華氏451度 – レイ・ブラッドベリ

ソンクラン休暇を使って、ミャンマーへ行くのに選んだ2冊の1冊が華氏451度。本当はビルマ勤務経験のあるジョージ・オーエルの作品をとも思ったのだが、「1984年」と「動物農場」を読んでしまったので、「1984年」のようなSFを持っていくことにした。調べてみると「ビルマの日々」というジョージ・オーエルの作品があるようなので、そのうち読んでみることにする。

こんな古いジョークはなかったか?女房が電話のおしゃべりに現をぬかしているので、業を煮やした亭主は近くの店へかけこんで、今夜の夕食はどうなるのかと電話で聞いたという。

それでね、夜になるとみんなそこに座って、喋りたい時はしゃべったり、ユリーズをゆらゆらさせたり、喋りたくないときは喋らずに、1時過ごしたの。ただ座ってじっくり考え事をすることもあったそうよ。

しかし、息抜きは必要だ。

私の祖父は、私が子供の頃に亡くなったんだが、彫刻家でね。しかもじつに心やさしい人で、世界に惜しみない愛を注いでいた。街のスラムの掃除を手伝ったりしていたよ。おもちゃを作ってくれたり、あれやこれや、数えきれないくらい、いろいろなことをして明け暮れた人生だった。いつも、手を使って何かしている人だったよ。その祖父が亡くなった時に、ふいに気がついたんだ。僕はおじいちゃんのために泣いているんじゃない、おじいちゃんがしてくれたことのために泣いているんだ、自分の番が来たら、何が?こんなに少しでも楽にできるよ何が提供できるだろうかとね。

自分の番が来たら、何がいえるだろう? こんな日に、この旅を少しでも楽にできるようなことを、なにか提供できるだろうか?

不連続殺人事件 – 坂口安吾

白痴に続いて2冊目だが、まさかこんな極上の推理小説も書くなんて。
はじめの段階であっという間に登場人物が多くなり、紙とペンを用意して、相関図を作りながら読み進めていった。その紙を本の頭に挟んでおけばOK。

人見小六などはネチネチ執拗で煮えきらなくて小心臆病、根は親切で人なつっこいタチなのだが、つきあいにくい男だ。

自分のことを書かれているように思った。考えすぎずに明るくやりたいものだ。

あやかさんは目をクリクリ、花粉が飛びたつように喜んで、

血の轍 1 & 2 – 押見修造

佐渡島庸平氏のおすすめの漫画を聞いて。
なかなかに気持ちの悪い親子関係。お互いに激しい依存がある。子供と一緒に成長していくというのは、想像するだに、これまたなかかなかに複雑であるが、たくさんの親が子供を育てていて、いろんな奴がいるんだから、とするとロクでもない奴が子供を育てるってのは当たり前のこととしてあるんだから。
英語をはじめとした外国語を話せない親は、子供には英語を、と英語教育に力をいれ、例えば、インターナショナルスクールに行かせる。インターナショナルスクールの環境は、そこはまさに多国籍で様々な人種が一同に会している。そういう中で成長していく子供は、いわゆる欧米型の要素を強く持った人間になり、それは親の予想をはるかに超える。なぜなら親は、グローバルな環境に入った経験がないのだから。そうすると、子供の話と親の話はまったくかみ合わなくなり、子供からすると親は了見の狭い、島国の人というくらいになってしまい、相談事はいっさいしなくなる、というような話を読んだ。
親子の関係は寂しいものになったが、子供は親の願った道に進んでいるんだとしたら、それはそれで良しということになるのかもしれない。めでたし、めでたし。

介護基礎学 – 竹内仁

両親も年を重ねてきて、僕自身はバンコクにいて離れているため、この先のことを少しずつであるが実際面でも心においても準備を初めておいた方が良いだろう。自分自身も40を越えてから体の衰えを感じる様になった。読んでいると自分自身にも当てはまることが出てくる。

仏さんの説く「生・老・病・死」の四苦は、まさに僕らの苦しみで、全体的に暗い気持ちになりがちだが、現実はやってくるので、押しつぶされない様に備えておくことが大切だ。ここでも村上龍の言う、面倒で困難なことに正しいことが多い、というのが当てはまる。逃げるのは簡単に見えるが、それは正しくないと思う。

午後の曳航 – 三島由紀夫

屋根裏から覗いていると、女が乳房を出して、緑茶の中に母乳を混ぜるという金閣寺の場面にたまげたが、僕にとって仮面の告白と金閣寺に続いて3作目となる午後の曳航が一番の作品になった。終盤の緊張がものすごかったが、途中でさすがに子供達が大人を殺す様子が書かれることはあるまいと思うと、紅茶を一息に飲んだところで話が終わった。

そして登はおどろきを以って眺めた、彼の腹の深い毛をつんざいて誇らしげに聳え立つつややかな仏塔を。

思わずクスッとしてしまうような表現である。

今のところ、この戸惑いだけが二人の礼節だった。どこまで踏み込んで行っていいのか、竜司は彼のいわゆる「つまらない人間の底知れない傲慢さ」で測っていた。

私は何もしないで、しかし、自分だけは男だ、と思って生きてきたんです。何故って、男なら、いつか暁暗をついて孤独な澄んだ喇叭が鳴り響ひびき、光を孕んだ分厚い雲が低く垂れ、栄光の遠い鋭い声が私の名を呼び求めているときには、寝床を蹴って、一人で出ていかなければならないからです。……そんなことを思い暮らしているうちに、いつのまにか三十を越したんです」

