歌うクジラ 下 – 村上龍

じつは発刊されたばかりの頃に上下巻を揃えて買ったのだが、当時の僕は上巻のかなり前半部分で挫折していた。他の村上龍作品に比べると読み進めるのが大変だったが、見城氏と坂本龍一氏との番組か何かで、「歌うクジラの主人公は旅を続ける中で成長を続ける」と自分の作品に当然のことながら愛着があり、それを語っているのを見て、もう一度読んでみようと思った。

ボノボやナマケモノの話しは面白く、興味深い。人間よりもボノボの方が成功した進化かもしれない。

今の世が進んでいくとどんな未来が待っているのか?

遺伝子生物学をはじめとする科学技術の発展と徹底した合理主義、それに無知の克服によって世界各国も世界全体も棲み分けというシステムを完成させた。中でも日本がもっとも早かった。他の追随を許さないほどの早さだった。

内乱で荒廃した中で多くの民が日本こそが世界でもっとも優れていて先端的な国だと誰もが思いたがっていて、わたしはそういった連中を軽蔑しつつ作品を書き続けた。

権力者たちは倒錯した快楽と倒錯していない快楽をむさぼりながら倫理と堕落について突っ込んだ研究をしているのだと弁明をしたが、案外事実だったのかも知れないと今はそう思うのだ。なぜかと言えばわたしも同じ理由で幼児の無垢な肉体を愛するようになってしまったからだ。いったい誰g、幼児や子どもとセックスしてはいけないと決めたのだろうという疑問は正当で本質的なものだった。

そういう状況が数世代続いて幸福な無知が中下層に浸透し定着した。

そうだ、そうやって、わたしの言うことを聞いてくれ。うなずいたわけだから、わたしの声は聞こえているはずだから、聞いてくれ。恐怖に襲われたら、自分の外側に、変わらずに世界があることを確かめないとダメだ。

口にはめているあの器具は顔を醜くするためのものじゃなくて笑えなくするためのもので、人間は笑うことで恥ずかしさから逃れようとするから笑えなくすれば恥ずかしさが皮膚の表面まで自然に浮き上がってくるのよ。

想像せよ。

約束というのは、父親のデータベースによると、誰かに対してやると宣言した行為は必ずその通りに行うという意味だった。

ボノボの社会には子殺しがない。ときおり大きく頷きながら進む無限軌道車の中で、音声信号は続いている。動物回帰を目指す人々が、ボノボを選んだ理由として重要だったのは子殺しがないことだった。ボノボ社会には父親という概念がない。子供の父親が明らかでない場合、子殺しには自分の子供を殺すリスクがあるから、ボノボの社会では子殺しが起きない。他のいくつかの霊長類と同じく、ボノボは離合集散型の母系社会を作るが、チンパンジーと比べてもオスとメスの体格差が小さい。ボノボの社会では、弱いメスに優位性がある。チンパンジーでは、棒を使って蜜蜂を取るとき、強いオスが非常に攻撃的な仕草を示し、最初に独り占めしたあとメスたちに分配する。ボノボは、まずメスが、相互に尻と性器をこすり合わせるような、ホカホカと呼ばれる性的接触をしたあとで獲得した蜜蜂を順番に分ける。争奪の競争や衝突は起こらない。食物分配の主導権はメスが持っている。オスには余剰分が最後に分配される。ボノボはメス同士のつながりが重視され、オスの順位は体格や格闘能力ではなく母親の序列が影響する。生息地がサバンナではなく食料が豊富な熱帯雨林であることが、そういった特徴を生んだと考えられる。食料の枯渇の予測がない社会では、メスは強いオスに従う必要がなく、メスどうしの競争がなくなる。群れ内部の緊張は性的接触で緩和されるが、多様な性行動は社会生活の中に完全に組み入れられ、挨拶として一般化されている。

上層と最上層の人々は、幸福感は相対的なものだと思い知ることになった。不安や不自由のない快適な生活に突然もたらされる幼児への強姦や残虐な殺人は、人間という種が攻撃性という根源的な欠陥を持つことの証明だという悲観論が広がりだした。

摘便や痰吸入などもロボットはミスをしないから事故はめったに起きないから死ぬ人は非常に少ないの。完全なケアが実現されてしまったので、理想村の住人以外でも、生への執着がなくなってしまったの。ここに入れば、一人で立って歩いたり食事したり琲世する必要もないし、起き上がる必要もないし、会話をする必要もないでしょう?

