースに値することだと思うのだが。

アーティストは自分のやっていることが好きだからやっているのであって、大きな美術館やギャラリーで個展を開いて有名になることが目的で表現しているわけでは無いはずだ。自分なりの表現ができて、それがある一定の人に理解してもらえたら、それで幸せを感じられると言うもの。

プチ革命 言葉の森を育てよう -ドリアン 助川

図書館を利用。
すごいサービスだよな、と思う。そしてここでも読みたい本が借りられていたりして、本好きはどこにでもいるのだと微笑ましくなる。
バンコクの古本屋では、自分が探していた本があると、これ読んだ人がこのバンコクにいたんだなと、これも嬉しくなる。
もちろんそれほど難しい本でないのだか誰が読んでいたっておかしくはないのだが。

それは、ボクらなりの畑を「意識的に」開拓することです。

ただそのためには、心について洞察を深めていくことがまず必要になります。プチ革命は、あなたの胸の中だけで起きる革命だからです。心と向かい合い、知恵に訴え、静かに平和に行なう個人革命です。

「疑問をあらわす『ば』。『今日プール行くば』。」というように使います。衣服などを切ることを『つける』と言ったり。『もうパジャマつけてるば?』。

イサーンでは疑問に บ่ ぼ

言葉について深く考える初めての経験でした。自分が大阪弁を話していることさえ気づかなかったのが、英語の音読でさえ大阪くさいと笑われましたから。ここで友達をつくるには福井弁を身につけなくてはと、必死で練習するいっぽう、これで純粋のお大阪弁ではなくなるんだなあとも思い、すこし残念でした。言葉が人間関係をつくるということを学んだと思います。大阪弁の『はる』という、ほどよいお敬語がつかえない(通じない)のがもどかしかったのを覚えています。敬語は、上下と同時に親疎も表し、ふつうは敬語をつかうと、よそよそしくなるものですが、『はる』だけは親しみを感じさせる敬語なので、とても好きです。『来た』では失礼、『いらっしゃった』ではよそよそしい、そんなおき『来はった』と言うとしっくりくるのです」

※親疎(しんそ)

ルポ新大久保 移民最前線都市を歩く – 室橋裕和

昨年は半年くらいを日本ですごして、実家で親の様子をみながらずっといるのに疲れると新大久保に宿をとって2,3日を過ごした。

https://masatoshigoto.asia/after-the-4th-year

1度目に行ったときから、その雰囲気にやられた。
どうも日本っぽくないのだ。日本人以外の人たちがたくさんいて、店も多種多様。弁当が290円で売っていたり、コンビニで働く人たちも上手な日本語を話すが、どこか別の国の人。とにかく、この街が気に入って、日本で暮らすことがあるとすればこの街にしようと思って、通りの不動産屋の看板を見て、当たり前だがバンコクとは比べ物にならないくらいに高くて、すぐにやめようと思い直した。今あたらめて思う、こうしてバンコクで衣食住の必要な支出を少なく、仕事ができているのは、とにもかくにもまずは幸せだなと。

ものすごい寝ぐせの髪の店主は、ニトリの中古らしきキッチンカウンターを適当にメジャーで測ると、「これ1万6000円だけど…1万5000円、いや、1万3000円でいいや」と、アバウトにディスカウントしてくら。
代金を払うと、配達するので名前と住所、電話番号を書くように言われる。手渡されたのはチラシの裏っかわであった。僕の住所見た店主は、
「あ、近いね。午後には持ってけるよ。2時くらいね」
きわめてイイカゲンな口約束やや不安を覚えたが、配送料は無料だというl.

ナゾの中国人とふたり、えっちらおっちらキッチンカウンターを運ぶ。狭い廊下や曲がり角では思いっきりぶつけてしまうが、彼に気にする様子はまったくない。この程度で怒るやつはきっと、この街に住んではいけないのだろう。
これまた狭い部屋を苦心して大きな荷物を運び入れると、お互いにこの寒い中、汗をぬぐって笑いあった。

