ダブルベースの同じ開放弦を一度だけぼんと鳴らしても、チャーリー・ミンガスの音とレイ・ブラウンの音が確実に違って聞こえるのと同じように。
「イマヌエル・カントはきわめて規則正しい生活習慣を持った人だった。町の人々は彼が散歩をする姿を見て、それに時計の時刻を合わせたくらいだ」と私は言ってみた。
たとえどのような年齢であれ、すべてを女性にとってすべての年齢は、とりもなおさず微妙な年齢なのだ。
感情をうまく制御することができるようになったのだ。たぶんそのためのなんらかの自己訓練が行われたのだろう。
しかし実のところ、ほんの数週間前に描き終えたばかりなのに、自分がいったいどのような絵を描いたのか今ではうまく思い出せなかった。いつもそうだが、ひとつの絵を描き終え次の作品にとりかかったときには、その前に描いていた絵のことはおおかた忘れてしまう。漠然とした全体像としてしか思い出すことができない。ただその絵を描いた時の手応えだけは、身体的な記憶としてまだ私の中に残っていた。私にとって大事な意味を持つのは作品自体より、むしろその手応えなのだ。
歳をとっていくのは怖くありませんか? 一人ぼっちで歳をとっていくことが?
絵の制作には実際のモデルを前にして進めるべき作業があり、モデルが前にいないときに準備しておくべき作業がある。私はどちらの作業もそれぞれに好きだ。様々な要素について一人で時間をかけて考えを巡らせ、いろんな色や手法を試しながら環境を整えていく。そういう手仕事を楽しみ、またその整えられた環境から自発的に即興的に実態を立ち上げていく作業を楽しむ。
彼は呆れたように私をみた。「今はもう二十一世紀なんだよ。それは知ってたか?」
「話だけは」と私は言った。
「明日は明日だ。今日は今日しかない」と雅彦は言った。
要するに、自分で飯が食べられれなくなったら、あとは静かに死なせてくれということだよ。まだ意識のはっきりしているうちに、弁護士をとおして文書のかたちにされていて、本人の署名もある。
同時進行させていた二つの絵のうちで、先にできあがったのは「雑木林の中の穴」の方だった。金曜日の昼過ぎにそれは完成した。絵というのは不思議なもので、完成に近づくにつれてそれは、独自の意思と観点と発言力を獲得していく。そして完全に至ったときには、描いている人間に作業が終了したことを教えてくれる(少なくとも私はそう感じる)。そばで見物してる人にはーもしそのような人がいたとすればたがーどこまでが製作途上なのでなのか、どこからが既に完成に至った絵なのか、まず見分けはつくまい。未完成と完成図を隔てる一本のラインは、多くの場合目には映らないものだから。しかし描いている本人にはわかる。
どうだろう、と私は思った。免色のような深く込み入った意識を抱えた男が、秋川笙子のような、どちらかといえばあまり屈託のないタイプの女性にそこまで強く心を惹かれるものだろうか?
二ヶ月ほど前のことだが、おれはつきあっていた女の写真を撮った。ディジタル・カメラで、顔の正面からのアップを撮った。で、それを仕事用のコンピュータの大きな画面に写し出した。そしてどうしてかはわからないけど、真ん中から分けて、顔も半分ずつ見たんだよ。右半分を消して左半分だけを見て、それから左半分だけを消して右半分だけを見て…だいたいの感じはわかるか?
「よくわからないけど、話がややこしくなりそうだということは理解できる」
「ややこしくなるんだよ、実際に」
デザイン面から見る限り、この建物の設計を担当した建築家の想像力は、それほど活発なものではなかったようだ。
そして薄手のセーターにブルージーンという格好になった。
別の場面で、秋川まりえを描写するときには『ブルージンズ」という表現を使っていたが、ここでは昔からの『ブルージーン』という独特の表現が帰ってきた。
「ねえ、私の言ったことをオウムみたいに繰り返すのはよしてくれない?}
「悪かった」
「相手が普通の人間なら『おい、からかうな』と腹を立てるところだが、まあおまえだからあきらめるしかないみたいだ。所詮は油絵を描いて一生を送るようなやくざな、的はずれな人間だ」
どんなに恐ろしくても、恐怖に自分を支配させてはならない。無感覚になってはならない。考えを失ってはならない。
かたちあるものにとって、時とは偉大なものだ。時はいつまでもあるというものではあらないが、あるかぎりにおいてはなかなかに効果を発揮する。だからずいぶん楽しみにしておりなさい
知らない場所で眠り込んでしまうのは不安だったし、できることならずっと目覚めていたかったが、ある時点でとても我慢できないほど眠くなった。もうそれ以上目を開けていることができなくなった。
免色の弾くモーツァルトは日々少しづつより正確になり、そして音楽としてよりまとまりのあるものになっていた。注意深く、そして我慢強い人なのだ。目標をいったん設定したら、そこに向かってたゆむことなく進んでいく。感心しないわけにはいかない。しかし彼の弾くモーツァルトは、もしそれが破綻なくまとまりのあるものになったとしても、音楽としてどれくらい心愉しいものになり得るだろう?
象のような目をした性格のよさそうな女性だった。