インドが変える世界地図 モディの衝撃-広瀬公巳

1月にインドへ行くことにしたので、前から気になっていたナレンドラ・モディ首相を学ぶ意味も含めて。

数えてみれば次のインドで通算5回目。しかし言葉はナマステ、ダンニャバード、グラム・チャイ・ディジエ、ケラしか知らない。
7,8回来ていたタイに住む前にもサワディーカップとコップンカップしか知らず、それもコップ&カップと覚えるといいという後輩の教えで覚えたようなもの。いつも旅では目の前に起こることを楽しんでいたし、そのスタイルは変わらないと思うが、こうやって読んでみると、これから行く国ということで面白く読めた。

2018年8月15日。インドの独立記念日の式典でモディ首相は、インドがフランスを抜いて世界第六位の経済大国となったことをアピールし〜

日本の敗戦記念日は、インドや韓国では独立記念日となる。

2015年にグーグルのCEOに就任したサンダー・ピチャイ。<中略>
マイクロソフトのトップを務めるサティヤ・ナデラも、1967年にインド南部アンドラプラデシュ州ハイデラバードで生まれた。<中略>
ソフトバンクの副社長やヤフーの会長を務めたニケシュ・アローラは、1968年にインド北部のウッタルプラデシュ州で生まれた。

ヤンマーは、田植機やコンバインなどの生産販売及びサービスについて、ハイデラバードの現地法人と合弁契約を結んだ。クボタも、索引など多用途に適合したトラクタの現地生産を行ない、世界最大規模のトラクタ市場で進出を加速させている。

タイの製造業と付き合うようになると、ヤンマーやクボタの活躍が見えるようになった。タイは人口6千6百万ほど、インドは13億。

インドで先行するアマゾンとの、巨大な成長市場を巡る争いが注目される。

従来、経済の基本は「ヒト」「モノ」「カネ」と言われてきた。

「経済」という大きなものについて納得のいく考えを持ちたい。
村上龍が「小説で精神的なあれこれを書いても、そんなもの経済的に説明すると3行で済むと言われたくないので、経済を学んだ」というようなことを言っていて、経済抜きではどうしても語ることが難しい社会において、いくら情動が豊かでも賢くないように思うところがあるのだ。

そんなベンガルールで、日本のカレーがインド市場に挑戦しようとしている。五十年の歴史を持つ「ボンカレー」で知られる大塚食品が、ベンガルールをインド進出の舞台に選んだ。<中略>
三井物産と株式会社壱番屋も「カレーハウスCoCo壱番屋」をインド全土で展開するために合弁会社を設立した。

日本なんて。。という気持ちがあるが、それでも日本企業が世界へ進出していくのを知るとワクワクするのは、やはりその「日本なんて」も愛情なのか。

インドは2017年前後に中国を抜き、世界一の人口大国になると予想されている。

東大寺の境内の一角には、四頭のインドライオンが背中合わせに並ぶ、少し日本の風情とは違和感のある石柱がある。

日本の寺院でみられる仏像の多くはインドにルーツがあり、ヒンドゥー教の神々が日本では仏様を守る守護神などに姿を変えている。例えば、吉祥天は女神ラクシュミー、大黒天はシヴァ神、弁財天は女神サラスヴァティー、ブッダはビシュヌ神の生まれ変わりということになる。

日本の「アルト」を改良した「マルチ800」の納車をグルガオン工場から開始した。

鈴木修氏。
http://book.masatoshigoto.asia/2018-july-06/

モディは、キャッチコピーの名手でもある。
人々が覚えやすい標語、呼びかけの決り文句を上手に考える。それを演説の中に巧みに織り込んで、雰囲気を盛り上げる。「メイク・イン・インディア」「クリーン・インディア」など、わかりやすい表現で関心を集め、世論を手動していく。

インドでは人口十三億のうち、まだ三億人が屋外で琲世を行っているという。

ウェブデザインの思考法 – 金 成奎

デザインを言語化するというのは、ボク自身も取り組んで5年くらいになる。
客先に提案する際にも当然それを用いるわけだが、それが上手に働いているのかどうかは、今一度検証する必要があるかもしれない。

「デザイン」というある種、曖昧で答えの無いように見えるものに答えを探して世に放つわけだが、その答えに確かなものがあるのかと言えば、決してそういうわけではなく、だからこそ、考察を重ねて、そうであるだろう答えに近づけていく努力をするわけだが、一度説明したそういう話が客先の心に残っているわけでもなく、公開したサイトに対して、突然に「メニューの前にアイコンを置いてください」という話が出てくることがある。

そういう場合にはもう一度丁寧に説明を重ねるわけだが、いまだに「アイコンつけるのって難しいですか?」とか「〇〇するのって大変ですか?」とか言われるわけだけど、難しいとか大変だとか言うのは、重要な話ではなくて、それを実行することがこのサイトに良い効果をもたらすのか、これまで構築してきた方針に沿っているのか、そういうことを考えることが飛ばされているこは少なくなく、さらには、打ち合わせやラインのグループ会話においては、その人の前に上司もいると、自分をアピールするために何かそれっぽいことを発言するような人もいて、「そういうところからの話になるのね。。」と半ばうんざりとしてしまう。

