希望の国のエクソダス – 村上龍

村上龍の小説の中で、ゼロという男が言う「結果を出した広告だけが優れた広告で、それ以外の広告には意味がない」みたいなことを言う場面をもう一度読みたくて手に取ったのだが、読み始めてすぐにこの本ではないということに気づいた。
大学の頃に1度、デザイナーになってからしばらくしてもう1度読んだような記憶がある。
デザイナーとして広告を扱っている中で、先に挙げた言葉が強く印象に残った。
あの台詞の出てくる小説は「愛と幻想のファシズム」だったようだ。

読み始めると若者の孤独や高齢化社会、考え方に甘さのある日本人などなど今まさに起きている問題や変わらぬ問題があり、グイグイと話の中に引き込まれて、仕事の合間に時間をつくってはページをめくった。
1998年から2000年に連載されていた作品のようで、調べてみると、それは村上龍が46歳から48歳の時でだった。

もしいやでなければ最後に何か日本語を喋ってくれないか? 記者に頼まれて、少年は、ナマムギ・ナマゴメ・ナマタマゴ、と少し笑みを浮かべながら、言った。どんな意味の言葉なのか、と記者が聞いたが、少年は再び印象的な微笑みを浮かべただけで、答えなかった。CNNの記者をバカにしているような、お前は何もわかっていないというような、侮辱的な微笑みだった。

おれは決して熱心な読者ではなかったがカミュやジュネは優れた作家だと思う。だが、基本的におれたちのものではなくフランス人のものだ。編集長はまるで自分のもののようにカミュやジュネを語る。

メディアに限らずこの国では集団の内側にいないと必ず嫌われる。

おれは由美子が経済にとり憑かれたことが別にいやではなかった。自分のからだに宿った生命の代償として、ある体系的な学問に興味を持つのは理解できないわけではないし、堕胎というリアルな現実に直面してファッションというコマーシャルな世界に疑問を持ったのも何となくわかる気がした。それが正しいかどうか、そんなことはどうでもいいと思う。彼女にとって、それは必要なことだったのだ。それに、経済の学徒になったからといって由美子が変わったわけではない。

その人物は今年の初めにインタビューした日本人のバレエダンサーだった。ロンドンの有名なバレエ団で活躍するダンサーで、「いろいろと大変でしょう」とおれは最初に聞いて、彼女を不機嫌にさせてしまった。別に大変じゃありません、と彼女は言った。言葉を覚えたり、食事になれたり、他のダンサーや振り付け師に受け入れられるまでは大変ですが、そのあとは普通にやっています。普通にやっていけるようになるまでが大変なんです。そのことは日本人にはわかりくいと思います。ロンドンにも多くの日本人がいますがそのほとんどは日本を背負ったままです。日本を背負わすに向こうの生活に馴染めば、普通に暮らせるようになります。

バンコクにいてもその多くは日本を背負ってというのか、引きずっている。やれタイの食事は飽きるとか、タイ語は難しいとか前置きをしているが、見ていて嫌になる。もう10年もいるというのに、タイ文字も読めずにどういうつもりなのだろう。他の例えばフランスとかロシアとか言う国で、その国の言葉も、まして英語も話せずにやっていくことができるんだろうか?親日国でよかったな。まあ、ここはフランスでもなくロシアでもないからな。

ローマだってサラセンだってモンゴルだって絶頂期のあとダメになったんだから。それも突然に消えたわけじゃなくてゆっくりと時間をかけて世界史から消えていったんだから、日本だってゆっくりと自然にダメになっていったって何の不思議もないのよ。それに、ダメになるっていったって日本人が絶滅するわけじゃないし。もともと持ってたのはお金だけで、影響力も発言力もなかったんだから、いいんじゃないかと思うけどな。経済的に二流国や三流国に落ちたって、別に何てことないんじゃない?

昔カナダの短編映画で、ああやってお尻にハートを描いて、矢を突き刺すやつがあったんですよ。他の中学でもいろいろやってるみたいだったし。人を集めておいて、カタルシスが何もないのも問題だから。

じゃあ、おれたちが今日の集会をどういう風に記事にするか、君たちにとっては非常に大事なわけだ、とおれは聞こうとして、止めた。そんなことは当然のことで、当然のことをわざわざ確認し合うほど、この中学生たちは甘くない。後藤のモンゴルの話を聞いて、涙を流しそうになるほど感動していたポンちゃんだったが、今はもう普通の顔をしてモニターに視線を戻している。よし、おじさんが君たちに有利に事が運ぶような記事を書いて上げよう、などと言うのは甘えだ。えっ、そうですか、うれしいなあ、と応じるのも甘えだ。そういう応答は意味がないが、この国ではそういうやりとりだけが基本的なコミュニケーションとして成立してきた。