歯をあてられた林檎の白い果肉が、その噛み跡からたちまち変色するように、別れは三日前にこの船で二人で会ったときからはじまっていた。

「大丈夫ですよ。働いて汗をかけば、風邪なんか吹っ飛んでしまう」
こういう竜司の強い言葉は、乱暴な気休めかもしれないけれど、少なくともこの家では久しく聞かれなかった「男の言葉」だった。その言葉一つで、古い柱や壁がみっしりと引き締まるのが感じられたほど。

確かに男の言葉であると感じるが、タイにいると働き者の女たちも、同じようなことを言う。

この世には彼のための特別誂えの栄光などの存在しないことを知らなくてはならぬ。

こういう想いを捨てられぬ厨二病なのだ。

正しい父親なんてものはありえない。なぜって、父親という役割そのものが悪の形だからさ。厳格な父親も、甘い父親も、その中くらいの程よい父親も、みんな同じくらい悪い。奴らは僕たちの人生のいく手に立ちふさがって、自分の劣等感だの、叶えられなかった望みだの、怨恨だの、理想だの、自分が一生とうとう人には言えなかった負け目だの、罪だの、甘ったるい夢だの、自分がとうとう従う勇気のなかった戒律だの、……そういう莫迦々々しいものを何もかも、息子に押しつけてやろうと身構えている。

一方、竜二は今度の航海の帰路、つくづく自分が船乗りの生活のみじめさと退屈に飽きはてていることを発見していた。彼はそれを味わいつくし、もう知らない味は何一つ残されていないという確信をも持った。

配色の設計 色の知覚と相互作用 – ジョセフ・アルバース

色について勉強したくて。
難しく感じたが、読了後にデザインをしていると、これまでの様にこの色とこの色の組み合わせがどうという考えにプラスして、いままでぼんやりとやっていた、使う色同士の配置や量により、それらの色が相互にどう関係するのかというのを意識的に考える様になった。

まず、同じ色が数え切れないほどの解釈を呼び起こすということを学ばねばならない。色相調和の法則やルールをただ機械的に用いるのではない。まったく異なるふたつの色をほとんど同じに見せるような、色の相互作用のはたらきを利用した制作によって、独特な色の現象をプレゼンテーションするのだ。

楽曲を単なる単音の集まりとして聴いている限り、私たちは音楽を聴いているとはいえない。音楽を聴くということは、音の並びや間隔、つまり音同士のあいだを認識することなのだ。同様に、ある絵に描かれた色彩が実際に何色なにかを識別するkとができてもその絵を深く味わったことにはならないし、色彩の作用を理解したとも言えない。

実際に、水彩絵の具の多くはボリューム・カラーである。何度か層を重ねると暗さや重さ、色の強さが増していく。パウル・クレーの多くの水彩画はそれを実証するものだ。

ゼロからスタート!タイ移住サバーイマニュアル – 桐越舞子

ツイッターのタイムラインに流れて来て。
僕もタイに住んで7年目なので、著者の人と同じくらいなので、目新しい情報というものはなかったけど、タイの好きな所として挙げているところが同じようなものがあり、タイの良さを再認識した。

私がタイに来て最初に住んだノンカイはラオスとの国境があるところで、何度も国境のある友好橋をバスで渡りました。ノンカイからはラオスが、ラオスからはノンカイが、いつもメコン川の向こうに見えるのがとても新鮮で、その眺めがとても好きでした。

どんな国だってきっと一長一短。良いところもあれば悪いところもあって、そして決して同じではないのです。日本と比べてサービスがなってないと文句をいうより、違いを楽しむぐらいの気概の方が絶対楽しいし、そしてそれは周りの人にも伝染します。

「サービスがなっていないから説教してやりますよ」などと偉そうに言う人がいるが、嫌な気持ちになる。こういう人が2人いるのだが、この2人は、全く同じ行動をした。というのは、食事をしていて、自分の作法のために食べ物のソースが、シャツに飛び真っ白のシャツに色がつくと、ティッシュで拭きながらしばらくすると「チッ!」と舌打ちをして、その場の空気を嫌なものに変える。別に他の誰かが何かしたわけでもないし、たいした話でもないんだが、恥を隠すためだかなんだかしらないけど、こういう態度をとる。なんだ、チミは。

初めて行った検診で驚いたのは、ほとんどの妊婦さんに旦那さんが付き添っていたことです。仕事を休んで検診に付き添うというのが一般的だということにカルチャーチョックを受けました。日本の産婦人科では見たことのない光景でした。
出産後の入院中も家族が病室の床に泊まり込み、家族総出で母子のお世話をしています。

僕は子供を持ったことがないけど、この話は想像に難くない。僕はパーイの病院に1週間ほど入院したことがあるんだが、その時もどの患者にも入れ替わりで家族がやってきて、夜はベッドの下に寝るものがいるのを見て、「ああ、こういうものなんだなぁ」と感じたのが思い出される。

電車に小さい子どもやお年寄りが乗ってきたらサッ席を譲る。お年寄りとまでもいかずとも、明らかに年配の方が乗ってきたら席を立つ。ほらあそこに座りなよと周りがみんなで座らせる。東京で妊婦をしていた頃、電車で座っている人の前に立つと寝たフりをされるということが何度かあった私は、感動すら覚えてしまいました。困っている人がいたら、力のない人がいたら、迷わず手を差し伸べる。それはきっと当たり前のことなのに。そんな風に感じることが多々あります。いつの間にか当たり前でなくなってしまったことがたくさんあるんだろうな。そう実感しました。

タイにだってろくでもない奴はいるし、30代の男が70代の女性をレイプするというようなニュースも目にするが、日本人はもっと優しくならないといけない。競争を続けて負けないためには、他人への配慮がなくたって構わなくなっている。自分がやられて嫌なことはしない、という子供の時に言われたことを実行し続けないといけない。