日本という「外国」で暮らす、いろいろな国からやってきた人々の姿。日本に急増しているという外国人。そのひとりひとりの顔が、この街ではよく見える。

彼女はまたにんまりと顔全体で笑うと、薄暗い店が一気に東南アジアの湿度を帯びたような気がした。

籠絡

ろうらく

かまびすしい声

住民の40%が外国人

新宿区34万6643人のうち外国人3万8352人(外国人率11.1%)、日本全体となると人口およそ1億2600万人のうち、外国人283万人(外国人率2.2%)だ。大久保界隈がいかに突出した外国人エリアであるかがよく分かる。

一方でベトナム側では「海外雄飛」を、是非はともかく推奨してきた。在外ベトナム人からの送金が、GDP(国内総生産)の6%を占めるまでになっていたからだ。

4月の下旬になると、新大久保駅のすぐ西側にある皆中稲荷神社で小さなお祭りが開かれた。つつじ祭りだ。境内には屋台が並んでいるのだが、そのラインナップがタイ料理であり、ケバブや台湾料理であるのがいかにも新大久保だ。タイの屋台のおばちゃんなんて、浴衣姿で日本人の子どもたちに日本語で声をかけ、マンゴージュースやパッタイ(タイ風の米麺焼きそば)を売っている。

そこで日本政府は、中国人や韓国人の穴埋めとして、東南アジアや南アジアに目を向けるようになる。とくに海外志向の強いベトナム人やネパール人を対象にビザの要件を緩和した。これを機に、いままでなじみのあまりなかった国々の若者が、日本全国に増えはじめるのだ。

中には日本人より日本語が達者な人だっている。むしろ、日本語は少し分かるけど、英語はぜんぜんわかりません、なんて人も珍しくはない。第一、ここは日本なのだ。
「どれだけ外国人のお客さんが増えようと、ここは日本の八百屋なんです。それはもう、ずっと変わらないスタンスです」

新宿八百屋

この八百屋の看板は、新大久保に通っていた頃に僕の目を捉え、それから新大久保をテクテクとあるき回り、面白い看板を探すきっかけになった。

「はじめに雇う時に言ってあるんです。日本語でしか接しないよ、って。それでも頑張れば日本語は上達するし、収入にもなるからと」

そのひたむきさは、いまの日本人には欠けてしまったものなのかもしれない、あるいはもう日本人には必要なくなってしまったものなのかもしれない。そんなことも荒巻さんは言う。

「28万円」
まじで!? 思わず声が大きくなった。フランス人だというお客が振り返る。腹の立つことに若いイケメンで、チャンちゃんがいつもより1オクターブ高い声で接客しているのがさっきから気になっていた。「バケモノガタリ」がどうとか日本語で盛り上がっている。アニメの話らしい。
「私がいるでしょ」
「はい」
僕の視線に目ざとく気づいたトゥイさんにたしなめられる。あの若造はともかく、この店にも最近はそこそこお客が入っているので、ほっとする。

「習うより慣れろ。日本で教えてもらった言葉です。ベトナムでも同じですよね」

自分の主義主張を世の中に広く問える面白さがある。

「自分にはなにができる? それ考えるでしょう。なんだったら仕事になるか。そしたら私、お客さん相手にすることだと思ったよ」

でも、店を開けていればいやな客も来るだろう。とくに日本人は、なぜだか上から目線のおじさんが多い。僕もあるバイドのチャンちゃんに執拗なセクハラをする日本人のジジイに腹を立てたこともある。心配になるが、
「私、誰でもOKだよ。どんなひととでも楽しくやれる」
なんて自信たっぷりに笑うのだ。

「勉強もしたかったけど、それよりも日本で生き抜くこと」

はっきりとは言わないが「なんでガイジンが」と心ない言葉を浴びせられることもあったようだ。

店はもう7年目に入り、街にすっかり定着してきた。しかし店名の由来を知る人はあまりいない。「おかやま」とは、岡山ではないのだ。漢字で書くと「お母山」となる。お母さんの山なのである。
「お母さんの愛情って、山みたいでしょう。大きくて、高くて。そんな気持ちを感じられる店にしようって、お父さんとふたりで決めたの」

まずは信用を得て、人間関係をつくり、それから店に来てもらうというわけだ。地道な営業努力なんである。なんだか地方の信用金庫のようだ。
「一度信頼してもらえると、今度はお客さんが友達や仕事仲間を連れてきてくれます。口コミやSNSで宣伝してくれることもあります。広告を出したりプロモーションを打ち出すよりも、新大久保ではまず人間関係なんです」

