ダ・ヴィンチ・コード 中 – ダン・ブラウン

「ちhなみに、薔薇を表す単語は、英語でも、フランス語でも、ドイツ語でも、その他多くの言語でも”rose”だ」
「それに」ラングドンがいい添えた。「”rose”はギリシャ神話の性愛の神エロス(eros)のアナグラムでもある」

「きみたちアメリカ人はお上品ぶりすぎるぞ」ソフィーに向きなおった。「ロバートが口にできずにいるのは、薔薇が女性の性器に似ていて、この崇高なる花を通って全ての人間が生まれてくるという事実だよ。ジョージア・オキーフの絵を見たことがあれば、その意味がよくわかるはずだ。


ジョージア・オキーフ「レッドカンナ」(1919年)

信仰を誇示したがる宗派はいくつかある

もの書きというものは、いちばんまともなやつでさえ変人だ。

「古代における性の観念は現代の考え方と対極をなしていたことを忘れちゃいけない。セックスは新しい生命を創り出しーそれこそ奇跡の最たるものだー奇跡をなしうるのは神だけだった。子宮から命を産み落とすその能力ゆえに、女性は神聖視された。まさに神だ。成功とはふたつに分かれた人間の魂のーすなわち男性と女性のー尊い結合であり、それを通じて男性っは無欠の精神を手に入れ、神との交流を果たすことができる。」

ヘブライ語で神の名を表すYHWHという四文字は、”Jehovah”と綴られることが多いが、本来これは男性を示す”Jah”と、イブのヘブライ以前の呼称”Havah”という二語が結合してできた、両性を備えたことばである。

ダ・ヴィンチ・コード 上 – ダン・ブラウン

イエスやマリアについてを熱心に話す友人と会った後に。

「それで、どんな意味があるのかね」
この質問をされるたび、どう答えたものかと迷う。象徴の意味するところを人に教えるのは、歌を聴いてどう感じるべきかを教えるのと似たようなものだ。人それぞれにに異なる。

「反復ですよ。同じ象徴を重ねるのは、意味を強める最も簡単な方法です。自分の体を用いて、もうひとつ五芒星をつくったんでしょうね」ひとつよりふたつのほうがいい。

「祖父は、薔薇は秘密を意味するといつも言っていたの。内密のん電話をかけていてわたしに邪魔されたくないときは、書斎のドアに薔薇の花を飾ったものよ。わたしんいも同じようにしなさいと勧めた」秘密を守りたいときは、鍵をかけるのではなく、薔薇の花をー秘密の花をードアに飾ろう、と祖父は言っていた。そうすれば、お互いを敬い、信頼し合えるからな。薔薇を飾るのは古代ローマの習慣だよ。

「元来キリスト教はユダヤ教の安息日である土曜日を聖別していたんだが、コンスタンティヌスが、異教徒の尊ぶ太陽の日と一致するように変更したんだよ」にこりと笑う。「いまでは、日曜の朝に礼拝人出かける信者の中に、自分たちが教会へ出向くのは、異教の太陽神を祝福する聖なる曜日ー日曜日(サンデー)ーだからだと知っている人はほとんどいないだろうけどね。

「〜あくまでも人間と見なしていたのんだよ」
「神おn子ではないということ?」
「そうだ。”神の子”というイエスの地位は、ニケーア公会議で正式に提案され、投票で決まったものだ」
「ちょっと待って。投票の結果、イエスが神になったの?
「かなりの接戦だったがね」

「今日の聖書が改竄編集のたまものであることが疑問の余地なく立証されるのだから。」
〜中略〜
「教会がそうした文書の存在を隠したがるのは、古来のキリストの位置づけを心から信じるがゆえだということも忘れちゃいけない。ヴァチカンはきわめて敬虔な人たちの集まりで、それらの文章は捏造された証拠に過ぎないと誰もが信じきってるんだよ」