逆に「日本人は謝るのが好きだけど、本当に悪いと思ってるの?思ってないなら言わないほうがましじゃない?」とスルドイことも言われたこともありますが、「ほ、本当に悪いと思ってる時もあるよ!」と答えておきました。

タイに入ったばかりの頃、それはチェンマイで、隣人やその友達なんかと飲んでいて、タイのどこか好きか?というお決まりの質問に、タイ人はみんないつでも笑ってるところだ、というと「それじゃあただのバカじゃないか」と言われたことがある。確かにそうだ。タイを良く仕立て上げている僕がいた。
ところで、日本人は謝るのが好きだというのは、間違っていないと思う。日本へ変える前にお土産を買っていき、姉に渡すと「ありがとう」の代わりに「すいませんね」と言う。父親とデパートの地下で買い物をしていても、父親は買ったものを受け取ると「あー、すいません」と言う。染み付いたことではあるのだが、ありがとうとは言わないのだな、と思った。

カンブリア宮殿 村上龍の質問術 – 村上龍

日本へ戻っていた1週間は、ほとんど全く読書をしなかった。両親との時間や仕事を片付けたり、あとは間違って契約しているamazon primeの1年契約があるので、日本のドラマと映画を見ていた。「結婚できない男」というドラマに、当たり前にシンパシーを感じ、その後阿部寛の出ている映画を何本か見た。

経営者やお金の本を何冊か読んでいると、「お金とは信頼である」とか「サービスが先で利益は後」というような言い回しが出てきて、それはつまり、誠実に良い仕事を続ける、ということだと思うのだが、こんなことは当たり前のことで、人生をやっていくときに仕事に限らず、誠実に人のためにを考えることが大切だ。後は、仕事にしろ、何にしろ強い信念が必要だと思う。画家もしくはアーティストでやってみたいと考え、仕事をやめ旅をしながら絵を描いて、日本へ戻ってからもそういう活動をしていたが、今思えば、絶対にこれで生きていくんだという想いは薄かったのだと思う。今、こうしてデザイナーとしてバンコクでやっていくことは、続けていきたいと考えている。もちろんダメであれば、他に生きていく道はいくらでもあるから、そういう方向にシリアスに捉えているわけじゃあないし、間違いなく続けられるという気がするから、きっとそうなるだろう。

一般に言う成功とか失敗とかがあり、入ってくる金が増えてくれば生活の質をあげることができて、やはり金はないよりもあったほうが良い。しかし、よだれを垂らして金を求めている人達もいる。それで得た金が成功と呼べるのかどうか。自分の人生をかけて何かをやっている人間がいるとき、その時その人は成功していると呼べるはずだ。

ただ、コスト削減というのは利益を出すためにやるわけではないです。投資のために節約をするんです。たとえば無駄を省いて、そのお金を使って技術や新商品への投資に回すのであり、原価低減というのは目標がなければうまくいきません。目標があればみんな納得します。

※原価低減=コストダウン

会長は、「今日のインドを作った103人」というリストに選出された。外国人は三人だけで、あと二人は、マザー・テレサと、元首相夫人である。

「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば人は動かず」

「まず周囲の人を喜ばせる」。そのために自分を磨く。←教養。教養がない人はギブアップしやすい、確かにそうだがなぜだろう?

私たちが産業化して作れば作るほど、逆に芸術作品を作る職人さんたちは浮かばれてくるんですよ。

棒ほど願って針ほど叶う。

こうありたい、こうなりたい、こうなっていくというヴィジョンも強く持ち続ける。ヴィジョンに見えていることが叶うのは、どうしたってしばらく後になるので、非常に歯がゆくじれったく感じるだが、目の前のことをしっかりと続けると、願いは叶う。

何より現地との信頼関係を築かなければならないし、そのためにはその国・その地域の歴史や文化、宗教や法律や生活習慣、それに人間性を知らなければならない。それは、地道で面倒な作業や交渉の連続であり、気が遠くなるような忍耐力を必要とする。

僕もタイでやっているのだが、未だタイ企業との仕事の比率は圧倒的に少ない。当初タイマーケットを積極的に狙って行きたく、今もその気持ちはあるのだが、会社を続けていくために、まずは地固めが必要で一旦置いている。近い未来には改めて積極的にチャレンジをしていくつもりだ。

その厳しい仕事を、なぜ我々はやらなきゃいけないのかという動機づけをしなければいけないじゃないですか。本当に心に火を付けないとなかなか動いてくれないんです。それを考えた時に、非常に制約された環境の中で生きている人たちに対して、生活の豊かさということで貢献することができる。世の中の人のために貢献するというような自分の仕事の達成感、仕事をした結果の効果というのが、はっきりイメージとしてつかめないと、今の若い社員たちというのは一生懸命自分の人生を賭して仕事をするのは難しいと思います。

それは両親と魂を持った会社です。

男(子ども)は、大人になる過程で多くのものを失い、手放す。母親との一体感、幼いときに描いていたさまざまな可能性、性格の一部も手放すこともあるので、優れた役者はそのころのキャラクターをカウンセリングで再獲得したりする。手放したものを取り戻すのが大人の仕事。

この世でこれほどひどい環境はないというようなナチスの強制収容所で、生き残ったのは、心身壮健なプロレスラーのような人間ではなく、ユーモアを解する人間だった、というようなニュアンスのことが書いてあった。

「安さの決定的瞬間」

銀の匙 – 中勘助

物語は主人公が幼かった頃の話で、読んでいると自分のこれまで忘れていた記憶が顔を出してきて、自分の記憶はすべてしまわれていて、何かのきっかけがあると掘り起こすことができるというのは本当かもしれないと思った。

