対岸の彼女 – 角田光代

大人になった現在と子供の頃を交互に行ったり来たりして、子供の頃の話にいまいち入り込めずもどかしく感じていたのだが、後半でいや〜んというくらい、とんでもないことになってそれまでのもどかしさが一気に吹っ飛んでしまった。

それって結局発想が違うようなことにしか私には思えないんだよね。それってつまりは経済じゃない。経済であなたはものを言ってるよ。

でもさぁ、自分から出てきた子供が、成長して、私には決してわからないことで、絶望したり傷ついたりするって、想像しただけで怖い。自分が親に何にも話さない子供だったからかな。私みたいな子供だったら、私、嫌だもん

ひとりでいるのが怖くなるような大勢の友達ではなく、1人でも怖くないと思わせてくれる何か。 小学生のようないじめをするほど幼稚ではないが、けれど、何かむしゃくしゃする、人を見下し、順列をつけ優位に立ちたい。そんな気分がどこにも出口を見つけられないまま鬱積していってるように、あおいには感じられた。

「観衆の心を捉える方法は1つしかない」中を見据え、太い声で葵が言う。「それは誠実かつ謙虚な姿勢で観衆に訴えかけること」

黙って腹にためこめば深刻味を帯びるが、口にすればどうしたって喜劇なのだと、いつかを思ったことが思い浮かんだ。

おばあちゃんね、癌になって入院したんだけど、その時さぁ、誰も悲しがらなかったんだよね。部屋割りとかてきぱき嬉しそうに決めたりして。右の和室が妹の部屋で、左の部屋が私とお母さん、それで台所んとこが父親の部屋とかさぁ、馬鹿みたいに。 おばあちゃんのタンスとか、作ってた梅酒とかぬかみそとか、バンバン捨てちゃって。でも、私も人のこと言えない。おばあちゃんどんどん痩せてって、それを見るの怖くて、全然病院行かなかったし。死んだって聞いたとき、どっかほっとしたりして。その時、ああ、私ってものすごい冷酷な人間なんだなぁって思った。冷酷で、残酷で、人の情みたいな、全然ないんだなぁって。

友達と泊まる予定だったんだけど、ドタキャンでね。気安く誘って悪かったわ。葵の声が耳にこびりついている。電車賃ない?出そうか、私。

叉焼(チャーシュー)

鑑真号(がんじん)

信じるんだ。そう決めたんだ。だからもう怖くない。 馬鹿な嘘をつき、脅す男がいる世界がある。一方で、仕事を放り出し、足を棒にして 空いている安宿を探し、例の言葉も聞かず立ち去る男のいる世界も、またあるのだ。同じことだ。奈々子がいない。この世界のほかに、見知らぬ人と笑いながら、言葉を交わす。奈々子が存在する世界だってある。だったら私は後者を信じる。

けれど、今、その女は目の前に立っているのだ、唇の端にうっすらと悪意をちらつかせながら。あの後どうなったの。ここ去っていった人の多くと同じように。

小夜子はようやくわかった気がした。なぜ私たちは年齢を重ねるのか。生活に逃げ込んでドアを閉めるためじゃない、また出会うためだ。出会うことを選ぶためだ。選んだ場所に自分の足で歩いていくためだ。

和室の青を散られと見る目があった。葵は唇を大きく横に広げて、一瞬笑い、すぐに真顔に戻ってコンピューターに目を落とす。

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