ホセ・ムヒカ 日本人に伝えたい本当のメッセージ

私が思う「貧しい人」とは、限りない良くを持ち、いくらあっても満足しない人のことだ。でも私は少しのモノで満足して生きている。

モノを買うとき、人はカネで買っているように思うだろう。でも違うんだ。そのカネを稼ぐためには働いた、人生という時間で買っているんだよ。

生きるということは、周囲との摩擦を生むということであり、摩擦がないのは墓場にいる人(死者)だけです。避けられぬ摩擦をどう解決するかが重要なのです。

格差という不平等が、これほどまでに蔓延してしまった21世紀。自らの利益やカネのことばかり考えているエスタブリッシュメント(既得権益層)の政治家たち。

清貧

人が生きていくうえで、大事なこと。それはどんな女に出会ったか、どんな友に出会ったか、どんな仲間とメシを食ってきたか。これが一番です。

トイレに入ったら、便器のふたが勝手に開いたり閉じたりするんだから。あんなことのために知恵を絞るなんて、まさに資本主義の競争マニアの仕業だね。

藤原和博の必ず食える1%の人になる方法

ちょっと前からこの感じの表紙本がやたらに増えたよな。
たくさん欲しい情報があるわけではないが、数時間あると読めて、ここのところこの後の進む道を考えていて、それが概ね決まってきて、自信も湧いてきたので、次のステップへ踏み出そう、きっとやれるという気持ちを強めることになったのは確か。この本に書いてある4種では、この方向が自分の進みたいところだろうというのは簡単に見つかって、というか決まっていたのだから、勉強を続けて自分の自由な人生をつくること。

スティグリッツ入門経済学 第4版 – ジョセフ E.スティグリッツ

村上龍の経済や金融に関する本を読んでいく中で、村上龍自身が勉強のために読んだという本を読んでみることにした。

たとえば、以下のようなことを理解するのに、経済学はどのように役立つだろうか、なぜ鮭の絶滅は心配する必要があるのに、羊についてはその絶滅を心配しなくてよいのか、なぜ自動車メーカーは広告を出すのに、小麦栽培農家は広告を出さないのか、なぜ市場主義経済国は、政府の計画に依存する国よりも成功したのか、なぜ一つの企業が産業を支配することは望ましくないのか。

導入がこれで、そそられた。商売をはじめて、はじめて興味を持つ子ができた話で、大学の頃仲良くしていた奴が経済学部で、ラジャスターンで泊まった宿のインド人大家にミクロ経済とマクロ経済について説明したのを思い出した。

経済学とは、個人、企業、政府、さらに社会にあるそのほかのさまざまな組織が、どのように選択し、そうした選択によって社会の資源がどのように使われるのかを研究する学問である。

三つの主要な市場
1 生産物市場
2 労働市場
3 資本市場

市場経済は、価格、利潤、および所有権を通じて情報とインセンティブを個人や企業にもたらす。価格は、さまざまな財の相対的な希少性についての情報を提供する。価格システム price system によって、その財のために最も多くのお金を支払っても良いと考え、かつ支払い能力のある人々の手に、それらの財がわたることが保証される。また価格は希少性についての情報を消費者に提供し、消費者は自分の消費を調整してこれに対応する。同様に、価格は個人がさまざまな財をどのように評価しているかについての情報を企業に提供する
利潤を追求する企業は、価格のもたらす情報に反応するように動機付けられている。企業は、消費者が望むものを、最も効率的な方法ですなわち希少な資源を最も少なく利用する方法で生産することによって、利潤を増加させる。

サンクコスト sunk costs
あなたが映画の切符を購入するために10ドルを支出してしまったと仮定しよう。その映画に10ドルの価値があるかどうか懐疑的ではあったが、映画館に行ったとしよう。そして映画が始まってから300分で、あなたの悪い予感は当たり、映画が駄作であったことに気づいたとしよう。そのとき、映画館を出るべきかどうかという決定を下す際には、支払ってしまった10ドルは無視すべきである。それがサンクコストであり、映画を最後まで観続けようが映画館を出ようが、その10ドルは戻ってこないのである。いま考慮すべき選択は、映画の残りの60分の時間をどのように使うか、すなわちひどい映画を観続けるかまたは映画館を出て他に何かをするか、ということである。

