Takram のポッドキャストから。
便利すぎないことで得られることの実体験としては、私は旅の中で一生懸命に絵を描いていたのだが、旅先なので持ち物の量は制限されるし、道具を揃えるのも簡単ではなかったので、代替えや別の考えを持って場面場面をやってきた。ピカソが “If I don’t have red, I use blue?” と言っていたようで、言葉の真意は知る由もないが、物事や考えをタフに前に進める意味では便利すぎるのは、ためにならないのはそうであろう。
園舎の屋根には登ることができて、園児が毎日走り回っています。「ある大学の研究員が調査したところ、都内でサッカーを取り入れている幼稚園の子どもたちよりも、三倍以上も歩数が多かったと報告」されているほど。
「俺だけ感」は、言葉通りの意味です。ATよりMTのほうが独自の(俺だけの)運転を編み出す余地が大きい、紙の使い込んだ(俺の辞書だけの)クタクタ感があってこその習熟、300円という制約あってこそ選びぬかれた(俺だけの)お菓子の組み合わせ。これらは嬉しいことだと思い、総称して「俺だけ感」を名づけました。
「住吉の長屋」
これらの現象は、「頭の知性は合理的なもので鍛錬されるが、体の知性は不合理なものによって養われる」という、「むつみ庵」を経営する著者の考え方を反映していると思います。
そこでは、使いやすく理解しやすいものであることが志向され、以下のようなシステムデザインの姿勢が提案されています。
・どんな行為ができるかが、容易にわかるように
・行為の結果が目に見えるように
・システムの状態が評価しやすいよういに
・意図とそれを実行する行為の対応、行為とその結果の対応、見えている情報とシステムの状態の解釈の対応が、自然であるように
歩行者も自転車も自動車も、誰もがお互いに配慮しながら、アイコンタクトで慎重に移動します。人の行為を決めるのは、誰か知らない人が決めた法規ではなく、そこにいる人たちの良心と周辺環境です。
「トラベル」と「トラブル」は語源が同じと聞いて、我が意を得たりと思いました。しかし調べてみたところ、残念ながらちょっと違うようです。
我が意を得たりと思ったのは、「旅とは思い出」という解釈を支持しているからでした。旅には(プチ)トラブルが必要なのです。
素数ものさし