かっこいいスキヤキ – 泉 昌之

久し振りにみうらじゅんと安齋肇のTR2を聞いていると、この漫画の話が出てきたので試しに。
構図が独特で視点が面白かった。

当時TR2をやっていたのは2005年頃で、あの頃のみうらじゅんはようやく今のボクと同じくらいの年くらいだったのかなと思ってみてみると、2005年時点で47歳ってんだから。47でチ●ポ、チ●ポってあの感じなんだから、ははっ、まだまだこれからだよな。

大至急ったって
あんた
そっちの
都合ばかり
いったってね

これはどの仕事でもそうなのかもしれない。ボク自身も含めて客は、自分の都合で早く早くと求めるが、実際に早くやるには自分で何かを進めなければならないこともあるのは横においておいて。


昔アレックスというシカゴからの男とよく会う時期があった。
いい絵を描いたし、明るくてかっこいい男だった。
彼は日本語はほんとど喋れなかったし、おそらく読めなかったのだと思うが、写真のコラージュ作品の中に「パチンコ」の「パ」をトリミングして「チンコ」としたものがあって、こんな視点があるかと新鮮に感じたことがあった。
https://momaom.gallery/category/2005/

なんだかチンコ、チンコの話が多くなった。

ペスト – カミュ

「今日、ママンが死んだ」の異邦人を読んで、ペストと転落もバンコクの本棚でなかなか読むことにはならずに長く積読していたが、このロックダウンで売れている本に入っているということで、日本で新しく購入。

そう言えば、異邦人は映画になっていたのを思い出して、ひょっとするとペストも、と思ってみるとあるみたい。https://en.wikipedia.org/wiki/The_Plague_(1992_film)
残念ながらyoutubeにはない。

ここのところ自社サイトのリニューアルに時間と頭を使っていて、入浴中にやっていた読書もリニューアルまでの残りの作業やどうやって成果に繋げていくかといようなことばかりを考えているので、まったく集中できなかった。本当はそういう風に仕事のことで熱くなった頭をクールダウンさせるために小説を読めると良いと思うのだが、猛烈にとりくんでいるので、そういう余裕がないのかもしれない。

なので、ほとんど小説が残っていない。ウェブサイトはかならず成果に結びつくものにするし、そうなるだろう。

したがって、この町で人々が愛し合うその愛し方を明確に描くことは、かならずしも必要でない。男たちと女たちとは、愛欲の営みと称せられるもののなかで急速に食い尽くし合うか、さもなければ、二人同士のながい習慣のなかにはまり込むかである。この両極の間に、中間というものはそう見かけない。これもまた特異なことではない。オランでも他のところでも、時間と反省がないままにん、人々はそれと知らずに愛し合うことをいかにも余儀なくされているのである。

戦争が勃発すると、人々はいうー「こいつは長くは続かないだろう、あまりにもばかげたことだから」。そしていかにも、戦争というものは確かにあまりにもばかげたことであるが、しかしそのことは、そいつが長続きする妨げにはならない。愚行はしつこく続けられるものであり、人々もしょっちゅう自分のことばかり考えてさえいなければ、そのことに気がつくはずである。

天災というものは人間の尺度とは一致しない、したがって天災は非現実的なもの、やがて過ぎ去る悪夢だと考えられる。ところが、天災は必ずしも過ぎ去らないし、悪夢から悪夢へ、人間のほうが過ぎ去っていくことになり、それも人間中心主義者(ヒューマニスト)たちがまず第一にということになるのは、彼らは自分で用心というものをしなかったからである。

よく何か良くないことがあると、「止まない雨はない」というようなことを言う。今回のコロナの件でも何度か聞いたが、「いや、待てよ。そんなこともないよな」という考えがよぎった。止まない雨だってあるし、何かの問題に苦しみその問題が解決されないままに自分の命の方が先に終えることだって世界にはたくさんあるはずだ。だからと言って悲観的に生きろということでは全くないが、なるべく現実に沿って生きていたいと思うということだ。

メランコリック

「憂鬱(ゆううつ)なさま」や「ふさぎ込んでいるさま」を意味する言葉
一時村上龍の本によく出てきたような印象のある言葉。

この病疫の無遠慮な侵入は、その最初の効果として、この街の市民に、あたかも個人的感情など持たぬ者のように振る舞うことを余儀なくさせた、といってもいい。

我々が、自分たちは全く妥協の余地のない状態の中にあり、「折れ合う」とか「特典」とか「例外」とか言う言葉は全く意味がなくなっていることを納得するまでには、多くの日数を要したのである。

彼らはこのようにして、何の役にも立たない記憶を抱いて生活すると言う、すべての囚人、すべて流刑者の深刻な苦しみを味わった。

これも言っておかねばならぬが、ベストはすべてのものから、恋愛とさらに友情の能力さえも奪ってしまった。なぜなら、愛はいくらかの未来を要求するものであり、しかも我々にとってはもはや刻々の瞬間しか存在しなかったからである。

