コンビニ人間 – 村田沙耶香

芥川賞をとった作品で久米宏がおもしろいと言っていたのに興味を持って。

現代人と言っても漱石の頃からも個人で生きていくことに悩み始めていて、今も変わらずに同じ問題があり、「個人で」「個人の」という割には他人に干渉するのが好きだから、なんともやっかいで、他人の望む自分になっていくことを選んでいく。
これ、人間としてみるとそれでいいのかって思うけど、ビジネスで考えると、顧客の望むものを提供する必要がある。ずば抜けた作家性や頑固なラーメン屋のように、やりたいようにやることでファンをつくるってのもあるけど、それは敷居が高い。とすると顧客の望むものを知りたいし、やりたいこととの間を狙っていけば大衆化しすぎずに自分らしさみたいなものを残せるかもしれない。
自分の在り方においても同じで、他人と何をどこまで共有するか。本当に他人との関わりが一番のイシューだよなと思うけど、三菱重工だか何かの関連の社長をやっていた母方の祖父が「他人との関わりが一番むずかしい」と言っていたと母から聞いたが、その解決方は聞いておらず、難しいよねで終わらしていては意味がないので、自分にとって良い加減の関わり方を作り上げなければいけない。

http://book.masatoshigoto.asia/2018-aug-10/
SNSを使ってのこの時代での関係の築き方の考えを前進させた一冊。

皆が悲壮な顔で止めてと言っても収まらないので、黙ってもらおうと思って先生に走り寄ってスカートとパンツを勢いよく下ろした。若い女の先生は仰天して泣き出して、静かになった。

幼稚園の年少か年長の頃、さすがに年長だと思うが、お遊戯だか自由時間だか何かの時間に、先生の周りに園児が集まって、先生に抱きついたり、誰かは先生に抱っこをされていたりしてワイワイと騒いで、「◯◯せんせ〜い」とか何とか先生を大声で読んでいるような時間に、ぼくが「おい、〇〇!」と先生の下の名前を叫んだら、その女性の先生は「誰だ、今言ったのは?」と怒り出し、僕はしらばっくれたことがあったのを思い出した。嫌なガキだな。

特に喋り方に関しては身近な人のものが伝染していて、今は泉さんと菅原さんをミックスさせたものが私の喋り方になっている。
大抵のひとはそうなのではないかと、私は思っている。

環境の影響は強いよね。僕はひとりでいることが多く、そういう人はあまり他人の影響を受けない代わりにどうなるかというと、声が小さくなっていくし、顔の筋肉が固くなっていく、と思っている。

「付き合ったこととか… 恵子からそういう話、そういえば聞いたことないなって」
「ああ、ないよ」
反射的に正直に答えてしまい、皆が黙り込んだ。困惑した表情を浮かべながら、目配せをしている。ああそうだ、こういうときは、「うーん、いい感じになったことはあるけど、私って見る目がないんだよねー」と曖昧に答えて、付き合った経験はないものの、不倫かなにかの事情がある恋愛経験はあって、肉体関係をもったこともちゃんとありそうな雰囲気で返事をしたほうがいいと、以前妹が教えてくれていたのだった。「プライペートな質問は、ぼやかして答えれば、向こうが勝手に解釈してくれるから」と言われていたのに、失敗したな、と思う。

何かを見下している人は、特に目の形が面白くなる。そこに、反論に対する怯えや警戒、もしくは、反発してくるなら受けてたってやるぞという好戦的な光が宿っている場合もあれば、無意識に見下しているときは、優越感の混ざった恍惚とした快楽でできた液体に目玉が浸り、幕が張っている場合もある。

私が「恋愛をしたことがない」と言ったときより皆うれしそうで、そして全てわかっているから、という口ぶりで話し続けている。恋愛もセックスもしたことがない、就職もしたことがない、前の私のことは、たまに理解不能だというリアクションを示したが、白羽さんを家に住まわせている私のことは、未来のことまで全てお見通しだと言わんばかりだった。

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