こうした海外送金の市場規模は全世界でなんと70兆円。日本でも年間取扱高は9000億円にのぼるという。

インド旅行記〈1〉北インド編 – 中谷美紀

なんだか忙しくなって、本を読むことが極端に減っていて、気軽に読めそうな本が古本屋で目についたので手にとってみました。
そういえば園子温の映画でヌードになっていたなと、女優=ヌードという中学生のような発送で恐縮だが、読み終えて調べてみるとそれは水野美紀であった。
中谷美紀はドイツ人の男性が夫で、水野美紀はイラストレーターが夫。どちらもきれいな人である。

近くのソファーに座っていた日本人の若い女の子ふたりが、猫が鳴くような高い声で、インド人の男性と嬉しそうに話しているのを見て、この声のせいで日本人は甘く見られるのだと改めて思い、

絵葉書は自分にとっても必要なものだったから、フェアトレードになったかどうかわからないけれど、よしとしよう。

時折暴動が起こるので、安全のために各宗教の信者同士が身を寄せ合って近くに住むのだという。

仕事に生きがいを見出す者もいれば、酒やタバコもしくは人に依存して心の空虚さを満たす者もいる。自らを犠牲にして人に尽くすことで救われている人間もいれば、人を傷つけることで癒やしを得る人間もいる。人知れず祈りを捧げる人もいるだろうし、なりふり構わず神仏にすがる人もいるだろう。

「気がつきすぎて疲れる」が驚くほどなくなる「繊細さん」の本 – 武田友紀

Highly Sensitive Personのことは、ぼんやりと聞いたか見たかしたことがあったが、どうせまた一時的な流行りで言っている流行りかなにかだろううと思って流していたが、どうやら心理学者が提唱している概念で、脳がそういう構造になっていて、5人に1人はこういう人がいるらしい。まあ数年後にまったく別の話として出てくることもあり得るわけだけど、それにしても自分は間違いないく、そっちの種類の人間で、人と長く一緒にいると疲れるし、人の助けを助けになると思って率先してやってしまうし、相手の動きを見すぎてしまったり、色々あるけど、嫌と言ったり、断ったり、他人を嫌いになったりするようにしてきた。特にここ数年。彼女にも一人になる時間が必要だからと理解してもらったり、やっていることは間違っていかったと後押しされて、もっとこのような考えと行動をやっていってもよいのだろう。

・考えすぎるので、その考えがあっているのかを相手に確認
・思っていることを口に出してしまう
・嫌いなやつのことは嫌いでOK

・人に頼るということを加えていきたい←これが一番の課題か
あ、仕事を依頼している人に今月の金額はこれであってますか?をやめよう。なんでそこまでやっているんだろう?ハハ。任せないと。

ボクの持つHPSの感じが、タイ人の感じと合うのだろうか。居心地がよく感じるのはそれなのか。はたまた言葉が完全から遠いことがそう感じるのか。そういういくつかの要素が絡み合っているのか。おっと、いけない。また考えを掘り下げちゃって。単純にタイが居心地いいってことよ。

女帝 小池百合子 – 石井 妙子

話題になっていたので。
気楽に読めるからということで手を伸ばしたが、どうも暴露みたいな類は余り読んでいて楽しいものでもないし、目の下のあざがどうこうと、見た目のことを執拗に書いているが、こういうのって黒人に対して肌が黒いということを何度も言っているのとは異なるのか。

情報の信ぴょう性もきになるし、人によっては自分はアラビア語の匠で小池百合子氏のアラビア語はかなりレベルの高いものでとかいうし、情報がありすぎてうんざりする。複雑に考えすぎなのだろうか。どの情報をとるのか、というかそもそも取る必要もないような気もしてくる。そういう気でいたって、ツイッターを開けばたくさんの情報をうけとるわけで。

と言って、小池百合子氏を支持しているといことでもない。政治に興味がないと言ってしまうと、欧米を見ていると良くないと感じる。自分たちで選んだ代表、云々。しかし1票でかわるもんかという冷めた見方を持っていて、充てにしないと思いながらも、給付金の10万はありがたかったので、ネット選挙になったら1票、大切なとなるか?1票を使って、参加してみようと思っている。