ここまでで、ようやくこの本の4分の1ほどを読み終わった。
ここで一旦休憩。本日より日本へ。また2週間後戻ってきてから読み進める。

69 – 村上龍

この1ヶ月ほど無気力になっていて、本もほとんど開くのも面倒になくらいで、こんな時に自分をダメにするのがyoutubeであった。受動的に次から次と。
年を重ねてきたこともあると思う。しかし、まだ44。まだやれるはず。
他人に惑わされず自分の道を。

退屈な連中に自分の笑い声を聞かせてやるための戦いは死ぬまで終わることがないだろう。

この先の自分の進むべき方向は決めた。

星の王子さま1〜6 – 漫☆画太郎

面白そうな漫画を読んでみようと古本屋に行くとこれがあって。
サン・テグジュペリの星の王子さまは、会社の「特徴と強み」ページに引用してるくらい残っている小説だったので、漫画太郎のこれはどういうものなのかという興味もあり、実は一度本屋で見かけたけど、その時はゲゲゲの鬼太郎とおばけのQ太郎だけを買って帰ったのだが、後日気になって改めて買いに行った。全巻残っててよかったー。

漫画を読む時、多くはあまり絵をじっくり見ることは少ないと思う。それでも漫画家は丁寧にコマを埋めていくわけだし、その絵にシーンが描かれているのだから、漫画家という職業はすごいなぁと感じざるを得ず、イラストや絵画の勉強になりそうなので、これからは漫画も精力的に読んでいきたい。

星の王子さま – サン=テグジュペリ

絵が上手だなあというのが最初に感じたこと。手の表現など小さいながら人の手をしていて、デッサンをやったり、美術解剖学を勉強したのではないかと思った。影や陰での線の使い方が独特。最近インスタなんかでよく見る整ったきれいなラインがならべられるのとは、少しちがって、独特な方向を向いていたりして、これが漫画太郎っぽい絵の秘密のひとつになっているのだと思う。実際、絵を描くことも、美術解剖学も、タイ語もギターも、身体も心も訓練で強くなっていくことをここのところ強く感じられて、それを思うとこれまであった、「明日でいいや」が「今やろう」に変わって、時間とかはこだわらず、タイ語であれば、覚えたくなる単語や使えそうな単語などひとつでもいいし、ギターもフレーズひとつでもいいし、2〜3曲歌うでもいいし、とにかく毎日やるってのが明日に繋がり、その先につながるのではと考え方が変わった。良い方向に。こういう時に、最近みるのが「よき」みたいな言葉で収めようとするのだが、なんなんだそれは。気にかかる。

行け! 稲中卓球部 – 古谷実


それにしても、期待を持ってページを捲り始めたので、少しすると「原作 サン・テグジュペリ」「作画 漫★画太郎」と黒地に白抜きの文字が出ると、「おぉ〜〜」とでかく出てるし、それがまたすごいし、世界的に愛されている作品にこういうことをやれて、こういうことというのは、漫画太郎の世界観を正面からぶつけているところで、これって新しいのかもしれないなと、先日聞いていた菊地成孔と近田春夫のラジオを聞いたのもあって思った。どこかの誰かがやっていることをやったところでそれが何なんだと、そういう意気込みをなくして、これが売れ線だとか、受け入れられやすいのではだとか。

今 日本の老人の薬の摂取量は世界一なんだ…

日本の75歳以上の老人は医療費の自己負担率がたったの1割だから調子に乗ってバンバン薬を飲んじゃってるんだ…
医者も入れ食い状態だからって調子に乗って基本5剤処方…
10剤以上出すヤブ医者もめずらしくないんだって…

それって他の国とくらべて多いの?

