配色の設計 色の知覚と相互作用 – ジョセフ・アルバース

色について勉強したくて。
難しく感じたが、読了後にデザインをしていると、これまでの様にこの色とこの色の組み合わせがどうという考えにプラスして、いままでぼんやりとやっていた、使う色同士の配置や量により、それらの色が相互にどう関係するのかというのを意識的に考える様になった。

まず、同じ色が数え切れないほどの解釈を呼び起こすということを学ばねばならない。色相調和の法則やルールをただ機械的に用いるのではない。まったく異なるふたつの色をほとんど同じに見せるような、色の相互作用のはたらきを利用した制作によって、独特な色の現象をプレゼンテーションするのだ。

楽曲を単なる単音の集まりとして聴いている限り、私たちは音楽を聴いているとはいえない。音楽を聴くということは、音の並びや間隔、つまり音同士のあいだを認識することなのだ。同様に、ある絵に描かれた色彩が実際に何色なにかを識別するkとができてもその絵を深く味わったことにはならないし、色彩の作用を理解したとも言えない。

実際に、水彩絵の具の多くはボリューム・カラーである。何度か層を重ねると暗さや重さ、色の強さが増していく。パウル・クレーの多くの水彩画はそれを実証するものだ。

カンブリア宮殿 村上龍の質問術 – 村上龍

日本へ戻っていた1週間は、ほとんど全く読書をしなかった。両親との時間や仕事を片付けたり、あとは間違って契約しているamazon primeの1年契約があるので、日本のドラマと映画を見ていた。「結婚できない男」というドラマに、当たり前にシンパシーを感じ、その後阿部寛の出ている映画を何本か見た。

経営者やお金の本を何冊か読んでいると、「お金とは信頼である」とか「サービスが先で利益は後」というような言い回しが出てきて、それはつまり、誠実に良い仕事を続ける、ということだと思うのだが、こんなことは当たり前のことで、人生をやっていくときに仕事に限らず、誠実に人のためにを考えることが大切だ。後は、仕事にしろ、何にしろ強い信念が必要だと思う。画家もしくはアーティストでやってみたいと考え、仕事をやめ旅をしながら絵を描いて、日本へ戻ってからもそういう活動をしていたが、今思えば、絶対にこれで生きていくんだという想いは薄かったのだと思う。今、こうしてデザイナーとしてバンコクでやっていくことは、続けていきたいと考えている。もちろんダメであれば、他に生きていく道はいくらでもあるから、そういう方向にシリアスに捉えているわけじゃあないし、間違いなく続けられるという気がするから、きっとそうなるだろう。

一般に言う成功とか失敗とかがあり、入ってくる金が増えてくれば生活の質をあげることができて、やはり金はないよりもあったほうが良い。しかし、よだれを垂らして金を求めている人達もいる。それで得た金が成功と呼べるのかどうか。自分の人生をかけて何かをやっている人間がいるとき、その時その人は成功していると呼べるはずだ。

ただ、コスト削減というのは利益を出すためにやるわけではないです。投資のために節約をするんです。たとえば無駄を省いて、そのお金を使って技術や新商品への投資に回すのであり、原価低減というのは目標がなければうまくいきません。目標があればみんな納得します。

※原価低減=コストダウン

会長は、「今日のインドを作った103人」というリストに選出された。外国人は三人だけで、あと二人は、マザー・テレサと、元首相夫人である。

「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば人は動かず」

「まず周囲の人を喜ばせる」。そのために自分を磨く。←教養。教養がない人はギブアップしやすい、確かにそうだがなぜだろう?

私たちが産業化して作れば作るほど、逆に芸術作品を作る職人さんたちは浮かばれてくるんですよ。

棒ほど願って針ほど叶う。

こうありたい、こうなりたい、こうなっていくというヴィジョンも強く持ち続ける。ヴィジョンに見えていることが叶うのは、どうしたってしばらく後になるので、非常に歯がゆくじれったく感じるだが、目の前のことをしっかりと続けると、願いは叶う。

何より現地との信頼関係を築かなければならないし、そのためにはその国・その地域の歴史や文化、宗教や法律や生活習慣、それに人間性を知らなければならない。それは、地道で面倒な作業や交渉の連続であり、気が遠くなるような忍耐力を必要とする。