わけもなくほしくなりすぐさま母のところへ持って行って「これをください」といった。

母親に対して「これをください」という話し言葉を使っていたのだ。

私のようなも者がかんだのまんなかに生まれたのはかっぱが砂漠で孵ったよりも不都合なことであった。

古い人の話によれば若いときたいへん学問にこって本ばかり読んでいるうちに慢心して気がふれたのだという。

気がふれるとはなくとも、知識を持っていることを偉くなったと勘違いするような人間も少なくないので、気をつけたい。教養という形で蓄えていきたい。

そこへ運悪くひとりの先生がきていきなり私の帯をつかまえ やっ と掛け声をして宙にさしあげたもので朝から目の奥にいっぱいたまってた涙が一時にあふれだして両足をぶらぶらさせながらわっと泣き出した。

僕も小学校の1年生の時に何か悪さをして、廊下に立っていろと言われて一人だけ教室の外に出された。今まで悪ガキの代表みたいなやつらが何人か廊下によく出されているのは見ていたが、いざ自分が出されると急に心細くなり涙を流したのを思い出した。

こちらは松ぼっくりを拾うので始終小走りに追いつかなければならない。

これも小1か2の頃に、どういうわけだが、ただの石ころをたくさん集めてビニール袋に入れてそれを学校から家へ持って帰っていた。たくさん入れすぎた石の重さでビニール袋は破れてしまった。なきながら石を拾い集めていると隣に住むひとつ年上のいとこが一緒に集めてくれて、ぐずぐずと泣きながら家に戻ったという記憶が出てきた。

BLUE GIANT SUPREME4 – 石塚真一

別の本を買うんで、アマゾンを開いた時にふとBLUE GIANTで検索すると、ちょうど新刊の発売日。

メジャーになるより、売れることより、自由と楽しさをどうやったら持続できるか、これが俺の一番の問題なんだ。

最も大事なこと。同時に最も大事なことは金を稼ぐこと。One for the money, two for the show とも言うからよ。

人生論 – トルストイ

なんだか言い回しのややこしい表現が続いて、難解に感じる。分かりやすく書くことの大事さを思った。

ユダヤ教徒とキリスト教徒の議論という古い笑い話がある。キリスト教徒が、ユダヤ教徒のだしたややこしい微妙な問題に答えているうちに、相手の禿げ頭をぴしゃりと音のするほど掌で叩き、いまの音は何からでたか、掌からか、それとも禿げ頭からか、と質問をだしたという話だ。こうして、信仰をめぐる議論が、新しい解決不可能な問題にとってかわられたのである。

人は永く生きれば生きるほど、快楽がますます少なくなってゆき、倦怠や、飽満や、労苦や、苦悩がますます多くなってゆくことを、いっそうはっきり知る。だが、それでもまだ足りない。力の衰えや病気を経験しはじめ、他の人々の病気や老いや死を眺めているうちに、人はさらに、そこにだけ本当の充実した生命を感じていた自分の存在そのものも、刻一刻、一挙一動ごとに、衰弱と老いと死とに近づきつつあることにも気づくのである。

もし両親が貧乏なら、子供は親から、人生の目的とは、動物的個我ができるだけ楽をするため、パンと金とを少しでもよけいに手に入れ、仕事をできるだけ少なくすることである、と知るだろう。もし贅沢な家に生まれれば、その子供は、人生の目的とはできるだけ快適に楽しく時を過ごせるよう、富と名声を持つことである、と知るだろう。
 貧乏人が身につけるすべての知識は、彼にとってもっぱら、自分個人の幸福をさらに増やすために必要である。金持ちが身につける科学や芸術のあらゆる知識は、科学や芸術の意義などという高尚な言辞にもかかわらず、もっぱら退屈をしのいで楽しく時をすごすためにのみ必要なのである。どちらの人間も、永く生きれば生きるほど、ますます強く世間の人たちの支配的な考え方がしみついてくる。やがて結婚し、家庭を持つと、動物的な生命の幸福を獲得しようという貪欲な気持ちは、家庭という口実によってさらに強化される。他人との闘争も激化し、もっぱら個人の幸福のためにのみ生命の習慣(惰性)が確立されてゆく。

「しかし、みんながみんな狂っているはずはない、とすれば、狂っているのは俺のほうなんだ。だが、違うぞ。こういうことを告げてくれるこの理性的な自分が狂っているはずはない。この自分がただひとり全世界を相手に立ち向かおうと、俺はこの自分を信じぬわけにはいかない」
こうして人は、魂を引き裂くような恐ろしい疑問をかかえたまま、世界じゅうで自分が一人ぼっちなのを意識する。それでも生きてゆかなければならない。

55歳からのハローライフ – 村上龍

村上龍の中篇小説(僕は短篇小説と呼ぶくらいのものだと思って読んでいたが、あとがきに自身が中篇と書いていた)は初めてかもしれない。コインロッカーズ・ベイビーや愛と幻想のファシズム、希望の国のエクソダス、オールド・テロリストなど破壊的なものが男っぽくて大好きだが、この55歳からのハローライフもこの先の自分や親のこと、年配の人の人生を想うにとても興味深かった。

この本の影響で、少し値のするミネラルウォーターを飲んでみている。高いと言っても、バンコクではレッドブルが65バーツするので、それを考えればミネラルを多く含んだ水を飲んでみるのは悪くないだろう。この作品とオールド・テロリストでもそうだったが、パニックになった時は水を飲むという、当たり前の動作をゆっくりと行うことで現実感が戻ってくるということをしきりに書いていた。

