深夜特急1 ー 香港・マカオ – 沢木 耕太郎

yotubeで大沢たかおの深夜特急があがってきて、観てみると久しぶりに読みたくなり本棚から。
ドラマの方の大沢たかおがずいぶんと若かった。あの頃は少し年上に見えていたように思う。

パスポートと現金だけは、パンツの中にしまったり、首から吊るした革袋に入れたりして、しっかり抱いて寝る。それは同室者を疑うとか疑わないの問題ではなく、あとでごたごたしないための、ドミトリー暮らしをする者の最低限のエチケットといってよかった。

仕事でもなんでも同じ。あとで面倒にならないように、やるべきことってのがある。それを信頼してるからとかなんとか耳障りのいい言葉を並べてズボラにして、後で何かあれば、馬鹿な犬のように怒り出す。こういう気配りができないやつは駄目。

香港には、光があり、そして影があった。光の世界が眩く輝けば輝くほど、その傍らにできる影も色濃く落ちる。その光と影のコントラストが、私の胸にも静かに沁み入り、眼をそらすことができなくなったのだ。

持てる者が常に豊かで、持たざる者が貧しいかといえば、それはそう簡単なことではない。<中略>自分が情けないほどみじめに思えてくる。情けないのはおごってもらったことではなく、一瞬でも彼を疑ってしまったことである。少なくとも、王侯の気分を持っているのは、何がしかのドルを持っている私ではなく、無一文のはずの彼だったことは確かだ。

だが、一指も触れなかった女にどうして助平などと罵られなければいけないのだろうと言おうとして、そうか、だから助平なのか、となぜか深く納得してしまった。しかし、あそこで突如として麗儀に襲いかかったとしたら、助平とは言われなかったろうか。いや、言われたろう。でも、どうせ同じように助平と言われるのなら、どうしてあの時…と後悔したが、文字通りあとの祭りだった。麗儀は二度と私の部屋に遊びに来ることはなかった。

身体の関係を持ってしまうと、その後の生活でも関係を持たないわけにはいかなくなるから、気軽に手を出したり出来ないとか、自分を強く律したが、実際のところそんなこともなく、1度きりで終わっても互いによければ良いし、1度関係を持ったあとでも、身体の関係なしに、食事などに行くこともできるということが分かった。互いが良ければ何でも良いのだ。あまり一般的な考えに支配されないほうが良い。

ゴアとマラッカとマカオ。それらはいずれもポルトガルのアジア貿易の前進基地としての役割を果たしところである。

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