僕もタイでやっているのだが、未だタイ企業との仕事の比率は圧倒的に少ない。当初タイマーケットを積極的に狙って行きたく、今もその気持ちはあるのだが、会社を続けていくために、まずは地固めが必要で一旦置いている。近い未来には改めて積極的にチャレンジをしていくつもりだ。

その厳しい仕事を、なぜ我々はやらなきゃいけないのかという動機づけをしなければいけないじゃないですか。本当に心に火を付けないとなかなか動いてくれないんです。それを考えた時に、非常に制約された環境の中で生きている人たちに対して、生活の豊かさということで貢献することができる。世の中の人のために貢献するというような自分の仕事の達成感、仕事をした結果の効果というのが、はっきりイメージとしてつかめないと、今の若い社員たちというのは一生懸命自分の人生を賭して仕事をするのは難しいと思います。

それは両親と魂を持った会社です。

男(子ども)は、大人になる過程で多くのものを失い、手放す。母親との一体感、幼いときに描いていたさまざまな可能性、性格の一部も手放すこともあるので、優れた役者はそのころのキャラクターをカウンセリングで再獲得したりする。手放したものを取り戻すのが大人の仕事。

この世でこれほどひどい環境はないというようなナチスの強制収容所で、生き残ったのは、心身壮健なプロレスラーのような人間ではなく、ユーモアを解する人間だった、というようなニュアンスのことが書いてあった。

「安さの決定的瞬間」

ゼロからスタート!タイ移住サバーイマニュアル – 桐越舞子

ツイッターのタイムラインに流れて来て。
僕もタイに住んで7年目なので、著者の人と同じくらいなので、目新しい情報というものはなかったけど、タイの好きな所として挙げているところが同じようなものがあり、タイの良さを再認識した。

私がタイに来て最初に住んだノンカイはラオスとの国境があるところで、何度も国境のある友好橋をバスで渡りました。ノンカイからはラオスが、ラオスからはノンカイが、いつもメコン川の向こうに見えるのがとても新鮮で、その眺めがとても好きでした。

どんな国だってきっと一長一短。良いところもあれば悪いところもあって、そして決して同じではないのです。日本と比べてサービスがなってないと文句をいうより、違いを楽しむぐらいの気概の方が絶対楽しいし、そしてそれは周りの人にも伝染します。

「サービスがなっていないから説教してやりますよ」などと偉そうに言う人がいるが、嫌な気持ちになる。こういう人が2人いるのだが、この2人は、全く同じ行動をした。というのは、食事をしていて、自分の作法のために食べ物のソースが、シャツに飛び真っ白のシャツに色がつくと、ティッシュで拭きながらしばらくすると「チッ!」と舌打ちをして、その場の空気を嫌なものに変える。別に他の誰かが何かしたわけでもないし、たいした話でもないんだが、恥を隠すためだかなんだかしらないけど、こういう態度をとる。なんだ、チミは。

初めて行った検診で驚いたのは、ほとんどの妊婦さんに旦那さんが付き添っていたことです。仕事を休んで検診に付き添うというのが一般的だということにカルチャーチョックを受けました。日本の産婦人科では見たことのない光景でした。
出産後の入院中も家族が病室の床に泊まり込み、家族総出で母子のお世話をしています。

僕は子供を持ったことがないけど、この話は想像に難くない。僕はパーイの病院に1週間ほど入院したことがあるんだが、その時もどの患者にも入れ替わりで家族がやってきて、夜はベッドの下に寝るものがいるのを見て、「ああ、こういうものなんだなぁ」と感じたのが思い出される。

電車に小さい子どもやお年寄りが乗ってきたらサッ席を譲る。お年寄りとまでもいかずとも、明らかに年配の方が乗ってきたら席を立つ。ほらあそこに座りなよと周りがみんなで座らせる。東京で妊婦をしていた頃、電車で座っている人の前に立つと寝たフりをされるということが何度かあった私は、感動すら覚えてしまいました。困っている人がいたら、力のない人がいたら、迷わず手を差し伸べる。それはきっと当たり前のことなのに。そんな風に感じることが多々あります。いつの間にか当たり前でなくなってしまったことがたくさんあるんだろうな。そう実感しました。

タイにだってろくでもない奴はいるし、30代の男が70代の女性をレイプするというようなニュースも目にするが、日本人はもっと優しくならないといけない。競争を続けて負けないためには、他人への配慮がなくたって構わなくなっている。自分がやられて嫌なことはしない、という子供の時に言われたことを実行し続けないといけない。