しかし、それでも特に最近はウェブサイトのビジネスにおける役割がより出てきているので、上手にやればデザイナーへの信頼は今までよりも強く確かなものになっていくはずなので、この本も参考に改めて、よりよい仕事をしていくことにする。

コルトレーン – パオロ・パリーシ

イタリア人によるジョン・コルトレーンの話。
かなり掻い摘んでいるので、ある程度ジョン・コルトレーンの事を知らないと良く分からないが、いくらかジョン・コルトレーンのことを知ることができた。

ポケット・トランペットなるものがある。

聞きたいのは、どこから出発したかってことじゃない。いったいどこに向かっているか、だ。 〜マイルス・デイビス

「分析」で成果を最大化する BtoBビジネスのデジタルマーケティング – 中田 義将

変化の速い世界のなか2017年の書籍。
読んでいるとベイジの枌谷氏が書いていることと似たようなことが書いてあるので、BtoBに関してはこれらを実行していくことで、それなりの成果が上げられるのかもしれないが、実行を継続するのが何より大変。プロジェクトを立ち上げるところまでは良いが、それを継続していくこと、プラスの情報を追加していくことをしていくためのリソースと費用をクライアントから捻出するのは簡単ではない。

私の会社の調査によれば、多くの顧客が、購買行動を開始する前にインターネットで情報を収集し、十分な比較検討を行ったうえで、意思決定をすることが明らかになっています。

そのため売り手も、インターネットを使うことで見込み客と接点を持ち、興味・関心を換気する方策を講じることが必要になりますが、それは決して難しいことではありません。

白痴 1 – ドストエフスキー

ずっと読みたくて新潮版が本棚にあったのだが、いよいよ読んでみようという気になって、どうも文字が小さいのが気になり調べてみると河出書房のものが読みやすいとあったので書い直して読み始めた。実際に新潮のものを読んでいないが、これは読みやすかった。

カラマーゾフの兄弟と同じように登場人物が多く、名前も親しみのないものだったので、人物相関図を作りながら読み進めるのが楽しく、少しずつ読み進めるとのめり込んでいった。登場人物の思考が疑り深く、浅はかな感じがしなく、人間模様が面白い。


読みながら作成した人物相関図です。お使いください、もしも使えるようであれば。

その結果ご面会いただければよろしいですし、いただけなければそれもまた結構、いやひょっとして大いに結構かもしれません。

まったく関係ないが、菊地成孔が「結構、結構」言った後に、山下達郎のSPARKLEが流れたのが最高だった。

ええ、時間は許しますとも。ぼくの場合、時間は全部自分のものなのです。

彼女はおおむね孤独に暮らしており、書を読み、勉学にまでいそしみ、音楽を趣味としていた。交友関係は狭く、いつも親しくしているのはどこかの貧しくて風変わりな役人の妻たちで、他にも何とかいう女優が二人と、どこかの婆さん連中とつきあいがあった。

確かに今の自分は辛く寂しい、とても寂しい気持ちでいる。つまりトーツキーさんが言い当ててたとおり、自分は愛情とはいわぬまでも、せめて家庭を得ることを新しい目標として、よみがえるることができたらと願っているのだ。

少なくとも自分は何事につけ、何人の許しも請うつもりはないし、人にもそのことを知っていてもらいたいと思っている。

だが気弱な人間の常として、彼も時々にわかに元気を取り戻し、みるみる勢いづく瞬間があった。

ぼくははじめめからおまえが悪い女なんて少しも思っていなかった。ただ不幸せな女だと思っただけだ。

ぼくは白痴扱いされているけれど、本当は賢いんだ。ただみんなにはわからないんだ……

ぼくは人づき合いが苦手なものですから、ひょっとしたら次にお邪魔するのはうんと先になるかもしれません。でもどうか悪くとらないでください。決して皆さんを軽んじて言っているわけではありませんし、何かでぼくが気を悪くしたなどともお思いにならないでください。

ある種の人たちによく見られることだが、いったん相手を罵倒して何の反発もないと見ると、ガブリーラは次第に遠慮会釈なく罵詈雑言を浴びせるようになってきた。

「水をお飲みなさい」彼はガブリーラにささやいた。「それに、そんな目つきをしてはいけません……」

ぼくのほうは彼ほどには恥ずかしさを感じません。だってぼくの場合は父親の問題なのに、彼の場合は母親でしょう。これはやっぱり違いますよ。だって男性の場合にはあんなのも恥というわけではないですから。でもこれもひょっとして、両性間の支配関係に関する偏見でしょうか。

だいたいここには誠実な人間がおそろしく少なくて、尊敬できる相手など皆無です。だからどうしても人を見下すようになりますが、相手はそれでも尊敬を要求してくる。

しかもこの女性はどうやら、おつむの弱さと顔の綺麗さが比例しているような按配だったのだ。

「ご存知ですかとトーツキーさん、噂によると、日本人もよく同じようなまねをするそうじゃないですか」ぷちーツィンがそう話しかけていた。「日本では、侮辱された人間が侮辱社者のところに行って、こう言うそうですよ。『お前は私を侮辱した。だから私はお前の目の前で腹を切りに来た』そしてそう言うとともに、本当に侮辱者の目の前で自分の腹を切り裂いて見せみせ、しかもそれで実際に敵討ちをしたのと同じような極度の満足を得るのだそうです。まったく世の中にはいろいろ変わった正確があるものですね、トーツキーさ」