イラストの上には「東京大改革2.0」と入れたかったのに、収まらない始末。。

サブカル・スーパースター鬱伝 – 吉田 豪

リリー・フランキー、みうらじゅん、菊地成孔、ECDはじめ、杉作J太郎や松尾スズキの鬱話。

42歳を過ぎたボク自身は、親の問題が出てきて、この先仕事がどうなるかという不安もある。しかしそれでも自由に、とらわれずにやっていきたい。それはそういう問題を放棄するという意味ではまったくなく、全てを包括してやれるくらい柔軟で大きなものになりたというようなことなのかもしれない。

「サブカルというか文系な有名人はだいたい四〇歳前後で一度、精神的に壊れがち」ってことに気づいて。

鬱は大人のたしなみですよ

鬱にならない人って、自分はいいものを書いているつもりで、「寒くなったな、あいつ」って言われてるのを知らないまま一生生きてく。そんな人、いっぱいいるでしょ。二〜三年ちょっと鬱状態になって仕事も滞った人のほうがまだバネがつくと思う。

ほとんどの人も仕事で鬱になってるんじゃなくて、仕事をきっかけに人に対しての不信感や喪失感や疎外感を持つんじゃないのかな。

変わってかないと絶対気が滅入るって。プロとして技術もついたし、これやり続けてりゃ金になるしっていうことで生きていける人と、次の山を登らないと的な感じになってく人といるけど、サブカルの人っていうのは体育会系じゃない癖に、そのへんのロマンチシズムはすごく体育会系だから。対自分は飽きないかもしれないけど、対他人は飽きるよ。

四十歳になってもそれぐらいの感受性は持ってようよって言いたいよね。だってそれは大人の論理で生きていくか、感受性で生きていくかの問題なんだもん。これは中年の思春期なんだから。

こんな腐った世の中では少々気が滅入らないと。社会はおかしい、政治は腐ってる、人間の信頼関係は崩壊してる、不安になる。正常でいるほうが難しいですよ。

四十代は、単純に肉体が弱ってくるから精神も弱るんだろうなってボクも思ってるんですけど。

底が浅い、「これでいいの?」っていう歌詞を書いてる人は大丈夫みたい。

つまり、チョイスの幅を狭くしようってことなんだよね。サブカルって結局、何でも屋さんじゃない。だから、仕事を限定することでリハビリしていくという。

正確な引用でじゃなくて恐縮ですけど、昔、橋本治さんが著書で“ストレスを日々溶かしていくことが出来る人こそが、長く創作活動を続けていける”というようなことを書いていらっしゃったんですよ。

普通、男性はプライドが傷つくようなことを避けるし、勝ち負けにこだわるし、カッコよくあろうとすることによって成し遂げることもいっぱいあるわけじゃないですか。僕、そこでカッコよくあろうと思わないところがあって。

生活の質が感動的に上がる なぁさんの1分極伸びストレッチ – なぁさん

ひどく硬かった体は、2年ほど続けていると前屈で地面に指先が地面につくようになったり、歩き疲れたら一度ストレッチで足を伸ばすとその後足が軽くなったり、ストレッチは継続するとその効果を実感できる。どうしても一度仕事に向かってしまうと、集中して3時間ほどそのままの姿勢になってしまうので、ひと作業を終えたらストレッチという具合に週間づけたい。

43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層 – 石井 光太

昔からこういった異常な事件に関する本にどういうわけだか惹かれて、何冊も読んでみている。
それは自分も世の中とうまくやれない、はみだしものだからかと思ったりした。まとまって(群れをなして)生きていくのが人間なので、はみだしものが生きづらくなるわけだが、狼は群れをなして行動するが、群れから離れた一匹狼が敵に気づいたり、あらぬ場所から餌をみつけてきたりして群れを生かすこともあるようなので、本当は強く生きて欲しい。

気の良さそうな顔立ち

犯罪とアルコールの関係は深く、「傷害および殺人事件」の四十〜六十パーセント、「強姦事件」の三十〜七十パーセント、「DV事件」の四十〜八十パーセントにアルコールが関係しているという。

二〇一五年に殺人で検挙された未成年(十四歳〜十九歳)の数は、六十二名に上る。この歳が特に多いわけではなく、警察庁の統計によれば、前年が五十五名、翌年が五十一名と、例年四十〜六十名台にもなっている。