逆に「日本人は謝るのが好きだけど、本当に悪いと思ってるの?思ってないなら言わないほうがましじゃない?」とスルドイことも言われたこともありますが、「ほ、本当に悪いと思ってる時もあるよ!」と答えておきました。

タイに入ったばかりの頃、それはチェンマイで、隣人やその友達なんかと飲んでいて、タイのどこか好きか?というお決まりの質問に、タイ人はみんないつでも笑ってるところだ、というと「それじゃあただのバカじゃないか」と言われたことがある。確かにそうだ。タイを良く仕立て上げている僕がいた。
ところで、日本人は謝るのが好きだというのは、間違っていないと思う。日本へ変える前にお土産を買っていき、姉に渡すと「ありがとう」の代わりに「すいませんね」と言う。父親とデパートの地下で買い物をしていても、父親は買ったものを受け取ると「あー、すいません」と言う。染み付いたことではあるのだが、ありがとうとは言わないのだな、と思った。

銀の匙 – 中勘助

物語は主人公が幼かった頃の話で、読んでいると自分のこれまで忘れていた記憶が顔を出してきて、自分の記憶はすべてしまわれていて、何かのきっかけがあると掘り起こすことができるというのは本当かもしれないと思った。

わけもなくほしくなりすぐさま母のところへ持って行って「これをください」といった。

母親に対して「これをください」という話し言葉を使っていたのだ。

私のようなも者がかんだのまんなかに生まれたのはかっぱが砂漠で孵ったよりも不都合なことであった。

古い人の話によれば若いときたいへん学問にこって本ばかり読んでいるうちに慢心して気がふれたのだという。

気がふれるとはなくとも、知識を持っていることを偉くなったと勘違いするような人間も少なくないので、気をつけたい。教養という形で蓄えていきたい。

そこへ運悪くひとりの先生がきていきなり私の帯をつかまえ やっ と掛け声をして宙にさしあげたもので朝から目の奥にいっぱいたまってた涙が一時にあふれだして両足をぶらぶらさせながらわっと泣き出した。

僕も小学校の1年生の時に何か悪さをして、廊下に立っていろと言われて一人だけ教室の外に出された。今まで悪ガキの代表みたいなやつらが何人か廊下によく出されているのは見ていたが、いざ自分が出されると急に心細くなり涙を流したのを思い出した。

こちらは松ぼっくりを拾うので始終小走りに追いつかなければならない。

これも小1か2の頃に、どういうわけだが、ただの石ころをたくさん集めてビニール袋に入れてそれを学校から家へ持って帰っていた。たくさん入れすぎた石の重さでビニール袋は破れてしまった。なきながら石を拾い集めていると隣に住むひとつ年上のいとこが一緒に集めてくれて、ぐずぐずと泣きながら家に戻ったという記憶が出てきた。

BLUE GIANT SUPREME4 – 石塚真一

別の本を買うんで、アマゾンを開いた時にふとBLUE GIANTで検索すると、ちょうど新刊の発売日。

メジャーになるより、売れることより、自由と楽しさをどうやったら持続できるか、これが俺の一番の問題なんだ。

最も大事なこと。同時に最も大事なことは金を稼ぐこと。One for the money, two for the show とも言うからよ。

人生論 – トルストイ

なんだか言い回しのややこしい表現が続いて、難解に感じる。分かりやすく書くことの大事さを思った。

ユダヤ教徒とキリスト教徒の議論という古い笑い話がある。キリスト教徒が、ユダヤ教徒のだしたややこしい微妙な問題に答えているうちに、相手の禿げ頭をぴしゃりと音のするほど掌で叩き、いまの音は何からでたか、掌からか、それとも禿げ頭からか、と質問をだしたという話だ。こうして、信仰をめぐる議論が、新しい解決不可能な問題にとってかわられたのである。

人は永く生きれば生きるほど、快楽がますます少なくなってゆき、倦怠や、飽満や、労苦や、苦悩がますます多くなってゆくことを、いっそうはっきり知る。だが、それでもまだ足りない。力の衰えや病気を経験しはじめ、他の人々の病気や老いや死を眺めているうちに、人はさらに、そこにだけ本当の充実した生命を感じていた自分の存在そのものも、刻一刻、一挙一動ごとに、衰弱と老いと死とに近づきつつあることにも気づくのである。