「ジョウビタキ、小さいのにすごいやつなんだ、お前、そう言ったろ」<中略>「あんな小さなからだで、朝鮮半島と、それに海を越えて、途中、流木とか、漁船のマストとか、留まって、休みながら、一千キロ以上旅してくるんだ、すごいやつだ、そう言ったんだよ」

グルジア産で、ミネラル分が多く、炭酸の量は少なめで喉越しが柔らかい。

いつのまにか日本語での呼び名がジョージアに変わったようだ。僕には日本語ではグルジア、英語ではジョージアの方が馴染みがある。

これまで、名の知れた中堅家具メーカーという目に見えない組織に、ちょうど鎧や衣服をまとうように守られていたのだと思った。

これは僕も旅に行く前に博報堂アイ・スタジオという会社をやめた時にまったく同じことを感じた。まさに鎧を剥がれたと気分だいう表現でまわりの人間に言ったが、アイ・スタジオで働く仲間はもちろん、他の人間にもピンときていないようだった。

咽頭喉頭異常感

あとでわかったのだが、不必要なことは聞かないし言わない、というポリシーが安心感を与えるのだそうだ。

大切な誰かを、心から受け入れるというのは、大変な作業なんだって、まずわかる。

じゃあ、どういう人だったかというと、どれだけ長くいっしょにいても疲れないし、散歩をするだけでとてもいい時間を過ごせるんです。要は、長い人生をともに歩む、パートナーだったんです。

「ゲンイチ、お前、男やからね。べちゃくちゃ喋らんでもええ。ただ、自分がいやなことを人にしたらいけんよ。」

海女たちは、ライバルでもあったが、何よりも非常に親しい友人で、都会に住む者には理解できない独特の友情で結ばれていた。

無趣味のすすめ – 村上龍

いつの間にか僕は自立した人間になっていて、周りの甘えに浸りきった人間と時間を共にすると心をかき乱される。
もうそういう人たちとの消耗する時間はなしにして、僕は確固とした自立した男になることにする。

だから趣味の世界には、自分を脅かすものがない代わりに、人生を揺るがすような出会いも発見もない。

言われてみれば、写真が趣味だとか、ブログが趣味だとか言っている奴を振り返ると、それは単なるエクスキューズにすぎず、結局そういう人らの書いたものや撮ったものを見ても、心を熱くさせるような文章があったり、写真のクオリティーが上がっているわけでもない。レンズを買っただなんだと言っているようだが、お前自身からの変化は何もないままだ。それでいいのだろう、趣味なのだから。

ビジネスにおけるパートナーと夫婦はいろいろな面で似ている。

良くわかる。共同経営をしているときに強く感じた。そして相手の依存が強くなってくるうちに、こいつはダメだと思った。本当の本当は、会社を登記する前に一緒にやるのは止めようと打ち明けたのだが、彼は「ぼくは後藤さんとやりたいです」言ったまま、その後何も言わずに黙ってしまった。今思うと実に甘えた発言だが、当時の僕もまた甘く、なしくずしてきにやることにしてしまった(今の僕も人が良すぎるところが治っておらず、困ることがたまにある)。
こういう甘えた人間の依存は強まってくるもので、そのうちにやっぱりだめだと思い、抜けることを伝えると、今度は「じゃあ、資本金を半分ずつにしたらよくないですか?」としがみついてきて、別々になってからもかなり長く飯の誘いがあったりして、「ああ、この人は別れた女にもこうやってしつこくするんだろうなぁ」とうんざりした。

いまだ達成されていない目標は、他人に語ることで医師が「拡散」sる。

メモに限らず「書き記す」という行為は、人類にとって重要なので、

仕事とプライベートにおけるその人の優先順位が、その人の人生なのだ。

実際の交渉においてもっとも重要なのは、相手の立場に立って考えるということだ。

アルバニア人であるマザー・テレサのような英語はたどたどしく現代的な言い回しも流行の常套句もなかったが、正確で、英語圏の人々にも交換が持たれるということだった。

タイ語はTone languageなので、発音はある程度強く意識をしなければならないが、それでも同じ単語でもイサーン語のそれと、中央語のとでは、同じ表記でも発音の違うものがあるので、それほど気にすることはないのかもしれない。それよりも何を伝えたいのかをしっかりと意識して話をすることの方が大切だ。
たまにいるのは、ขอโทษครับとかน้องครับというタイ語を自信満々に大きな声で言うおじさんがいるんだが、その後が続かない。であれば、もう少し謙虚な言い方をしてくれないか。初めの勢いはどこへいった?来年も再来年も同じ調子でน้องครับだけを言っているんだろうな。

ユニクロ潜入一年 – 横田増生

潜入取材という手法が面白いが、著者にユニクロに対しての憎しみがあるようで、文面にもそれが出ているので、少し読んでいて少し嫌な気持ちになる。
会社が小さい間は社長の考えを伝えることや、写真の考えや気持ちを汲み取るのもできるのだろうが、大企業にそれはできない。それは大企業のある姿なのだろうが、搾取するようなことはやめるべき。これは大企業でなくても中小企業や個人でも浅ましい考えも持っているのがたくさんいるから、同じこと。中小や個人であれば、相手にしなければとも思うが、社会を良くするという意味においては、企業の大小や個人であるかは関係ない。

そういえば、僕がまだバンコクに来たばかりの頃で、通っていたタイ語の語学学校の先生の友人が、これからオープンするというタイ1号店のユニクロの研修で笑い方の練習をさせられたと言っていた。タイ人笑い方を教えるとは、釈迦に説法であると恥ずかしくなったが、この書籍にもユニクロスマイルのことが書かれていて、マニュアル化されているとのことだった。