うん ケタ違いに多い…
一度に飲む薬の数が増えるほど副作用のリスクは加速度的に増すから欧米では基本1剤…
多くても2剤までしか薬を処方してはいけないんだ…

あるアメリカの医師が書いた本によると一度に4剤以上飲んでいる患者は医学の知識が及ばない危険な状態にあるんだって…

ゲゲゲの鬼太郎 傑作選1 – 水木しげる

思い立ち、漫画を熱心に読んで研究してみようと思う。
水木しげるは映像でみると、どうも重心がおかしく感じ、調べてみると戦争で左腕を失っているっていうんだから、両腕と両目使える僕は、弱々しいことなんか言っていられないと強く思う。身体を鍛え、心を鍛え、絵を描き、歌を歌い、タイ語を話して自分の道を見届ける。

wikiによれば「高等小学校卒業後、画家を目指して大阪で働きながら学ぶ。」とある。どういう風に学んでいたのかは知らないが、絵を見ていると面白い表現があるし、模写をしてみると少ない線で、細かい表現がされていることもある。

物語は辻褄合わせが無茶苦茶で、絵でなくて、テキストで説明して展開していく強引なところもあるが、それでいいのだ、と思った。
絵に関しては、技術がほしいと思うが、当たり前だがそれが全てではない。

こうやって漫画をみて、子供の頃夢中になって読んだ漫画で、すぐに諦めたが漫画家になりたいと思ったこともあって、子どもたちが見てオモシロイと思ってもらえるような何かをつくりたいと思った、思ってしまった。

wikiより
「幼少時、まかない婦として家に出入りしていた景山ふさ(のんのんばあ)が語り聞かせた妖怪の話に強い影響を受ける。」
「5歳の頃のある日、「死」に興味を抱き、3歳の弟を海に突き落とそうとするが、近所の大人に見つかり、両親にしかられた上に、当時同居していた「ねーこ」と呼ばれる祖父の妹(大叔母)に「やいと(灸)」をすえられた」
「自身も認めるマイペースぶりから朝寝坊してゆっくり朝食をとり、たいてい2時間目くらいの時間から登校するという変わった生徒だった。」
「立派な画家になるんだと思い詰めて一心不乱に独習を重ねてきた自身の方が、もったいぶって教える先生より技量が上と感じたという」

おやじ
おこるなよ
だれだって
利害によって
あっちについたり
こっち

ついたり
するもんだ
人生って
そんなもんだよ

ねずみおとこ


子供の頃から、このねずみ男の身体の汚れ表現が大好きだった。


この夜空の表現


これも


この台形が家に見えるのだから不思議。何かでたけしが映画を撮るときに、誰かを訪れるシーンがあって、その後に男がそこに倒れていれば、乱闘シーンはなくてもいい、みたいなことを言っていて、漫画でも十分に使える考え方。

竹久夢二「セノオ楽譜」表紙画大全集

keybooksのセールにて。

中をみると、セノオ楽譜という大正期の楽譜の表紙を行っていたらしい。これに限らず、表紙や挿絵を多く行っていたよう。今で言えばyoutubeのサムネイルみたいなもの。さらに詩や童話なども創作していたと。文章表現と絵を合わせて何かやりたいと思う。やりたいやりたいと思うのは勝手だが、僕ももうすぐ44になる。技術の習得に頭がいきがちだが、作品作りをしていくことが同じくらい、いやこちらの方が大事なのかも知れない。その意味ではyoutubeチャンネルを作品発表の場として開設するのは良い働きをしてくれることになりそう。

自分のファン(というのもおこがましいが、まあそういう人たち)に、無料でイラストを描くと言ったところ15,6名がほしいと手を上げ、途中までやってみるとプロフィールに使われないケースもあり、もちろん、僕がそういう条件を掲げていなかったので相手方は何も悪いことがないのだが、その程度の欲しさで、「僕も私もお願いしたい、後藤さんのファンなんで、本当に嬉しいです」と言えるのだから、などと感じて、嫌な思いがなかなか消えなかったが、例えば阪神タイガースのファンだといいながらタイガースが負ければ罵声を浴びせることは目にしてきていたわけだし、どこかの国のサッカーファンは試合に負けた選手を殺したこともあるとどこかで聞いたような覚えがある。ようするに様々なファンがいるってことを知れたいい機会になったわけで、逆に何も言わなくてもプロフィール画像に使ってくれたり、ステッカー印刷をしてスマホに貼ってくれていたり。当然、後者に好意を持つわけだが、どちらにも心を揺さぶられないような強さを備えなければいけないと感じ、身体と心をここから鍛えることにした。