もし両親が貧乏なら、子供は親から、人生の目的とは、動物的個我ができるだけ楽をするため、パンと金とを少しでもよけいに手に入れ、仕事をできるだけ少なくすることである、と知るだろう。もし贅沢な家に生まれれば、その子供は、人生の目的とはできるだけ快適に楽しく時を過ごせるよう、富と名声を持つことである、と知るだろう。
 貧乏人が身につけるすべての知識は、彼にとってもっぱら、自分個人の幸福をさらに増やすために必要である。金持ちが身につける科学や芸術のあらゆる知識は、科学や芸術の意義などという高尚な言辞にもかかわらず、もっぱら退屈をしのいで楽しく時をすごすためにのみ必要なのである。どちらの人間も、永く生きれば生きるほど、ますます強く世間の人たちの支配的な考え方がしみついてくる。やがて結婚し、家庭を持つと、動物的な生命の幸福を獲得しようという貪欲な気持ちは、家庭という口実によってさらに強化される。他人との闘争も激化し、もっぱら個人の幸福のためにのみ生命の習慣(惰性)が確立されてゆく。

「しかし、みんながみんな狂っているはずはない、とすれば、狂っているのは俺のほうなんだ。だが、違うぞ。こういうことを告げてくれるこの理性的な自分が狂っているはずはない。この自分がただひとり全世界を相手に立ち向かおうと、俺はこの自分を信じぬわけにはいかない」
こうして人は、魂を引き裂くような恐ろしい疑問をかかえたまま、世界じゅうで自分が一人ぼっちなのを意識する。それでも生きてゆかなければならない。

55歳からのハローライフ – 村上龍

村上龍の中篇小説(僕は短篇小説と呼ぶくらいのものだと思って読んでいたが、あとがきに自身が中篇と書いていた)は初めてかもしれない。コインロッカーズ・ベイビーや愛と幻想のファシズム、希望の国のエクソダス、オールド・テロリストなど破壊的なものが男っぽくて大好きだが、この55歳からのハローライフもこの先の自分や親のこと、年配の人の人生を想うにとても興味深かった。

この本の影響で、少し値のするミネラルウォーターを飲んでみている。高いと言っても、バンコクではレッドブルが65バーツするので、それを考えればミネラルを多く含んだ水を飲んでみるのは悪くないだろう。この作品とオールド・テロリストでもそうだったが、パニックになった時は水を飲むという、当たり前の動作をゆっくりと行うことで現実感が戻ってくるということをしきりに書いていた。

「ジョウビタキ、小さいのにすごいやつなんだ、お前、そう言ったろ」<中略>「あんな小さなからだで、朝鮮半島と、それに海を越えて、途中、流木とか、漁船のマストとか、留まって、休みながら、一千キロ以上旅してくるんだ、すごいやつだ、そう言ったんだよ」

グルジア産で、ミネラル分が多く、炭酸の量は少なめで喉越しが柔らかい。

いつのまにか日本語での呼び名がジョージアに変わったようだ。僕には日本語ではグルジア、英語ではジョージアの方が馴染みがある。

これまで、名の知れた中堅家具メーカーという目に見えない組織に、ちょうど鎧や衣服をまとうように守られていたのだと思った。

これは僕も旅に行く前に博報堂アイ・スタジオという会社をやめた時にまったく同じことを感じた。まさに鎧を剥がれたと気分だいう表現でまわりの人間に言ったが、アイ・スタジオで働く仲間はもちろん、他の人間にもピンときていないようだった。

咽頭喉頭異常感

あとでわかったのだが、不必要なことは聞かないし言わない、というポリシーが安心感を与えるのだそうだ。

大切な誰かを、心から受け入れるというのは、大変な作業なんだって、まずわかる。

じゃあ、どういう人だったかというと、どれだけ長くいっしょにいても疲れないし、散歩をするだけでとてもいい時間を過ごせるんです。要は、長い人生をともに歩む、パートナーだったんです。

「ゲンイチ、お前、男やからね。べちゃくちゃ喋らんでもええ。ただ、自分がいやなことを人にしたらいけんよ。」

海女たちは、ライバルでもあったが、何よりも非常に親しい友人で、都会に住む者には理解できない独特の友情で結ばれていた。

無趣味のすすめ – 村上龍

いつの間にか僕は自立した人間になっていて、周りの甘えに浸りきった人間と時間を共にすると心をかき乱される。
もうそういう人たちとの消耗する時間はなしにして、僕は確固とした自立した男になることにする。