この本を読む少し前に、airismの下着と肌着を買ってみると、他のものより値段が張るが、着心地がよいなと感じ、次からはこういう質の高い下着や肌着を使っていくことにしようと思っていたところだった。

その辺の企業だと、自分が怠けているみたいで嫌とか、辞めていく人はゆとり世代、自分に甘い人はユニクロではつづかないなど、自分達はエリートで、ユニクロでつづかない人は怠け者といった話を繰り返し聞かされました。

大企業にいる人間の中には、もちろん力がある人もいるが、その会社が力を持っているだけで、お前に力があるわけじゃない、という人間がいる。勘違いするなよな。

夜と霧 – V.E. フランクル

大学の頃に読んだが、古本屋で見つけて再び。

「カポー」や有力な囚人だったものが耐なければならなかったことを扱うわけではなく、知られざる収容所囚人の受難を扱うのである。なぜならばカポーたちは何の腕章もつけない普通の囚人を見下していたのだった。囚人が飢え、そして飢え死にしている間に、カポーたちは少なくとも栄養の店では悪くなかった。それどころか若干のカポーは、彼の生涯に今までなかったほど、恵まれていたのであった。したがってこれらのカポーのタイプは心理的・性格的にはナチス親衛退院や収容所の看視兵と同じように判断されてよい。すなわちカポーは彼らと心理学的・社会学的に同化したのであり、彼らに協力したのだった。カポーたちはしばしば収容所の看視兵よりも手厳しく普通の囚人を悪意を持って苦しめた人々であり、例えば親衛隊員すらよりもはるかに多くの普通の囚人を殴打したのであった。

人々を集めて、囚人と看守でその人たちを分ける。するとどのようなことになるのかを人体実験するという実際の話を映画かした作品が昔あったが、まさにそれの実際の話。映画では、囚人は囚人らくしく、看守は看守らしく振舞ってゆくのだ。
実は、僕にも同じ体験はある。2人ではじめる会社で、立場に上下をつけずにやっていくという約束であったが、会社を運営していく上で、代表は必要だということになり、僕は彼に譲った。たんにそんなことでくだらない権力の取り合いをするのが嫌だったからだ。しばらくして会社がうまく進み出すと、彼が変わっていった。まあ、そうだよななと、あの映画のことを思い出した。そして僕は会社を抜けた。肩書きによって説得力を増すことは常であるが、肩書きなんて、本当にどうでもよい。質の高い仕事を積み上げていくだけだ。そうは思わない人がたくさんいる。
アウシュヴィッツの話なんかと比べるにも及ばない小さな小さな話だ。

彼はどなった。「糞くらえ!」

二、三の人間はそっと規則を犯して、靴にくっついている糞便にもかまわず枕の代わりに靴を用いていた。

君は気を悪くしないだろうな、だが俺ははっきり言おう。たかだか君だ。

他の場所(たとえば兵営の如き)における集団生活と反対に、ここでは暖色が全く見られなかった。

このような状態においても人間は愛する眼差しの中に、彼が自分の中にもっている愛する人間の精神的な像を想像して、自らを充たすことができるのである。

ドストエフスキーはかつて「私は私の苦悩にふさわしくなくなるということだけを恐れた」と言った。

「カポー」や有力な囚人だったものが耐なければならなかったことを扱うわけではなく、知られざる収容所囚人の受難を扱うのである。なぜならばカポーたちは何の腕章もつけない普通の囚人を見下していたのだった。囚人が飢え、そして飢え死にしている間に、カポーたちは少なくとも栄養の店では悪くなかった。それどころか若干のカポーは、彼の生涯に今までなかったほど、恵まれていたのであった。したがってこれらのカポーのタイプは心理的・性格的にはナチス親衛退院や収容所の看視兵と同じように判断されてよい。すなわちカポーは彼らと心理学的・社会学的に同化したのであり、彼らに協力したのだった。カポーたちはしばしば収容所の看視兵よりも手厳しく普通の囚人を悪意を持って苦しめた人々であり、例えば親衛隊員すらよりもはるかに多くの普通の囚人を殴打したのであった。

すべての男は消耗品である。VOL.12 – 村上龍

村上龍尽いている。
kindleアプリで読んだが、一般的なウェブサイトと同じように左から右へ読み進めていく横書きになっていた。普通は書籍と同じように縦書きになっているものがほとんどで、初めて見た。確かにモバイル端末で読むとその方が親しみやすい感じもある。これには村上龍の考えが反映されているのではないだろうか。歌うクジラではある場面にくると音楽が流れるような仕組みにしたと言っていた。その音楽は坂本龍一がつくったという。

世の中に発生し変化を促す対象について、「何が起こるのだろう」と客観的にとらえるのはもちろん大切なことだが、具体的に自らがどう関与するかという発想がないとすべてが他人事か対岸の家事になってしまう。

現代でも、アフリカ・サハラ以南の内線では、ナタで敵の頭を割っても心が痛まないという民兵が確かに存在する。

日本は、尖閣諸島問題で中国に対する外交能力がゼロだということを露呈した。

年齢を経ると、読書はしだいに「趣味的」なものになりやすい。わたしは趣味的な読書を提供したくない。できれば生き方や基本的な考え方について、根本的な問いを提供したいと思っている。

期待は甘えとほとんど同義語だ。

山崎さんは、「政治は監視の対象ではありますが、期待を持ち込む場所ではありません」と書いた。

期待、奇妙な言葉だ。期待するというのは、相手に何かを望むという意味だが、経済や政治は本来は「契約」で成立していて、そういった概念から無縁のはずだ。男が女に対して「甘い期待」を抱く、というのはごく自然なことだが、たとえば、営業が取引先に期待するのも、上司が部下に期待するのも、考えてみればおかしい。契約している場合を考えると理解しやすいが、契約を交わす双方には契約の履行があるだけで期待はない。