絵の方は、たまに描いていたタイ料理のイラストが色の扱いの良い訓練になっていて、次の「アユタヤへの列車旅」のサムネイルは思いの外良い絵になった。色の扱い、並べ方、美術解剖学の勉強にクロッキー会への参加。今はこれらが楽しくて、力になっていることも実感する。しかし先にも書いたが、知識や技術を積み上げるのは結構なことだが、それを上手に使って、面白い作品をつくること、そして願わくばそれらが人々に受け入れられること、ここまで持っていかなければならない。人がどう感じるかはもう知らんから、どのような受け入れられ方をされたって良いのだと思える強さを持つことにする。たぶんそれはまったく相手にされないよりは良いのかも知れない、いや、ひょっとすると相手にされずに放っておいてもらった方が良いのかも知れない。とにかくやってみて外からの反応を得て、それに自分がどう反応するのかを見なければ分からない。まずはそこまで。

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 – 村上春樹

久しぶりに村上春樹を読んでみたくなり、これまで読んだことのなかったこれを古本屋で購入。

村上春樹は有名なだけに良くない声も沢山聞くが、ぼくは羊以外は好きで、一時期熱心に読んでいて、特に少しまわりくどいようにも感じる文体や比喩表現が好きで、この小説からも気になるところがたくさん拾えた。

読み終えてとこれまで読んだ村上春樹作品の中で一番良かったと感じている。
海辺のカフカや騎士団長殺しも良かったのだが、これが一番現実的だったのではないか、騎士団長殺しには小人か何かが出てきたはずだし、海辺のカフカにも何かピエロか何かがでてきたんじゃなかったっけ。と思ったけど、色彩を持たない多崎つくるでもピアノの上の袋なんかが不思議なものだったが、全てが現実にとらえられるもので、小人やピエロも何かのメタファーなのだろうけど、ファンタジーっぽい表現よりも現実的な表現に惹かれるから。
それでも、今現在僕が思うことの答えや、疑問への何かがいくつか出てきて、やっぱり小説を読むのはおもしろいなあと思いながら毎日長湯をしながら楽しく読んだ。

おれが言いたいのは、上手な負けっぷりも運動能力のひとつだということだよ。

三度目に会ったとき、食事のあと彼の部屋に行ってセックスをした。そこまではごく自然な流れだった。そして今日がその一週間後。微妙な段階だ。このまま進めば、二人の関係は更に深いものになっていくだろう。彼は三十六際で、彼女は三十八歳。当たり前のことだが、高校生の恋愛とはわけが違う。

着こなしの上手な女性を見るのは昔から好きだった。

時間をかけて彼女の肌を撫でるのは素敵だったし、射精を終えたあと、その身体を抱きながら優しい気持ちになれた。でももちろんそれだけでは済まない。そのことはわかっていた。人と人との結びつきなのだ。受け取るものがあれば、差し出すものがなくてはならない。

「限定された目的は人生を完結にする」

ヴォルテールが言いたかったのは、思考よりはむしろ省察と言う事なんじゃないのかな」と作るは言った。
相手はわずかに首をかしげた。「省察省察を生むのは痛みです。年齢ではなく、ましてやでもありません」

フランツ・リストの「ル・マル・デュ・ペイ」です。「巡礼の年」と言う曲集の第一年、スイスの巻に入っています」

コックはウェイターを憎み、どちらもが客を憎む

独創力とは思慮深い模倣以外のなにものでもない。

そして休学届けを出し、一人で全国をあてもなく移り歩きました。肉体労働をして生活費を稼ぎながら、暇があれば本を読み、多くの人々と触れ合い、人生の実地経験を積んだということです。