みんなでアジャイル ―変化に対応できる顧客中心組織のつくりかた – Matt LeMay

それが「定義は?」とい質問だ。何か言われたときに、その意味をなんとなくわかっていたとしても、あえて「定義は?」と聞いてみる。その繰り返しにより、妥協なく、本質を理解しようとする組織が出来上がる。

これはこちらから顧客へ話をする場合にも積極的に取り入れる必要がある。これまでも相手によってはこういう会話が出てきていて、そういう打ち合わせの後にはとても高揚した気分になっていて、「これだよ、これ」という気分。

アジャイルをムーブメントとして捉えると、私達が協力しなければいけないものであることが明確である。アジャイルは私たちに、オープンで協調的で思索的であれ、と言う。プロセスやツールの「正しい」実践の先を見据え、それぞれの人たちの違いや複雑さを受け入れよ、より良い方向に向かって一緒に働く方法を見つけることを求める。

相手に対する思いやりを意識することに努める。ここまで4年の経営を行ってきて、すこし思いやりをなくしていたところがあった。そうであっては自分のなりたい自分と会社になれない。もう一度思いやりを。人はそれぞれの立場で仕事に臨んでいる。思いやりを。

対照的に、アジャイル方式には、小さいながらもでき上がったアウトプットを短い周期でリリースするような機能横断チームがいる。「機能横断」という用語は、通常、プロジェクトの計画から実行までに必要とされるすべてのスキルが1つのチーム内に備わっているようなチームを指す。このチームは協力して働き、タイムボックスと呼ばれる有限で一貫性のある時間の区切りの中で、小さなアウトプットを完成させる。各タイムボックスのアウトプットは、対象者に向けてリリースされる。そこで集められたフィードバックは、将来のタイムボックスでのアウトプットの方向性と優先順位づけのために利用させる。このようにして価値のあるものが迅速に提供される。

サイト構築を担当するチームにはデザイナーと開発者の両方がいる。あなたは彼らと協力して、あなたや顧客のニーズにもとづいて、より小さなリリースに優先順位をつける。たとえば、最初の2週間のタイムボックスでは、店舗に関する情報を顧客に提供する簡単なランディングページを作ろうと決める。それから次の2週間のタイムボックスで、週ごとの特売品やお勧めを載せるだけのメーリングリストを作ることにする。4週間後には、あなたのビジネスの成長に寄与する何かを手に入れているだろう。もしかしたらそれは、あなたが思い描いていたフル機能のウェブサイトでないことだってあるのだ。

ぜひ試してみたい。短いタイムボックスでそこまでの結果が見えるので、全体の指揮もあがるだろう。

顧客中心主義は私たちの主要な目標を「上司を幸せにする」から「顧客を幸せにする」のにとても役立つ。

「ビジネスのステークホルダーを幸せにするもの」と「顧客に価値をもたらすもの」の大きな違いに注意してほしい。アジャイルの顧客第一アプローチで一番難しいのは、これら2つが必ずしも常に一致するわけではないことを認識して同僚やマネージャーに顧客のニーズとゴールが生命線であることを伝えることだ。

スケジュールや予算などの企業由来

顧客インサイトを巨大なパワーポイントで提供する習慣をやめて、小さくても構わないのでタイムリーな顧客インサイトを頻繁に提供する。

たとえ街角やコーヒーショップで誰かと話をするだけだとしても、建物から出て直接顧客と対話する。

やっぱりこれが大事で、テレワークが言われるが、全てを合理的に済まそうとするのでなく、不合理にひそむ真実をとりたい。

プロダクトやマーケティングの担当者に簡単なメールを送って、失敗に終わった電話や失注から得られるインサイトを集め、変化し続ける顧客ニーズに関する理解を共有する。

人が一緒に過ごす時間をインパクトのあるものにするために、あらかじめ会議で何を決定したいかを考えておく。

大人数での会議の難しさにあたっているちょうど今。社内での問題も解決できるようになるとよいのだが、どう切り出していいのか、また切り出すべきなのか。本当に人それぞれの立場でそこにいる。会社の文化なのか、役割を持たない人も会議に参加している。まずこれは変えていくべき。参加しなくても良く、別のことをしてもらうのか、プロジェクトに役割を持たすのか。社内でのコミュニケーションが希薄そう。信頼というよりは、ダメなところをみつけて、それを叩く。外から見ていると見にくく映るが、中にいるとイラつくのは分かる。思っていることをきちんと話して、良い方向に変えていくべきなのだが、そこまでの熱量はない。すると誰かが変わりにやるべきなのだが、そこまでの責任を? しかしここまで思った以上何かしらの判断をしなければいけない。うむ。