たとえば知事に立候補する場合、期限と数字を決めてその自治体の財政を改善させるというような約束をする候補者はいない。政治の主要な仕事とは失業を減らし雇用を増やすことだという説もあるが、具体的な数字を上げ、失業者をこのぐらいに減らし、これだけの雇用を創出します、という約束をする候補者もいない。
彼らが言うのは、「※※県を元気にする」とか「若者が夢を持てる県政」とか、わけのわからない曖昧な文句だけだ。だから人々は、首長や政治家に「期待」せざるをえない。

自分はこれだけのレベルの仕事をする、と私は作品を通じて常に宣言している。編集者や出版社、それに読者の信頼を失うわけにはいかないので、売れるかどうか、大勢に好まれるかどうかは別にして、質の高い作品を書き続けなければならない。期待なんかされたくない。今の日本では、期待は甘えとほとんど同義語だ。

その店が「満足」ではなく、「感動」を与えることができたとき、「リピート率」は飛躍的に上がるのだそうだ。

小説というのは、基本的にマイノリティを代弁するものだ。社会に受け入れられない人々の声にならない声を翻訳して、人間の精神の自由と社会の公正さを訴える、それが文学である。だから文学は回答を示すものではない。

わたしは何と呼ばれようとあまり気にしない。問題は呼称ではなく、積み重ねている仕事の質だからだ。

そして、現代は変化が激しいので、政治もビジネスも学問も、適応するためには、大量の情報をインプットして、ひんぱんに長い距離を移動し、大勢の人に会ってコミュニケーションを図る必要がある。

革命のファンファーレ 現代のお金と広告 – 西野亮廣

頑張れば報われる時代は終わり、変化しなければ生き残れない時代に、僕らは立ち会っている。
面白いじゃないか。

面白いよ、確かに。僕も努力をするのは好きだし、この世界で生き残っていけると思うし、失敗したってなんとかなると思っている。しかし皆がそうではないから。しかし皆のことより僕がこの世を生き抜くことをまず考える。皆のことも少しは一緒に考える。

彼は現在、頭頂部の毛が完全にない理由を「メルカリで売った」と言い張るが、

「お金」とは信用を数値化したものだ。

金のことを考えてしばらく経つが、ようやく少しずつ分かってきた。どうやら金とは信用であり信用はお金よりも大切である。金を集めるのでなく信用を集めていく。
ちょうど少し前に、ある案件を取ることができなかった、ということがあった。見積を出して結果、断られることは珍しいことではない(まれに返事がない場合もあるが、こういうのはこっちからお断り。こちらが信用できないんだから、信用の値であるところの金を受け取る必要もなし)。
村上龍の言う信用は、自分が信用されたいと思う人やこの人とは一緒に何かをやってみたい、と思う人に信用をされたいと思い、そうできるように行動することである。僕はその会社の方と話をして、面白そうだなと思った。あまり詳しく書くといけないが、打ち合わせの席で将来的にはティファナに工場をおくこともあるかもしれないし、そういう風にしていきたい。ということを言っていて、Tijuanaといえば、Manu ChaoのTelcome to Tijuanaで、まさか旅先で数日滞在したあの街の名前が10年以上経って仕事の中で話に上がるなんて。
ちょうどその時(今現在も)、会社が始まって以来の仕事量になっていて、そういう中で、見積の後で、内容が変わって作業が増えたことを理由に、金額を釣り上げた。それがいけなかった。
実際のところ、この仕事がなくなって、量的にホッとしたところもあって、特に困るわけじゃあないが、そういうことではななく、あの会社との、あの人との信頼関係を築いていけなかったことが、残念だった。断りのメールを受けた時は、すごく残念に感じて、ちくしょーと何度も心の中で言ったし、しばらく心の中にわだかまりとして残っていた。
アンカリングとか提案の仕方に問題があったという考えもできるが、僕としては、金に関するテクニックみたいのは正直小細工くらいのもので、実効性があるものもあるが、あまり関係ないと思っている。それよりも僕という人間に大きな信頼があれば、そういう小賢しいことを考えなくても済むのだから。
少しくらい忙しくなって、それはつまり少しずつ信頼を集めている事実でもあるとは思うが、それに胡座をかくことで、信頼なんて簡単に壊れるし、無視される。僕は僕のやり方を変えずに、やっていくのが一番正しいやり方だし、正しい進み方をしていくのだと、再確認した。
急いじゃあいけない、僕の場合には、長く仕事を一緒にやれることで信頼も強くない、定期的に金も産む。それを集めればいい。

問題は「何を言ったか?」でななく、「誰が言ったか」だ。

これも大事なポイントだ。

生存競争は「弱肉強食」でなく「適者生存だ」

そうなんだよ。

AV業界に明るい友人が言うには、現在「えんとつ町のプペル」をモジッた「ちん凸待ちのアナル」というAVの企画が進んでいるらしいが、

あなたの話はなぜ「通じない」のか – 山田ズーニー

相手の好きにさせ、愛想でもこびでもふりまいて、相手に好かれ、結果を出す。そういう世渡りをしている人は、飲み屋さんにだって、大企業にだって、たくさんいる。

こういうのが、自分で自覚しながらもやめられないし、やめる必要もないと思っているのだから、それは辛い。「それっぽく見せるのだけは得意」と言って伊達眼鏡をかけている男がいて、今思うと、こういう人の達成感や充実感はどういう体験からくるのだろうと、本当にどうでもいいことを思った。

