経営者のみなさん! 準備できていますか? – 桑田 一成

お客さんでもあり、プライベートでもお付き合い頂いている人が師匠と言う方の本。

鶏口牛後 大きな組織の末端で働くより、小さな組織を率いる方が良いという意味です。

私も博報堂でいるときに最後のチームリーダーが似たことを言っていたが、理解するのにしばらく時間がかかった。

来店したある中国人経営者に、席数を増やそうと考えていることを話すと、「席数を増やせば自分の仕事量も増える。むしろ席数を減らして顧客単価を上げるほうが経営効率が良い」と教えてくれました。

今の私の状況は、案件を増やしすぎて仕事量が増え続けている。仕事量を減らして顧客単価を上げて、経営効率をあげる方向に舵をきらなければならないが、なかなかそのように立てない。もう少し安定してから、ということを考え続けて、本当は「今」が最高のタイミングなのだろうが、勇気が出ず。次の見積もりからは少し単価を上げてみる。

『オープン間もない店ですから、頑張って買い取ります」という一言を意識的に添えて買い取るようにしました。そうすることで、来店するすべてのお客様にインパクトを与えることができるからです。

これは私の持論ですが、誰かのためになにかをすることで、人間本来のパワーを発揮できると考えます。

社長は夢を語れ

本日2019年1月31日に思うこと、日本人も含めタイ人や英語を話す人とも仕事をしていく機会をつくっていきたい。
今日サウナで湯に浸かっていると、スリランカ人とフィンランド人と一緒になった。フィンランド人の彼にアジアとヨーロッパの人の違いを聞くと、アジア人(彼の知っているタイ人)は、ヨーロッパと比べると恥ずかしさを感じるのが強い。向こうでは間違ったことを言っても構わないが、こっちの人は間違えると恥ずかしがる。うむ。日本人はタイ人よりもっとそうだろうと思うと言うと、彼もきっとそうだと言った。 こういう話が面白いから、まだまだもっと世界を広げることをしたほうが良い。

バンコクの日本社会の中の競争に巻き込まれて疲弊するのはバカバカしい。ちょうどひとつタイ人のお客さんのサイトが仕上がったことだし、この波に乗っていく。他の会社や人たちとは違う、別の成長をしていく会社にする。

私が思うに、商売とは、小さな企業努力と問題解決の積み重ねであって、それによって店舗間の格差が生じるのです。

企業のブランディングも非常に大切です。中小零細企業が多額の経費をかけずにできるブランディングがあります。お客様が持つ自社のイメージを取り込むのです。

歌うクジラ 上 – 村上龍

この前に読んだ村上龍作品の「オールド・テロリスト」と「半島を出よ」の2冊が面白すぎて引き込まれたのだが、この作品の特に前半では退屈をしてしまい、ガスケットというゲームやイスンの戦闘シーンなど読み進めるのがつらいところがあった。
しかし後半では、この作品で描かれる未来の様子がいくらか鮮明に想像できるようになって、下巻でどうなっていくのか。

小さいころは他の子供といっしょに捕まえたネズミに灯油をかけて焼き殺したり犬の肛門に強い成分の辛子を詰めて暴れさせたあとに殴り殺したりしたが、それは単なる遊びだ。

老人施設でサツキという女は汗や唾液や尿などからだから出る液体を全部舌でていねいにすくい取るように命令して、自分の分泌液は蜂蜜のような香りがするはずだと言った。本当に蜂蜜の匂いがした。

お前アリが知ってるか。知らない、と首を振ると、昆虫のアリは英語でantと書くらしくて、サガラという人が軽蔑する人びとも通称antで、それはautomatic negative thoughtの略だった。当たり前のことさえものごとが悲観的に考える人間のことなんだ、サガラという人はそう答えた。総合精神安定剤がantを生んだのだそうだ。

英語の主語と述語、たとえば I と have の間には何もないが、日本語には何種類もの助詞がある。わたし、持つ、では意味が通じない。わあたしは持つ、わたしが持つ、わたしを持つ、わたしで持つ、わたしより持つ、わたしから持つ、全部意味が違う。助詞は一世紀も前から移民の日本語力の判定に使われてきた。助詞は覚えにくいので日本語習熟度の度合いを測るのに便利なのだ。日本語の動詞と名刺では助詞の使い方が違う。行くからね、と動詞のときは、からね、を使うが、ピアノだからね、と名詞のときは、だからね、を使う。行くだからね、という風に間違う移民が多いのだと父親は言った。移民たちが日本の象徴として日本語の助詞をターゲットにし、反抗の意思表示として故意に崩し始めたのは第一次内乱のあとだった。

