王室と不敬罪 プミポン国王とタイの混迷 – 岩佐 淳士

タイは東南アジアのなかでは、比較的民主化が進んだ自由な国とのイメージを持たれている。しかし、「国境なき記者団」が発表したこの10年間(09〜18年)の「報道の自由度ランキング」を見ると、タイは約180ヵ国中130〜153位で、とても低いランクにとどまっっている。
<中略>だが、今やタイの「報道の自由度ランキング」(18年 140位))は、近年民主化に向かうミャンマー(137位)に逆転されている。

かつて総選挙で、反タクシン派グループ「民主市民連合(PAD)」がスーツ姿のトラやトカゲ、水牛ポスターを掲げたキャンペーンを行ったことがある。タクシン派の政治家は「動物並み」とのメッセージだ。

ホセ・ムヒカ 日本人に伝えたい本当のメッセージ

私が思う「貧しい人」とは、限りない良くを持ち、いくらあっても満足しない人のことだ。でも私は少しのモノで満足して生きている。

モノを買うとき、人はカネで買っているように思うだろう。でも違うんだ。そのカネを稼ぐためには働いた、人生という時間で買っているんだよ。

生きるということは、周囲との摩擦を生むということであり、摩擦がないのは墓場にいる人(死者)だけです。避けられぬ摩擦をどう解決するかが重要なのです。

格差という不平等が、これほどまでに蔓延してしまった21世紀。自らの利益やカネのことばかり考えているエスタブリッシュメント(既得権益層)の政治家たち。

清貧

人が生きていくうえで、大事なこと。それはどんな女に出会ったか、どんな友に出会ったか、どんな仲間とメシを食ってきたか。これが一番です。

トイレに入ったら、便器のふたが勝手に開いたり閉じたりするんだから。あんなことのために知恵を絞るなんて、まさに資本主義の競争マニアの仕業だね。

インドが変える世界地図 モディの衝撃-広瀬公巳

1月にインドへ行くことにしたので、前から気になっていたナレンドラ・モディ首相を学ぶ意味も含めて。

数えてみれば次のインドで通算5回目。しかし言葉はナマステ、ダンニャバード、グラム・チャイ・ディジエ、ケラしか知らない。
7,8回来ていたタイに住む前にもサワディーカップとコップンカップしか知らず、それもコップ&カップと覚えるといいという後輩の教えで覚えたようなもの。いつも旅では目の前に起こることを楽しんでいたし、そのスタイルは変わらないと思うが、こうやって読んでみると、これから行く国ということで面白く読めた。

2018年8月15日。インドの独立記念日の式典でモディ首相は、インドがフランスを抜いて世界第六位の経済大国となったことをアピールし〜

日本の敗戦記念日は、インドや韓国では独立記念日となる。

2015年にグーグルのCEOに就任したサンダー・ピチャイ。<中略>
マイクロソフトのトップを務めるサティヤ・ナデラも、1967年にインド南部アンドラプラデシュ州ハイデラバードで生まれた。<中略>
ソフトバンクの副社長やヤフーの会長を務めたニケシュ・アローラは、1968年にインド北部のウッタルプラデシュ州で生まれた。

ヤンマーは、田植機やコンバインなどの生産販売及びサービスについて、ハイデラバードの現地法人と合弁契約を結んだ。クボタも、索引など多用途に適合したトラクタの現地生産を行ない、世界最大規模のトラクタ市場で進出を加速させている。

タイの製造業と付き合うようになると、ヤンマーやクボタの活躍が見えるようになった。タイは人口6千6百万ほど、インドは13億。

インドで先行するアマゾンとの、巨大な成長市場を巡る争いが注目される。

従来、経済の基本は「ヒト」「モノ」「カネ」と言われてきた。

「経済」という大きなものについて納得のいく考えを持ちたい。
村上龍が「小説で精神的なあれこれを書いても、そんなもの経済的に説明すると3行で済むと言われたくないので、経済を学んだ」というようなことを言っていて、経済抜きではどうしても語ることが難しい社会において、いくら情動が豊かでも賢くないように思うところがあるのだ。

そんなベンガルールで、日本のカレーがインド市場に挑戦しようとしている。五十年の歴史を持つ「ボンカレー」で知られる大塚食品が、ベンガルールをインド進出の舞台に選んだ。<中略>
三井物産と株式会社壱番屋も「カレーハウスCoCo壱番屋」をインド全土で展開するために合弁会社を設立した。

