マクロ・日本経済からミクロ・あなた自身へ – 村上 龍

経済や金融を学ぶために読んでいるが、昔から繰り返し読んできている村上龍節を改めて読んでいるだけで、あまり経済や金融の専門的なことを学べているとは思えないのだが、マクロの視点で経済を語る「日本の経済をよくするにはどうすればいいか」というような言い方を好む日本のマスコミだが、個人個人を一括にすることはできないので、日本の経済という言い方では語ることができない、というのはまさにそう。

ちょうど自分がやっている仕事先のアンケートで「10年後のタイの経済は明るくなっていると思いますか?」という質問があって、答えてほしいと言われたので、10年後のタイの経済のことは分からないが、10年後の自分の経済は明るくなっているように努力をする。というようなことを書いた。これが経済を学びはじめたことのこたえになっているような気もするし、なっていないような気もする。

「だいじょうぶです。伝統的な日本文化はわたしたち外国人が守りますから。外から見たほうが価値がわかるんです」

誤解されると困りますが、海外メディアの「おせっかい」に一喜一憂してもしょうがありません。ただ、仲間内では微笑ましい事象でも、他社から見ると非常に醜いという場合が多々あるということです。

ゼロサム

一方の利益が他方の損失になること。

「問題を正確に把握し、目標を設定し、解決策の仮設を立て、実行し、達成を得る」という過程は本質的にスリリングなのだということです。さらに言えば、危機に際した人間の思考過程こそがスリリングだということがも知れません。

これまで日本社会の文脈では支援や協力というのは、その実効性よりも、それがいかに自己犠牲的だったかで評価されがちだったのではないでしょうか。

スキルを磨き、しっかりと働いて、お金を稼いで、好きな人とおいしいものを食べるんだ、というモチベーションの人が増えることが、デフレを食い止める原動力にもなるのではないでしょうか。

自分自身の信頼を所属事務所に代行してもらうというようなことができません。小説を書くと言ったら本当に書く。納品の期日を守る。作品の質を保証する。損をさせない程度には売れるものを書く。そういったことを実践してきました。

人類誕生から数百万年という間、おそらくわたしたちの祖先は、老眼で目がかすみ、葉が抜け、足腰や内蔵が弱くなってきたころ、つまり四十代が生存の限界だったのではないでしょうか。

信用デリバティブ

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