だから趣味の世界には、自分を脅かすものがない代わりに、人生を揺るがすような出会いも発見もない。

言われてみれば、写真が趣味だとか、ブログが趣味だとか言っている奴を振り返ると、それは単なるエクスキューズにすぎず、結局そういう人らの書いたものや撮ったものを見ても、心を熱くさせるような文章があったり、写真のクオリティーが上がっているわけでもない。レンズを買っただなんだと言っているようだが、お前自身からの変化は何もないままだ。それでいいのだろう、趣味なのだから。

ビジネスにおけるパートナーと夫婦はいろいろな面で似ている。

良くわかる。共同経営をしているときに強く感じた。そして相手の依存が強くなってくるうちに、こいつはダメだと思った。本当の本当は、会社を登記する前に一緒にやるのは止めようと打ち明けたのだが、彼は「ぼくは後藤さんとやりたいです」言ったまま、その後何も言わずに黙ってしまった。今思うと実に甘えた発言だが、当時の僕もまた甘く、なしくずしてきにやることにしてしまった(今の僕も人が良すぎるところが治っておらず、困ることがたまにある)。
こういう甘えた人間の依存は強まってくるもので、そのうちにやっぱりだめだと思い、抜けることを伝えると、今度は「じゃあ、資本金を半分ずつにしたらよくないですか?」としがみついてきて、別々になってからもかなり長く飯の誘いがあったりして、「ああ、この人は別れた女にもこうやってしつこくするんだろうなぁ」とうんざりした。

いまだ達成されていない目標は、他人に語ることで医師が「拡散」sる。

メモに限らず「書き記す」という行為は、人類にとって重要なので、

仕事とプライベートにおけるその人の優先順位が、その人の人生なのだ。

実際の交渉においてもっとも重要なのは、相手の立場に立って考えるということだ。

アルバニア人であるマザー・テレサのような英語はたどたどしく現代的な言い回しも流行の常套句もなかったが、正確で、英語圏の人々にも交換が持たれるということだった。

タイ語はTone languageなので、発音はある程度強く意識をしなければならないが、それでも同じ単語でもイサーン語のそれと、中央語のとでは、同じ表記でも発音の違うものがあるので、それほど気にすることはないのかもしれない。それよりも何を伝えたいのかをしっかりと意識して話をすることの方が大切だ。
たまにいるのは、ขอโทษครับとかน้องครับというタイ語を自信満々に大きな声で言うおじさんがいるんだが、その後が続かない。であれば、もう少し謙虚な言い方をしてくれないか。初めの勢いはどこへいった?来年も再来年も同じ調子でน้องครับだけを言っているんだろうな。

ユニクロ潜入一年 – 横田増生

潜入取材という手法が面白いが、著者にユニクロに対しての憎しみがあるようで、文面にもそれが出ているので、少し読んでいて少し嫌な気持ちになる。
会社が小さい間は社長の考えを伝えることや、写真の考えや気持ちを汲み取るのもできるのだろうが、大企業にそれはできない。それは大企業のある姿なのだろうが、搾取するようなことはやめるべき。これは大企業でなくても中小企業や個人でも浅ましい考えも持っているのがたくさんいるから、同じこと。中小や個人であれば、相手にしなければとも思うが、社会を良くするという意味においては、企業の大小や個人であるかは関係ない。

そういえば、僕がまだバンコクに来たばかりの頃で、通っていたタイ語の語学学校の先生の友人が、これからオープンするというタイ1号店のユニクロの研修で笑い方の練習をさせられたと言っていた。タイ人笑い方を教えるとは、釈迦に説法であると恥ずかしくなったが、この書籍にもユニクロスマイルのことが書かれていて、マニュアル化されているとのことだった。

この本を読む少し前に、airismの下着と肌着を買ってみると、他のものより値段が張るが、着心地がよいなと感じ、次からはこういう質の高い下着や肌着を使っていくことにしようと思っていたところだった。

その辺の企業だと、自分が怠けているみたいで嫌とか、辞めていく人はゆとり世代、自分に甘い人はユニクロではつづかないなど、自分達はエリートで、ユニクロでつづかない人は怠け者といった話を繰り返し聞かされました。

大企業にいる人間の中には、もちろん力がある人もいるが、その会社が力を持っているだけで、お前に力があるわけじゃない、という人間がいる。勘違いするなよな。