日本なんて。。という気持ちがあるが、それでも日本企業が世界へ進出していくのを知るとワクワクするのは、やはりその「日本なんて」も愛情なのか。

インドは2017年前後に中国を抜き、世界一の人口大国になると予想されている。

東大寺の境内の一角には、四頭のインドライオンが背中合わせに並ぶ、少し日本の風情とは違和感のある石柱がある。

日本の寺院でみられる仏像の多くはインドにルーツがあり、ヒンドゥー教の神々が日本では仏様を守る守護神などに姿を変えている。例えば、吉祥天は女神ラクシュミー、大黒天はシヴァ神、弁財天は女神サラスヴァティー、ブッダはビシュヌ神の生まれ変わりということになる。

日本の「アルト」を改良した「マルチ800」の納車をグルガオン工場から開始した。

鈴木修氏。
http://book.masatoshigoto.asia/2018-july-06/

モディは、キャッチコピーの名手でもある。
人々が覚えやすい標語、呼びかけの決り文句を上手に考える。それを演説の中に巧みに織り込んで、雰囲気を盛り上げる。「メイク・イン・インディア」「クリーン・インディア」など、わかりやすい表現で関心を集め、世論を手動していく。

インドでは人口十三億のうち、まだ三億人が屋外で琲世を行っているという。

認知症の人の心の中はどうなっているのか? – 佐藤眞一

母親が認知症になってはじめて認知症の人がどういう感じなのかを知ることになった。
私はバンコクに拠点を置いているので、昨年末からは3ヶ月に1度東京に戻るようにしている。週に2度は電話をする。

それまでよりも母親と多く時間を持つようになって、寂しさがひとつの原因であったのが分かった。
なるべく寂しくないようにしたいとは思うが、自分の生活もある。一緒に住んでいる父親のこともある。
この先数年でまた別の局面を迎えることになるだろうから、それでも自分の生活も保てるように下準備をしておかねばならない。

アリセプト

フランスでは副作用のわりに効果が高くないとして、2018年8月からこれらの薬が医療保険の対象から外れ、全額自己負担になりました。

記憶障がい

害の時は使わない。痴呆症は差別的用語だ。
ということを一般的に広く共有することで、認知症患者や健常でない人間に対するやさしさが当たり前になるといいのだが、日本の社会にはなかなか難しいように思えてしまう。ベビーカーを電車やバスにのせるのさえ心を痛めなければならないのだろう?

その中には、亡くなるまで認知症の症状がまったく出なかったにもかかわらず、死後に脳を解剖したところ、アルツハイマー病が最も重いレベル(ステージⅥ)に達していたシスターもいました。彼女は修士号を取得していて、障害にわたって教育に携わり、現役を退いてからも知的な活動に勤しんでいました。

その研究では、ユーモアなどの内発的な刺激がない状態で、24歳から43歳までの17人に、1分間の作り笑いをしてもらいました。すると、その前よりも後の方が、ポジティブな感情が高まっていたのです。

世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」- 山口 周

この本は僕のような人間には勇気を与えてくれると思う。論理に弱く、自分の感覚や完成には自信があるような人。僕らは、感覚を引き続き磨き上げながら、論理的思考も鍛えていけば、世間との大事な強い接点をつくりあげていくことができるはずだ。
企業活動というのは極めて多岐にわたる複雑な要素によって構成される全体的システムであり、従って経営の健全性は、必ずしもこのような「計測可能な指標」だけによって計れるわけではありませんし、そもそも、計られるべきではないでしょうl
高い視座でビジョンを持つことと、日常の些事に煩わされることは決して矛盾するわけではありません。自分たちが生を営んでいるこの世界はロクでもないものだということを知りつつ格闘しながら、それをどのようにしてより良いものに変えていけるかを、あきらめずに考え続けること、希望を失わないことが大事です。
絵を描くことはリーダーに求められる様々な認識能力を高めることがわかっており、実際に自ら芸術的な趣味を実践しているという人ほど、知的パフォーマンスが高いという統計結果もある
どこの統計結果かは知らないが、そうであると嬉しい。
一言で言えば「エッセンスをすくいとって、後は切り捨てる」ということです。そのエッセンスを視覚的に表現すればデザインになり、そのエッセンスを文章で表現すればコピーになり、そのエッセンスを経営の文脈で表現すればビジョンや戦略ということになります。
なにをしないのか決めるのは、なにをするのか決めるのと同じくらい大事だ。会社についてもそうだし、製品についてもそうだ。 -スティーブ・ジョブズ
美しい手を指す、美しさを目指すことが、結果として正しい手を指すことにつながると思う。正しい手を指すためにどうするかではなく、美しい手を指すことを目指せば、正しい手になるだろうと考えています。このアプローチのほうが早いような気がします。 -羽生善治
会社を始める頃に抱いていた僕の考えはあながち間違っていたわけではない。日々仕事をしていると、競争意識やこなさなければいけない仕事などがあるが、そういうことに押しつぶされずに自分の想いを進めていかなければならない。
「偏差値は高いが美意識は低い」という人たち