僕が知る限り、父はおおむね家と職場を行き来するだけの生活を送っていました。不思議なものですね。どんなに穏やかに整合的に見える人生にも、どこかで必ず大きな破綻の時期があるようです。来るための期間、と言っていいかもしれません。人間にはきっとそういう節目みたいなものが必要なのでしょう。

ラウンド・ミッドナイト

ああ、才能と言うのはたしかに時として愉快なものだ。見栄えもいいし、人目も惹くし、うまくいけば金にもなる。女も寄ってくる。そりゃ、ないよりはあったほうがいいだろう。しかし才能いうのはな、灰田くん、肉体と意識の強靭な集中に支えられて、初めて機能を発揮するものだ。脳みそのどこかのネジがひとつ外れ落ちてしまえば、あるいは肉体のどこかの結線がぷつんと切れちまえば、集中なんぞ夜明けの頃のように消えちまう。例えば奥歯が疼くだけで、ひどい肩こりがあるだけで、ピアノはまともに弾けなくなる。本当だよ。

「考えてみれば、なんだか不思議な話よね」と沙羅は言った。「そう思わない? 私たちは基本的に無関心の時代に生きていながら、これほど大量の、よその人々についての情報に囲まれている。その気になれば、それらの情報を簡単に取り込むことができる。それでいてなお、私たちは人々について本当にはほとんど何も知らない」

しかしもちろん彼女には彼女の生活がある。そして言うまでもなく、彼女の生活のほとんどの部分は、彼の知らない場所で怒られ、彼とは関わりのない物事で成り立っている。

「よく人に聞かれるんだが、意味はまったくない。ただの造語だよ。ニューヨークの広告代理店がトヨタの依頼を受けてこしらえたんだ。いかにも高級そうで、意味ありげで、響きの良い言葉をと言うことで。不思議な世の中だよな。一方でコツコツと鉄道駅を作る人間がいて、一方で高い金をとって見栄えの良い言葉をでっち上げる人間がいる」

おれが覚えているのはシューマンの曲だけだ。「子供の情景」の中の有名な曲。「トロイメライ」だっけな。

何はともあれ、できるだけ自分に正直になるしかないだろう

それは石のように硬く揺らぎない完璧な勃起だった。

でも話はそれほど簡単では無いはずだ。人は日々行動を続け、日々その立ち位置を変えている。次にどんなことが持ち上がるか、それは誰にもわからない。

「才能のことはよくわからない。でも私の作品はけっこうここでよく売れているの。たいしたお金になるわけではないけれど、自分の作ったものが、他の人たちに何らかの形で必要とされていると言うのは、なかなか素敵なことよ。」

絶望名人カフカの人生論 – フランツ・カフカ、頭木弘樹

カフカの名があり、パラッとめくってみるとカフカの言っていたことが見られたので買ってみると、カフカの言葉の横に本書の著者のコメントが入っているという形態のものであった。

どうやらカフカはかなり繊細だったよう。今でいうHSPと呼ばれる類なのかもしれない。僕も自分がそうであるように思うが、最近は自分はHPSだとかADHDだとかいう人が目立つようになってきて、誰でもそういう側面があるから、そういう風に考えるのが面倒になってやめた。

バルザックの散歩用ステッキの握りには、
「私はあらゆる困難を打ち砕く」と刻まれていたという。
ぼくの杖には、「あらゆる困難がぼくを打ち砕く」とある。
共通しているのは、「あらゆる」というところだけだ。

ぼくはひとりで部屋にいなければならない。
床の上に寝ていればベッドから落ちることがないように。
ひとりでいれば何事も起こらない。

ぼくは、ぼくの知っている最も痩せた男です。
体力はないし、夜寝る前にいつもの軽い体操をすると、たいてい軽く心臓が痛み、腹の筋肉がぴくぴくします。

誰でも、ありのままの相手を愛することはできる。
しかし、ありのままの相手と一緒に生活することはできない。