ゴールを意識して生きているか。ゴールのために行動しているか。まずはそれを自問すべきです。
ゴールに向かう童貞には苦しさもあれば楽しさもあり、苦しくても楽しさがある。別の言い方をすれば、抽象度の高いゴールに向かって生きている人は、苦しさも楽しさも関係なく、ただひたむきに生きているのです。
その感情に振り回されずに、「悲しさも人生の味わいのうち」と、娯楽として味わえばよいのです。娯楽として味わっておけば、振り回されることはありません。
この世界の理を踏まえて生きていく心構えのことを「責任」と言っているのです。
「自分」とは、「他社との関係にまつわる情報」が寄り集まったものなのです。
「自分は他人の目にこんなふうに映っているんだろうなあ」というイメージは、あなた自身がつくりだしているということ。
他人の目に映っている自分というものは、自分が作り出している虚像です。「他人の目から見た自分」そのままを、自分で見ることはできないのですから、当然、それは自分が勝手につくっている虚像なのです。
「未来は最高だと」確信すれば過去も現在も最高である」
過去は未来に影響しない。本気で変わりたいならば、「これまでの自分」というゴミを捨てよ。そうすれば人は誰でも思い通りの未来をつくれる。
「自分は◯◯な人間だ」という信念は、「言語」と「イメージ」と「情動(感情)記憶」の三つの要素でできています。
あなたの自己評価を下げる相手は「ドリーム・キラー」(夢を潰す人)です。
自帰依自灯明(じきえじとうみょう)、つまり「自らを拠り所にする」のです。
日本の組織を見ていると、「やりたくないことを嫌々やる代わりに、責任はとらないよ」とみんなが言っているように見えます。
脳の判断基準は臨場感
現代認知科学でも、「リアル」とは「今、自分が臨場感を感じている世界」という定義がなされています。
恐怖を感じたら「おれらしくないな」とつぶやきましょう。
恐怖でクリアな頭を乱されている人は、「オレは何があってもビビらない」と自己イメージを高め、
「すべての感情を娯楽にする」
「ゴール達成に意味のある感情だけを自分に許可する」
この全体と部分との双方向の関係を「ゲシュタルト」といいっます。そして、ゲシュタルトによって事象を認識する能力を「ゲシュタルト能力」といいます。
あの人は打てば響く
人間は自分のためだけに生きていては幸せにはなれません。自分以外の人のために行動してこそ人は幸せになれるものです。