去年の受注後、制作の前に客から「期待してますから」と半笑いで言われた事があって、どうにもそれがひっかかっていたんだが、その時つくれる最も良いものを作るのは当たり前の話で、わざわざそういうことを確認してくることにイラッとしたのだ。それもどういうわけだか半笑いで。もちろん良いサイトをつくって納品したが、その時に彼は「モチベーションがあがりました!」と言っていたが、あれから半年ほど経って、その会社のブログは1度しか更新されていない。

誰かに何かをしてあげたい、誰かに何かをしてあげることができる存在になりたいという思いが、どれだけ普遍的で、切実なものかをこれから日本人は思い知るようになると思う。

台湾は1997年のアジア通貨危機の影響をほとんど受けていないらしい。その理由をていねいに説明してくれたのだが、ほとんど忘れてしまった。確か、蒋介石がスーパーテクノクラートに経済制作をまかせたからだ、みたいなことだった。

例外はひとつしかなくて、それは客の襟元をサソリが這っている場合だ。そのときは、お客様、サソリが襟元を這っておりますが、と話に割って入って、注意をしなくてはいけない。

居酒屋で群れているサラリーマンを見て下さい。彼らにしかわからない貧弱な言葉で、群れの中で笑い、群れの中で叫ぶだけです。個人として対面すると何も話せない。話すこともないし、話し方も知らないし、コミュニケーションが努力なしでも成立すると思っています。フリースクールの子供達は、まず孤独です。不登校という大変な状況の中で、自分を確認しなくてはいけないので、自然と言葉を獲得しようとするわけです。彼らは本をよく読むし、これから自分はどういう風に生きていけばいいのかということを考えていて、他人の話をよく聞きます。必死で理解しようとするわけです。自分の生き方を他人に説明したり、他人の意見を理解するということは彼らにとって死活問題なわけです。

「知ってますか、関口さん。ガダルカナルにアメリカ軍が上陸したとき、四万の敵に、日本は三千の兵力で向かっていったらしいですよ。敵には大砲が五百門あったんだけど、日本軍には二門しかなかたんですよ。それでもちろん上陸した海軍陸戦隊は全滅するんだけど、その次も、三千人くらいの部隊で攻撃するんです。小出しにやるのが好きなんじゃないでしょうかね」

よく考えてみると日本に希望がないというのはどういうことですか、という質問はおかしい。日本には希望がない、ということ以外には意味がないし、それ以上の説明のしようがない。

「関口さん、ぼくらは、ちょっとですが、疲れたんです。市場というものがといういうものか少しわかりました。市場というのは、欲望をコミュニケートする場所で、まるで空気みたいに、あらういはウイルスみたいに、どこにでも入り込んできて、それまでそこにあった共同体を壊してしまうんです。共同体が持っていたモラルや規範を無意味なものにしてしまうんです。ただ、ぼくらはそういう市場を利用して資金を作ったし、大人の社会と戦ったわけなんだけど、そのルールに従うのはばかばかしいと思うようになったんですよ。もちろん市場はニュートラルだから、市場が悪いわけではなくて、市場が生み出す不均衡が悪なんです。自由主義経済は必ず敗者を生むから、勝者も敗者からの復讐を恐れて生きなくてはならないでしょ? それって、本当に無駄だと思いません? DVDプレーヤーを買ってくれなかったからといって母親をバットで殴り殺した中学生がいたでしょう? それに売春をする女子中学生もたくさんいたでしょ? 臓器を売るホームレスもいるし皮膚を売る大学生もいたでしょう? あれはぼくらの生活の隅々に市場が入り込んでいて、臓器やからだといったもともとは個人に属しているはずのものまでが売買の対象になっているということなんです。このままでは、ぼくらは、ぼくらが憎んだ大人たちとちっとも変わらない大人にしかなれないと思ったわけなんです

おれは悲しい気分になっていた。何か無駄な繰り返しが若い頃に必要だとか、そういう風には決して思わない。安心できるものに囲まれて暮らす方が平凡だけど幸福なのだとも思わない。ただ確かなことがあるような気がした。それは、無駄なことの繰り返しはおれたちを安心させるということで、そのことが妙に悲しかったのだ。

それが何かうまく言えないんですが、要するに、上の人にペコペコして、下の人には威張る、というようなメンタリティです。そういう醜いメンタリティをどういうわけか北海道と沖縄の人は持たずにすんでいるんです。

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