気に入られるという意味は、ここにいてもいいということだとぼくは理解した。アキラをわたしたちに気に入られたのはね、とアンは言った。父が必要以上のお金で欲しくないからアキラが体内チップなんか関係ない、わたしたちを何が大切にしているのか考えてみているをいいを思うのよ、その人をどのくらいニッポンに反抗しているか、反乱に加わっているか、抵抗と示しているか、それだけが信頼を基準になっているの、それだけは信頼を基準なのよ、わかるでしょう、アキラを自分が抵抗しているのがちゃんと話して、わたしたちをそれが聞いたでしょう、だからわたしたちがアキラが気に入られたの。

メモリアックで両親の内蔵が飛び散るところを見たあとにもっとも卑しい人間だと三回言わされたのだとヤガラという人が言うと、オグラという人はすまなかったと謝った。

悲しみや喜びという感情は何が起こるかわからない未来に対するために人間が手に入れたものだと父親に聞いた。未来が不確実であることこそ絶対の事実だと学ぶために、感情が必要だった。天変地異や災害が起こり思いがけない幸運や悲劇が起こることが当たり前のことだと太古の人類が学んだときに、喜びや悲しみという感情は必要となった。動物は喜びや悲しみを表現することはあるが自覚はできないのだと、島の人間であっても動物とは違うと父親から教えられた。だが父親から屈辱や辱めという言葉を聞いたことはない。屈辱が犬のクソを誰かに塗りたくられることだとしたら島には屈辱はない。屈辱という概念には前提があるような気がした。対等とか平等とか、幻想的で郷愁を誘う言葉が前提にある。もっとも卑しい人間と復唱させられたときヤガラという人はからだを震わせていてぼくはこの人はいったい何をしているのだろうと不思議だった。卑しいというのは単なる言葉だからバクスのような力のある階層から言えと命じられたら、ぼくもサブロウさんも何万回だって言うだろう。たとえ犬のクソを塗りたくられても、テロメアを切られて殺されるよりはるかにましだ。殺されないようにしなければならない。それが最優先だ。島では幼児でもそれを知っている。

さっき何を話すなと言ったのが仲間内へ会話すると危機感と緊張は薄れて相手に対抗する力を弱まるんだよ。

さっき学んだが欲望は見ることから始まる。

それらを解釈してはいけない。あらゆるものから逃げ延びるのだ。この、素晴らしい汚辱に充ちた世界を旅せよ。そして生きのびて必ずわたしの元にやってこなければならない。

笑ってはいけないと、サツキという女は何十回とぼくに命令した。ぼくは一度も笑っていないのに、笑いは真剣さを奪うのだと何十回となく言いながらサツキという女は異様にツルツルした肌を押しつけてきた。

他人の悲しみや苦しみは長続きしない娯楽だ。自分の悲しみや苦しみを見て誰か他人が似たような思いを抱くという想像は冗談であり娯楽だ。親子でも同情はない。

あがりと。

サブロウさんは首を振りながら、父親だけどんな猿だったんだ、と聞いた。ネギダールという女は動物の骨で作られた髪飾りでマッチを擦って煙草に火を点け、大きいが俊敏な猿だったらしいが精子と体細胞を採取されたあとにすぐに殺されたのでおれは父親の猿には会ったことがないが会いたいと思ったことも一度もないんだ、と答えた。

庭は建物の窓から洩れる明かりと軒から吊された赤い提灯に照らされて、日的反乱分子是熱烈歓迎、接待如疾風怒濤、電脳是情知袋、というような感じが読めた。

中国人だと思われる東アジア系の人々が丸テーブルを回し大きな皿に盛られた料理を自分の小皿に移し口に運んでいる。油にまみれて光っている青い野菜、反り返ったりねじれたりしている小さな魚、小動物の足のように見える細切りの肉、半月形の饅頭のようなもの、灰色と黄色の粉、平たい紐のような麺、みたことのな料理ばかりだ。

天井から下がるガラス玉と電球の照明器具を反射している。

風呂は大切で入るがいい、男と女は分かれて風呂に入る、と男はまた小さい声を出した。

結局は利益のためにぼくとサブロウさんを助けた。利益以外に他人を助ける理由はない。

想像させるには言葉が必要だとあのとき学んで、診療バスで医師らしい男を脅すことができたのかも知れない。だとすると宋文は、想像によって何事かがかのうになり、実現する場合があるのだと学ぶ機会がなかったのかも知れない。