彼らの志は高い。自分の思いで人や社会と関わることを目指している。

当たり前だと思うけど、一般的にはそんなことはない。

相手の失礼な態度に、怒り散らすか、自分の感情を殺すか、選択は二つにひとつではない。じっと黙る。目で訴える。誠意を持って、そういうことはしないでくれとお願いしてみる。

その場で、状況を整理して、きちんと話ができれば良いんだが、腹を立てていると、たとえ自分が正しくても、上手に話ができなくて、あとで一人になってから冷静に考えると、相手の間違っていることにはっきりと説明がつくのだが、なかなかうまくいかない。冷静でいるための訓練と、高い教養を持つこと。

オールド・テロリスト – 村上龍

希望の国のエクソダスを読んだ後にネットを見ていると、最新の小説オールド・テロリストは、希望の国のエクソダスの後の時間設定というのを見つけて。
昔の日本文学も面白いのだが、時代背景が古い。しかし日本人だから分かることは分かる。外国文学は、もちろん外国を舞台にしているし、ちょうど希望の国のエクソダスで、主人公のセキグチが言ったように、外国文学は外国のものだ。人間としての普遍的な話は変わらないが、食物や街の情景など想像が及ばない部分がある。
その点、現代の日本の作家が書く小説には、しっかりと入っていくことができる。もちろん現代のつまらない小説を読むなら昔の日本文学や外国文学を読んだ方が面白いというのが、たくさんあると思うけど、村上龍は最高だ。まだ読んでいない作品がたくさんあるから、読んでみようと思っている。

当然、五十四歳という年齢もある。昔のような気力や体力がないし、学習や訓練のための、時間という資源が残り少なくなっている。

まだ40だし、やれる、という気持ちがあるが、この先こういう状態になっていくだろうことは分かる。今のうちにやるべきことはやる。

独り者の男の年寄りほど、寂しい人間はこの世にいないんではないですか。哀れと言えば哀れでしょう。

つまり、わたしども、年齢に関係なく、外の世界、人々とともに、と申しますか、関係性の中で生きております。外の世界や人々に押しつぶされる、それこそが不幸というものの正体であり、何とか折り合いをつけながら生きていく状態を普通、外の世界や人々を従わせたり、関わり合って変化させ、利益を得るのが勝ちであり幸福、というような風潮もあるかと思うんですが、わたしは、年齢を経るにつれて勝ちとか幸福ではなくて、普通を選びたいと思うようになったんですね。何とか折り合いをつけながら生きていくということですが、そのことには実際、普通以上の価値があると、今は確信しております。価値や幸福を超えたものかも知れない。

子犬達の悲鳴は止んだかね

今の時代、人との付き合いが得意で上手という人間がいるのだろうか。苦ではないという人はいるだろう。他人とのコミュニケーションには多大な労力が必要だ。妻と娘がシアトルに入ってから、おれは他人と話すのがおっくうになり、他人が怖くなった時期もあった。コミュニケーションの能力がなくなったからではない。コミュニケーションに必要な労力、つまり心のエネルギーが足りなくなり、やがて枯渇したからだ。

この国のメディアは、なんて悪い人なんでしょうと、なんてかわいそうな人たちなんでしょうと言う2つのアプローチでしかニュースを作れない。何も対策を取らなかったら人間はどこまでも堕落して、どんな悪い事でもするという前提がない。

カツラギがおれのことをどう思っているのかは不明だが、性的な関係を持つと、何かが台無しになってしまうような気がして怖かった。

今は不安になるのが当然だと思うことが大切なのだ。

記者になったばかりのころ、先輩から聞いて知ったのだが、たとえば大手広告代理店の電通や、通信社の共同通信などもその母体は満州にあるらしい。

可愛いというのは、おれのことだろうか。幼児以来、そんなことを言われたことはない。外見も、感が方も、おれほど可愛くない男はいないはずだ。

昔懐かしいロックに、君が異邦人だったら周囲の人々の佇まいが奇妙でよそよそしくみえることだろう、という歌詞があった。

ナガタという男はそう言って、右手で髪の毛に触れながら、カツラギの太ももをちらりと見た。完璧に変態の目つきだった。

天国で遊んできた人間より、地獄であがいてきた人間のほうが言葉に力がある。

コクトー詩集 – ジャン・コクトー

詩の理解がまずいのか、翻訳の詩に違和感を感じるのか。いまひとつ心踊るものに出会えなかったが、ひとつだけ「さとり」という詩は良い詩だった。
日本の詩人の作品を読んでみよう。

朝のマルセーユ

フランスは、昔の同僚が広告賞に参加するということで、アムステルダムだかドイツのどこかの街からバスでカンヌに入ったように記憶している。そのあとニース(海沿いにカモメがたくさん飛んでいたのを覚えている)、マルセイユと移動した。マルセイユはヨットがたくさん止まる港があり、そこから階段を登ると列車の駅があったはずだ。駅でタバコを吸いながら持っていたラジオを聞いていると、なんとTAKESHI KITANOの声が聞こえてきて、電波が悪かったが確かにビートたけしがフランスのラジオ番組で話をしていて、高揚した。

黒奴(くろんぼ)

黒に奴でくろんぼと読ますんだから、今のpolitical correctness時代には強い言葉なのだろうか。

さとり
自分に不実をしてまでも
惚れたりするのはばからしい
それよりいっそ はいろうよ
さあ、はいろうよ、この見世(みせ)へ
ここなら正気をたがわずに
誰にも恋が出来るんだ

これが唯一

グレコ

別の詩のタイトルにも「ピカソに捧げるオード」だとか詩の中に「野獣(フォーブ)派と立体派(キュビスト)の間でというような一節が出てくるのだから、このグレコはエル・グレコのことであろう。コクトーは絵も書いていたようで、この表紙の絵はコクトーが描いたもの。