最上層の人々はあちこちに点在して暮らしているけど、わたしたちにダイナミズムはもうなくなったということ。理想社会が実現したらエネルギーが失われることを誰も予想していなかったということ。

アキラ、君とずっと性行為をしていたいのか、抱き合っていたいのか、手を握っていたいのか、話したいのか、わたしは考えるけど、そういうことではないのだとすぐに気づく。全部違う。どんなことをしても、続けるうちに飽きるに決まっているし、興奮物質が涸れると性的行為は苦痛になる。つまり、離ればなれになるのがいやだからと、あなたを切り刻んでミイラにして保存しても意味がない。つまり、わたしはあるとき、気がついたの。取り戻せない時間と、永遠には共存し合えない他者という、支配も制御もできないものがこの世に少なくとも二つあることを、長い長い自分の人生で繰り返し確認しているだけなのだって、わたしは気づいたの。

絶対に別れたくない人とは、あっさりと別れたほうがいいのよ、とぼくを座席から立ち上がらせた。

無重力状態では視力が向上することが確かめられているのだ。重力があるところでは眼球はやや押しつぶされた状態となり網膜上の焦点がややずれてしまう。

ナマケモノという動物はそれまで生物進化の出来損ないであると考えられてきた。ジャガーなどの捕食者から簡単に食べられてしまい、食物連鎖の下部に位置する劣等な生き物だとされてきた。ナマケモノという動物は、筋肉の量が少ない。他の動物の半分以下の筋肉しか持っていない。そのために動作が異様に遅く、特に地面を這うときの気味の悪い動きは悪夢のようだと忌み嫌われてきた。だが少ない筋肉は体重を軽くし、ジャガーなどの点滴が登れない細い木を住処とすることができるという利点にもなっている。ナマケモノは脳の容量も小さく、知性とは縁もゆかりもないと考えられてきたが、研究家は二十一世紀の初頭にすでに、ナマケモノが捕食されるという多大なリスクを負って住処である樹木の根元まで下りていって排便する理由を解き明かし、それが住処である樹木への養分の補給であると結論づけた。ナマケモノは、養分の貧弱な熱帯雨林の土壌を豊かにし、住処であり、しかも食料の木の葉を提供する樹木と共生関係にあり、さらにその体毛の隙間には無数の節足動物の生息を許していて、百匹を超える蛾、千匹以上の甲虫、そして数万匹のダニを飼っているのだ。

発情期を有する動物のメスは、発情期以外では生殖行為はしない。わたしたちヒトが発情期を失った理由と経緯は結局のところ想像するしかないが、その結果は明らかだ。発情期を失った人類は性行為の自由を手に入れ生殖を効率化したが、副作用として性的な禁忌を、分泌と代謝という化学的反応ではなく、家族から国家までの社会的な学習に頼ることになった。前世紀には全世界的にゲイの権利が確立されたが、それ以前は社会的禁忌だった。脳内にゲイを巡る代謝物があって、それが前世紀に発現し、ゲイが増え容認されるようになったわけではない。単に社会的禁忌が崩れたのだ。

幼児への性行為を禁じたり容認したりするホルモンがわたしたちにあるわけではないのだ。家族から国家に至る大小の社会が、幼児への性行為を禁忌とする教育と学習を行っていいたのだ。ある性的な犯罪者が告白した。二十世紀中葉、敗戦国である日本が戦勝国に裁かれた裁判で、ある被告が頭をおかしくして、前に座っている別の坊主頭の被告の頭を叩いたのだそうだ。その記録映像を見たその犯罪者は、理由なく他人の頭を叩くだけで一線を越えて発狂するのだと知った。ほんのわずかな動作で、人間は一線を越えあらゆる禁忌事項を実行することができるとその犯罪者は知った。前に座っている他人の頭を裁判中に叩いてはいけないときと、叩いてもいたずらとして許されるときの区別こそが、社会性だ。残念なことに、社会性はひどくもろい。簡単に壊れ、その瞬間にモンスターが生まれる。

だが発情のメカニズムは動物の種類によって当然大きく、また微妙に異なるもので、たとえばチータというサバンナに生息するネコ科の動物だが、数え切れない数の王侯貴族たちがその優美な肢体と驚異的なスピードに見せられ、つがいで捕獲し交配を試みたが成功しなかった。メスが発情しなかったのだ。その後の生態学的研究で明らかになったチータの発情のメカニズムは、オスがメスを追って二百キロ四方の草原を三日三晩走り続けたあと支配下に置いたときに、メスが性中枢を刺激するホルモンを分泌するというものだった。

そして偉大な発明が続いた。最初の人工臓器である入れ歯と体温計と光学顕微鏡だ。原始時代において歯がなくなるのは死期が近いことを意味したが、入れ歯がその伝統を変えてしまった。体温計が病という概念を浸透させ治療が祈祷が薬と手術に変わった。次に電子顕微鏡の発明によって遺伝子が発見されて平均寿命はさらに数十年長くなり、宇宙空間の無重力を利用することでさらに数十年延びた。

家族や仲間とともに食事をすることで幸福感を覚えるのは人類だけだ。わたしたちは、誰かと、ともに生きる動物になってしまった。しかも生への執着があるから、他者が生きのびるためになにか自分にできることがあればそれが喜びになるように、数百万年というおそろしく長い時間を使って、社会的にセットされてしまった。

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