だがわたしは盗聴などには屈しない。作家は本質的に自由でどこかに追い詰められても閉じこめられても追いやられても、その場所で言葉を紡ぐ。だから自由なんだ。

現場のプロから学ぶ SEO技術バイブル

インターネットが生活の当たり前のインフラになり、水道の蛇口をひねって水を流すように、スマホやパソコンのキーボードを叩いて情報を検索するようになった。質の高いウェブサイトをつくる、ということには様々な意味が含まれるが、内部と外部の施策を考え、検索結果の上位に結果が現れてくるようにする、というのが間違いなくひとつある。必ずしも検索結果で上位を獲得できなくても、ウェブを使って集客をすることはできるが、『質の良い』と言うからには、それは担保しておきたい。

Airbnb Story 大胆なアイデアを生み、困難を乗り越え、超人気サービスをつくる方法 – リー・ギャラガー、 関 美和

日本語で書かれた企業理念も魅力的な文章で、物件の写真をプロのカメラマンが撮影することにして爆発的ヒットを生んだというくらいしか知らなかっエアビーアンドビー。
共同創業者3人のうち、2人がデザイナーであるという事実、そして経営の門外漢であったことには勇気を与えられる。

話題づくりのためのシリアルはなかなかやるなと思ったし、

テクノロジーのスタートアップってみんな、それほど独創的でもないひと昔前のアイデアを、ちょっとオシャレでミニマリとっぽいデザインのウェブサイトで飾って、新しいものみたいに紹介してるだけじゃない?

[世界を居場所にする」
それがエアビーアンドビーのミッションで、究極の目標だ。

世界中のどんな問題も創造的なデザインで解決できると教わってきた。どんなものでも、かならずデザインできる。理想の世界をデザインすることだってできる。

できあがったサイトには、大げさな宣伝文句を並べた。(「国際デザイン会議で新しい人脈をつくろう!」)。

そこには、エアマットと枕とおまけの袋が置かれていた。袋の中には地下鉄のパス、サンフランシスコの地図、ホームレスの人たちに渡す小銭が入っていた。

「朝食をチェンジ!「みんなのお皿にホープを!」

みんな写真が下手で、2009年当時はアップロードの仕方がわからない人も多かった。そのために、実際は素敵な部屋でも、写真では暗くて薄汚く見えた。そこで、ホストの部屋にプロの写真家を無料で送り込むことにした。

そこで、誰かを雇う前にコア・バリューをつくることになった。3人は、「オリンピック選手のように必死に努力する」「家族的な精神を築く」「エアビーアンドビーを強く信じる」など、10か条の原則を書き出した

旅行者が一泊100ドルの部屋を予約すると、12パーセントのサービス料がかかるので、エアビーアンドビーは12ドルを上乗せし、旅行者は112ドルを支払う(清掃費などそのほかのすべての費用はホストが持つ)。
エアビーアンドビーはその12ドルを取り、ホストからは100ドルの3パーセントを徴収する(ホストは97ドルを受け取る)。

必ず3クリック以内で予約が完了すること。
チェスキーとゲビアがヒーローとして憧れるスティーブ・ジョブズは、iPodを開発したとき、3クリックで楽曲が手に入るようにデザインさせた。

プロが写真を撮った物件は普通の物件より2倍から3倍の予約が入ることがわかり、2011年の終わりにはプロの写真サービスを月1000件から5000件に増やしたところ、予約数は急上昇した。

エアビーアンドビーをせんでn「あなたの夢を叶える、おとぎばなしの世界のようなエアビーの18のお城」といった具合に。

地元のカフェやバーやジムを鍵の受け渡し場所にするサービスだ。カフェやバーに受け取り用のボックスを設置する。ホストは月に12ドル95セント(と受け渡し時に1ドル95セント)を支払って、RFID内蔵のキーホルダーを受け取る。旅行者はキーカフェアプリをとおしてアクセスコードをもらい、それでボックスを開ける。ホストは鍵の受け渡しが終わったら連絡を受ける。地元のカフェやバーは人の往来が増えるので喜ぶ。

2013年のサラ・レイシーとの対談で、チェスキーは旅行客がホテルを選ぶ理由を3つ挙げている。予約に手間がかからないこと、なにを得られるかがわかっていること、そしてサービスだ。

騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編 – 村上春樹

ダブルベースの同じ開放弦を一度だけぼんと鳴らしても、チャーリー・ミンガスの音とレイ・ブラウンの音が確実に違って聞こえるのと同じように。

「イマヌエル・カントはきわめて規則正しい生活習慣を持った人だった。町の人々は彼が散歩をする姿を見て、それに時計の時刻を合わせたくらいだ」と私は言ってみた。

たとえどのような年齢であれ、すべてを女性にとってすべての年齢は、とりもなおさず微妙な年齢なのだ。

感情をうまく制御することができるようになったのだ。たぶんそのためのなんらかの自己訓練が行われたのだろう。

しかし実のところ、ほんの数週間前に描き終えたばかりなのに、自分がいったいどのような絵を描いたのか今ではうまく思い出せなかった。いつもそうだが、ひとつの絵を描き終え次の作品にとりかかったときには、その前に描いていた絵のことはおおかた忘れてしまう。漠然とした全体像としてしか思い出すことができない。ただその絵を描いた時の手応えだけは、身体的な記憶としてまだ私の中に残っていた。私にとって大事な意味を持つのは作品自体より、むしろその手応えなのだ。

歳をとっていくのは怖くありませんか? 一人ぼっちで歳をとっていくことが?

絵の制作には実際のモデルを前にして進めるべき作業があり、モデルが前にいないときに準備しておくべき作業がある。私はどちらの作業もそれぞれに好きだ。様々な要素について一人で時間をかけて考えを巡らせ、いろんな色や手法を試しながら環境を整えていく。そういう手仕事を楽しみ、またその整えられた環境から自発的に即興的に実態を立ち上げていく作業を楽しむ。

彼は呆れたように私をみた。「今はもう二十一世紀なんだよ。それは知ってたか?」
「話だけは」と私は言った。

「明日は明日だ。今日は今日しかない」と雅彦は言った。

要するに、自分で飯が食べられれなくなったら、あとは静かに死なせてくれということだよ。まだ意識のはっきりしているうちに、弁護士をとおして文書のかたちにされていて、本人の署名もある。

同時進行させていた二つの絵のうちで、先にできあがったのは「雑木林の中の穴」の方だった。金曜日の昼過ぎにそれは完成した。絵というのは不思議なもので、完成に近づくにつれてそれは、独自の意思と観点と発言力を獲得していく。そして完全に至ったときには、描いている人間に作業が終了したことを教えてくれる(少なくとも私はそう感じる)。そばで見物してる人にはーもしそのような人がいたとすればたがーどこまでが製作途上なのでなのか、どこからが既に完成に至った絵なのか、まず見分けはつくまい。未完成と完成図を隔てる一本のラインは、多くの場合目には映らないものだから。しかし描いている本人にはわかる。

どうだろう、と私は思った。免色のような深く込み入った意識を抱えた男が、秋川笙子のような、どちらかといえばあまり屈託のないタイプの女性にそこまで強く心を惹かれるものだろうか?

二ヶ月ほど前のことだが、おれはつきあっていた女の写真を撮った。ディジタル・カメラで、顔の正面からのアップを撮った。で、それを仕事用のコンピュータの大きな画面に写し出した。そしてどうしてかはわからないけど、真ん中から分けて、顔も半分ずつ見たんだよ。右半分を消して左半分だけを見て、それから左半分だけを消して右半分だけを見て…だいたいの感じはわかるか?

「よくわからないけど、話がややこしくなりそうだということは理解できる」
「ややこしくなるんだよ、実際に」

デザイン面から見る限り、この建物の設計を担当した建築家の想像力は、それほど活発なものではなかったようだ。

そして薄手のセーターにブルージーンという格好になった。

別の場面で、秋川まりえを描写するときには『ブルージンズ」という表現を使っていたが、ここでは昔からの『ブルージーン』という独特の表現が帰ってきた。

「ねえ、私の言ったことをオウムみたいに繰り返すのはよしてくれない?}
「悪かった」

「相手が普通の人間なら『おい、からかうな』と腹を立てるところだが、まあおまえだからあきらめるしかないみたいだ。所詮は油絵を描いて一生を送るようなやくざな、的はずれな人間だ」

どんなに恐ろしくても、恐怖に自分を支配させてはならない。無感覚になってはならない。考えを失ってはならない。

かたちあるものにとって、時とは偉大なものだ。時はいつまでもあるというものではあらないが、あるかぎりにおいてはなかなかに効果を発揮する。だからずいぶん楽しみにしておりなさい

知らない場所で眠り込んでしまうのは不安だったし、できることならずっと目覚めていたかったが、ある時点でとても我慢できないほど眠くなった。もうそれ以上目を開けていることができなくなった。

免色の弾くモーツァルトは日々少しづつより正確になり、そして音楽としてよりまとまりのあるものになっていた。注意深く、そして我慢強い人なのだ。目標をいったん設定したら、そこに向かってたゆむことなく進んでいく。感心しないわけにはいかない。しかし彼の弾くモーツァルトは、もしそれが破綻なくまとまりのあるものになったとしても、音楽としてどれくらい心愉しいものになり得るだろう?

象のような目をした性格のよさそうな女性だった。